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王さん再び

ごめんなさい、出張先で長引いてしまいました、本当にごめんね、5分だけ待っててくださいねと王さんが焦って電話をかけて来たので、予約の時間通りについた私は、王さんのマッサージ室のある小さな古い雑居ビルの前で待っていた。

すると、すごく既視感のあるシルエットの自転車に乗った大男の姿が現れた。

ボリショイサーカスの小さなバイクに乗った熊そのまんまである。

お待たせしました!ごめんなさい!わたし、本当は時間に正確な人よ!と
謝る王さんに、いいえ、懐かしい光景でしたよと言うと何のことですか?と尋ねてくる。
王さんって、熊みたいですねと言うと、わたしのこと、熊さんと呼ぶ日本人沢山いますね!とちょっと自慢げだった。

その後、マッサージを受けながら、パンダの話になった。

パンダ?ただの熊ね!白黒がちょっとかわいいだけね!
自分が熊さんと呼ばれるせいなのか、なぜかパンダに敵愾心を持っている王さん。
パンダを借りるだけで何億円、しかも中国に返さなければいけないでしょう?もったいない、youtube で観るだけで十分ねとパンダ外交にも一家言持っている。

王さんは、基本丁寧な言葉遣いをするのだが、TVで日本語を覚えたので、バラエティに富んでいる。
ある時はNHKのアナウンサーのような標準語を話すときもあれば、日本のお笑い番組はとても面白いので大好きね!私、さんまさんの大ファンね!というぐらいなので関西弁を話すときもある。
ところがである。
日本のドラマもよく見ているので、福建省生まれの熊さんなのにイケメン俳優の口調になるときも時々あり、ちょッ待てよのキムタクか!と突っ込みたくなる時もある。

主人にそのことを笑いながら伝えたら、大人になって来日して日本語がそれだけ話せれるって凄いことだよ、君がこれから中国に住み始めても、絶対に王さんの日本語レベルの中国語を話せるようにはならないよと言う。

ある日から、王さんが、主人のがんの具合はどうかとやたら気にし始めた。
末期のがんなので、あとはなるべく楽に楽しく夫婦二人で暮らすだけですよと伝えたら、わたし、お金いりませんね、先生のがんわたしのお灸で治しますねと真剣な表情で訴えてくる。
早くしないと、間に合わなくなりますね、今から家に行きましょう、あなたのお灸より先生のお灸の方が大事ね!
とにかく強引に主人にお灸を施したがる。
主人に一応聞いてみたら、お灸で僕のがんが治ることは無いんだよと、王さんを傷つけないような言い方でお断りしてくれと言う。
正直なところ、主人の言う通りで、西洋医学の最先端の病院で末期と言われているがんがお灸で治ることなど100%ない。
それでも、王さんは、主人の身体はお灸でとても楽になるし、もしかしたらがんが小さくなって長生きできるのだと、一歩も引かない。

それで仕方なく、自宅に来てもらい、一度施術を受けることになった。

大男の王さんが、小柄な上に病でさらに小さくなった主人を抱っこして運ぶ姿は、親熊が子熊を運んでいるようだった。
大丈夫ね!私のお灸でどんどん良くなりますねとおだやかに声をかけながら、全身を丁寧にお灸で温めたところをもみほぐしていく。
結果的に言えば、もちろんお灸でがんが治るはずはないのだけれど、とても痛がっていた腰の調子は随分と良くなった。

主人が亡くなった後も、わたし、先生の体がすごく軽くてびっくりしましたよ、もっと早くわたしのお灸マッサージを受けていれば、もっと長生きできたのにと王さんは言い続けた。

実は、王さんが中国へ帰ってから、一回だけ電話をしたことがある。
懐かしい声で、元気ですか、一人で寂しくないですかと近況を報告しあい、また、電話してね、わたしも電話しますと生れて初めて中国に電話をした。

その三日後に、見知らぬ番号から電話があり出てみたら、こちらは中国大使館ですという女性の声の後に、謎の中国語でインフォメーションが延々続くので切ってしまった。

あれ、一体何だったのだろうか。
怖すぎて、それ以来中国に電話したことはない。

あの大熊、もしかして、お灸マッサージ師になりすました、大物スパイだったりして。








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