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けめたんと少年野球監督オオノ

日曜日の昼下がり

日曜日の昼、オオノはグラウンド近くのラーメン屋で昼食をとり、ほっとひと息ついていた。食後に自販機で買った缶コーヒーのプルタブを開ける瞬間、けめたんがそっと現れた。

「その黒い水は美味しいんですか?」けめたんは興味津々な顔で尋ねる。

オオノは、驚くこともなく「おっ、けめたん来てたのか。アイスコーヒーはな、ラーメンの後の口直しなんよ。この苦さというか酸っぱさが、食後のクセになっとるんよ」とニヤリと笑った。

けめたんはオオノがコーヒーをくるくるとかき混ぜる様子を見ながら、不思議そうに首をかしげた。「甘くも辛くもないのに、楽しそうに飲むんだね。」

オオノはしみじみと缶コーヒーを見つめ、「ほんまよな、いつの間にかこうして飲むようになったわ」と笑い、ひと口含んだ。

なぜ休まず指導を続けるの?

けめたんは、青空の下で堂々とコーヒーを飲むオオノに向かって言った。「せっかくの日曜日なのに、休んだり遊んだりしないの?」

「そうよなあ…」とオオノは考え込むように視線を遠くへ向けた。「奥さんにも呆れられとるし、『ちょっとは休みなさい』とも言われるけど、不思議と疲れたとか思わんのよな。むしろ、子供たちと過ごすこの時間が生きがいみたいなもんで。ハリがあるんよ。」

けめたんは小さくうなずき、「じゃあ、野球をするんじゃなくて、教えるのって面白いの?」と尋ねた。

オオノは缶コーヒーを片手にグラウンドの方を振り返りながら、「自分がプレーしてた時よりも気を使うし、教えるのは想像以上に骨が折れるよ。正直、イライラすることもあるし。でも、子供がふと上手くいった時、成長した瞬間を見ると、ゾクっとするもんなんよな。その瞬間のためにやってるようなもんよ。子供たちは、毎週そんな瞬間を見せてくれるんよな」と目を輝かせて答えた。

けめたんは嬉しそうに「子供たちのためが、自分のためにもなっているんだね」と応えた。



ゾクっとする瞬間たち

オオノは缶コーヒーを片手に、グラウンドに向かって歩き出す。けめたんもその隣を、静かについて行った。

歩きながら、オオノはふと思い出すように、少年野球の指導の中で「ゾクっとする瞬間」のいくつかを語り始めた。

「例えば、チームの中でもひたむきに練習してた子がいるんよ。バッティングが苦手でな、なかなかヒットも出んかった。でもある日、練習のバッティングでポンと外野を越えるボールを打って、チームのみんなが『おお!』って驚いてな。あの時は思わず手が震えたよ。」

けめたんは静かに聞きながら、オオノの隣でうなずいている。「みんなで一つの成長を喜ぶ瞬間、素敵だね」とぽつりと言った。

さらにオオノは続けた。「僕の息子も以前このチームにおったんよ。今は大学生じゃけど。6年生の秋に、初めてのホームランを打ったんよ。」

けめたんは目を輝かせ、「それは素晴らしい!興奮する一打だったね!」と声を上げた。

オオノは遠い目をしながら、「そうだな、でもな、あの時は興奮というより涙が止まらんかったよ。うちの子はずっと上手じゃなくて、ヒットもほとんど打てんかったんよ。じゃけど、シーズン最後の試合で大きなホームランを打ったんよ。それを見た時、親としていろんなことが頭をよぎって、涙が出てきた。ふとベンチを見たら、コーチも泣いとった」

けめたんは、「そんな一打、親にとっても特別だったんだね」としみじみと語った。

オオノはうなずきながら、「あの時の体験がな、今こうして指導を続ける理由の一つになってるんよ。恩返しみたいなもんかな」と静かに言った。

グラウンドに戻って

やがて二人はグラウンドに戻ってきた。遠くの方で、元気いっぱいの子供たちがオオノの姿を見つけて駆け寄ってくる。

「監督!バッティングマシンお願いします!」
「ノックもお願いします!」

オオノはにっこりと笑い、「よーし!」と大きな声で応えた。彼の顔には、満ち足りた表情が浮かんでいる。

けめたんはそんなオオノの姿を見つめ、「どんな選手にも、それぞれに物語があるんだね」とぽつりとつぶやいた。

けめたんとの別れ

グラウンドから離れる時、オオノはポケットからキャラメルを取り出し、けめたんに手渡した。「これ、疲れた時に食べると元気が出るんよ。けめたんも帰る途中、食べてみな。」

けめたんはキャラメルを見つめて、「ありがとう。家に帰るときに大事に食べるよ」とほほ笑んだ。

けめたんが立ち去ろうとするその時、オオノはふと手を振りながら、「けめたん、またな!気をつけて帰りよ!」と声をかけた。

けめたんは「ありがとう、監督さん!」と返し、スッと森の方に消えていった。

けめたんが去った後、ふとオオノは地面を見ると、キャラメルがそのまま残されていた。彼は不思議そうに笑い、キャラメルを拾い上げてポケットにしまった。

「忘れていきよったわ…」とつぶやきながらも、オオノは心の中にあたたかい余韻を感じていた。

遠くから聞こえる子供たちの元気な声に応え、ゆっくりと歩き出した。

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