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私の焦燥感の正体

もう、文化祭とか、そんな時期らしい。
高校二年生なので、みんなは高校生活二回目の行事。
羨ましくはない。
今の私が参加しても楽しめないのは私が一番よくわかってる。
私が高校に行けなくなって一年が経った。
前の高校の行事は何も参加できなかった。

友達がインスタのストーリーに学校の行事の写真とか、友達との写真とかを載せているのを見ると、悲しいとか、寂しいとか、羨ましいとかじゃなくて、ただただ距離を感じることがある。物理的な距離じゃなくて、もっと感覚的なもの。

最初は同じ場所からスタートしたのに、今は全然違う場所にいるように思う。
違う場所にいること自体が不幸だとは思わないが、私が望んでいた状態になれないことは幸せとは言い難い。

でも、私が病気になったことを不幸だというのは少し自分勝手かもしれない。
私は、病気になる前、健康がどれだけ大切で、尊いものかを知らなかった。
私が病気になった理由は明白で、いたってシンプル。 

健康管理を怠った。これだけだ。

健康管理を怠った人が、健康を望むのは贅沢なのかもしれない。

でも、苦しみに耐えながら時間だけが過ぎていくのがとても怖い。
どん底の毎日が続いていくのが怖い。 

病気にさえなっていなければ、普通の女子高生になれたはずだ。
元気で、毎日学校に行って、授業を受けて、友達と話したり、一緒にお弁当を食べたり、そんな生活が欲しかった。
私の友達のほとんどはそんな生活を実際に送っている。

でも、私は病気になってから何も進んでいない。
みんなは普通の毎日を積み上げているのに、私はずっと底にいる。
何も積みあがっていない。


そういう、距離を感じて、焦り、不安に駆られる。

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