ダイエットへの覚醒 (エッセイ)

自分が太るとは思ってもいなかった。
例えば小学生や中学生の頃、クラスには一人や二人のデブキャラ、簡単にいえば肥満児がいたものであり、男子であればデーブだのブッチャーだの、女子であれば森三中などとアダ名をつけられ、中学生ともなると性に興味が湧いてくる頃だから、男子の場合だと目を閉じた状態でそいつの胸とかを揉むとまるで女性の乳房を揉んでいるような錯覚を覚えるというのでありとあらゆる男子から胸を揉まれて不純異性交遊ならぬ不純同性交遊みたいになったり、夏になるとデブは全身から酢酸を思わせる臭いを放つため、「なんか酸っぱい臭いしねえ?」だの、「誰か寿司握ってんの?」などとイジられ、それが繊細な心の持ち主だったりすると泣いてしまうこともあったものである。
ぼくは元々かなり代謝の良い方だった。多くの人間がそうであるように、何をいくら食っても全く太らず、それこそ前述のデブならではの苦悩など他人事として生涯を終えるものだと信じて疑わなかったのだ。
ところが、である。
ところが、なのである。
あれは三十の頃だった。ぼくは六本木の酒屋に勤めていたのだが、仕事仲間の一人がぼくに声をかけ、「ねえ、太った?」と訊ねてきた。訪ねられたものの、何せそれまで体形になど気を使ったことがなかったから、頭の中はクエスチョンマークである。トイレにいったついでに鏡の中を観察してみたが、うーん、太ったといわれればそうかもしれない、としった程度の感しか得られなかった。が、その仕事仲間の観察眼が鋭いそれだったことを、ぼくはそれから嫌というほど思い知らされるのだった。
酒屋ではあったが、店舗型ではなく業販型であり、すでに営業を始めている飲み屋へ納品する場合も多かったのだが、ゆく先々で「太った?」「すこし恰幅がよくなったね」「顔が丸くなった?」などといわれるのである。あるバーの女性バーテンダーなど、「巨大化してないですか、最近?」などと訊く。巨大化って。なんか放射能を浴びた怪獣みたいじゃないか。
そこからぼくの対応は早かった。納品の帰途、六本木のドン・キホーテに立ち寄り、ダイエットグッズをあれこれと買い込んだのである。縄跳び用のビニール縄、横になった状態で腰を乗せて左右にゆらゆらと揺れる謎のマシーン、顔瘦せに効くという表情筋を鍛錬するためのよくわからない筒状の物、などなど。特に筒状の物は使用するその様子があまりにシュールであった。性玩具みたいなゴム製の筒を口で加え、両頬をすぼませる、というマヌケな運動を無限に繰り返す。頬をすぼませる度にその筒がシュポシュポと音を立て、まるで女性がオーラルセックスの練習でもしているような様なのだ。とにかく、様々なグッズを用い、ぼくはダイエットへの第一歩を踏み出したのである。
だが一向に効果は現れず、むしろぼくの体重は増加の一途を辿った。
問題は、ぼくの意思が弱すぎる、といった点だ。
ぼくの意思の弱さは、ある一部の界隈で有名だったりする。
なにせ筋トレは小さな理由を見つけてはそれを頻繁にサボり、習い始めたピアノは四日ほどで匙を投げ、最長禁煙記録は九時間四分。それは禁煙していたのではなく、ただ単に吸わない時間が九時間強あった、というだけに過ぎないほどの最短レコードといえる。のちにジム通いも始めたが、最初の頃こそサイクリングマシンを漕ぎ、トレーナーに組んでもらったメニューをこなしたあと大浴場で汗を流していたのだが、次第にトレーニング量が減少し、最終的にはジムの入り口にある端末で会員証を照会させたあとトレーニングルームへはいかず大浴場へ直行するようになり、広い風呂だけ楽しんで帰宅する、といった利用状況へと陥った。これではジム通いではなく銭湯通いである。根が怠惰であり、とにかく意思がものすごく弱いのだ。
あれから十年が経つのだが、ぼくは未だにあれこれとダイエット方を調べ、現在はケトジェニックというのを試しつつも、まあこれもさほど長くは続かないだろう、などと思っている。

(了)

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