はじめに

わたしは昔から文字で何かを表現することが好きだった。幼稚園の頃から自分で小説を書いていた。大学ではラジオの脚本を書いた。将来は記者になりたい。私は文字と共に生きる。

自己表現をするための媒体は沢山ある。映画、ダンス、音楽、絵画、写真etc。枚挙にいとまがない。

「でも私には文章しかないんです」

ここでは自由に自分の感じたことを書く。本の感想、映画の感想、社会や政治について。とにかく何かを書きたくなった。

雑記1

最近自分を表す言葉でしっくりくるものを見つけた。「名誉男性」。
この言葉を創り出した人は友人Aの元カノで、私とは全く面識がない。なんとなく私に似ている人物なのだろうと思う。

私は映画鑑賞と読書が趣味だ。好きな監督は相米慎二、濱口竜介。最近読んだ作家は西村賢太に田中慎弥、そして寺山修司。

Aと私は映画や読書の話をよくする。
こないだ私は同性で相米慎二や濱口竜介、西村賢太、寺山修司の話ができる友達がいないと言った。すると、Aは自分の元カノも同じ事を言っていたという。
「私は名誉男性だからね」
彼女はそう言ったそうだ。映画も読書も突き詰めていけばそこにあるのはマチズモなのかもしれない。「男性」としての感性を持ち合わせなければ楽しめないのかもしれない。映画を観るとき、読書をするとき、インターンシップに行くとき、大学でディスカッションをするとき、私は極めて「男性的」である。名誉男性の皮をかぶる。

では何故私は名誉男性になったのか。それは、私の所属しているサークルが男性優位社会だったからだ。一年生のころ、「女子」として生きたいのなら求められていることは無害さと顔の可愛さだと感じた。これらの要素を持ち合わせていないものが男性優位社会に馴染むための方法は一つしかない。
「女性を捨てよ、男性になろう」
男性になる方法は大きく分けて二つある。
一つは所謂「女性らしさ」を徹底的に排除することだ。恋愛を関係性に持ち込まない、服装や立ち振る舞い言葉遣いを男性に近づけるなど。
セックスの面で男性になる。

二つ目こそが「名誉男性」になることだ。男性同等の教育を受け、男性同等の社会的地位を獲得し、男性と共に文化を嗜む。ジェンダーの面で男性になる。

私は二つ目を選んだ。好きに恋愛したかったし「お嬢様学校」で6年間「お上品で貞淑なお嫁さん」を教育された私はセックスとしての「女性」を捨てることは難しかった。

長々と思うままに書いたが、これが私の最近の議題である。

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