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「生」

人は「死」を意識してから
初めて「生」を始めるのだろう
私は 幼いころから身近で死を早々に感じながら
いつも生きていた


漠然とした「死への課題を」
模索しながら生きていた
何故 
こんなにも考えさせられるのだろうと

27歳のあの時 職場の先輩と初めて入ったカフェ

「私さ○○歳になるの怖いんだよね・・父親が首つりした年齢でさ
前日も普通にふつーーーだった父さんだったのにね
止められなかったんだ私
その年にだんだんと近ずいていくのが怖くてね・・・」と

先輩はアイスコーヒーの
氷をストローでくるくる回して
くるくる回してそれを飲み切る間
何一つ声をかけれない自分がいて
傍にいるだけだった

暫くして
久しぶりに先輩に会った
その先輩が癌になったって言った

明るく 明るく 
退院して暫くぶりに焼肉を食べたと笑って話していた

途中席を立ってトイレに行った
先輩は
戻ってきた時
目を腫らしていた

全てを悟った私は 
声をかけることが出来なかった
気の利いた言葉一つ
また 私は何一つ声をかけれない私がいて傍にいるだけだった



不思議に思いながら生きていた
人は簡単には死なない
この手の中で冷たく重く冷たくなっていくギリギリまで
耳は聞こえ細胞はあがいてゆく

そして誰かの脳裏に息ずいている
春夏秋冬と過ぎ去る日々の中で
呼吸をしながらあの人の頭で回想中に這いまわる


まだ 生きている
あの人は そこにまだ生きている

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