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1 マーク・ザッカーバーグとイーロン・マスクの名前を知らない人でも、ザッカーバーグが創業したFACEBOOKとマスクが保有するtwitterを知らない人はいないだろう。
今や世界中の多くの人々にとってなくてはならい存在となった両社であるが、私はこれまでにFACEBOOKを利用したことはないし、twitterはnoteで記事を書き始めて一月ほど読者の方との交流用にアカウントを作ったはいいが、つぶやく話題もないし、誰からも返信がないので空しくなって一月足らずで利用を止めてしまった。
私の知り合いには、FACEBOOKが日本に入ってきた当時に流行に遅れまいと参加した人が多かったが、今では「忙しくて更新する暇がない」「個人情報の流出が怖い」といった理由で、その後利用を辞めた人がほとんどである。
いわゆる有名人のようにマスメディアを介して間接的にではなく、直接彼ないし彼女の支持者と繋がる事に価値を見出せる人々にとっては今後もFACEBOOKやtwitterは利用され続けるだろうが、それ以外の無名人にとっては、FACEBOOKもtwitterも自己顕示欲の発散手段としては便利だろうが、別に無くても困らないと私は考えている。
さて、マーク・ザッカーバーグがBJJ(「ブラジリアン柔術」)をやっている事を皆さんご存じだろうか?
全くの私見になるが、少なくとも日本人を見ていると「金持ちには暇がなく、暇人には金がない」というある種の法則が成り立っているように思われる。特に日本では株の収益や社債の利子で稼ぐ不労所得だけで生計を立てている人が非常に少ないので、金を持っている人は労働時間が長くて余暇に割ける時間が少なくなる傾向にあるから、「金持ちには暇がなく、暇人には金がない」という法則が比較的よく当てはまるのではないかと思う(日本の問題は、労働生産性が低くて、「金がなくて、暇もない」人々が多い点だと思うが、その点については本稿の対象外として割愛する)。
今仮にこの法則がアメリカにおいても当てはまると仮定するならば、ザッカーバーグのような大金持ちは、金はあっても暇はないはずで、その仮説が正しいとすれば、ザッカーバーグは上の試合動画を見ても、少ない練習時間で一生懸命BJJに打ち込んでいるという事が伺える。
2 日本でもザッカーバーグのメタ社が立ち上げた「Threads(スレッズ)」 のサービスが今日から開始されたが、twitterのオーナーであるマスクはこれに対して、早速次のように噛み付いている。
この「Threads」とtwitterの争いは、SNSでの競業者同士のビジネス上の抗争であるが、一月ほど前からアメリカでは(ザッカーバーグがBJJをやっているからだろうが)次の記事に見られるように面白おかしく取り上げられている。
二人ともそんなに暇ではないはずだから、ザッカーバーグとマスクがマット上で対決する事は実際にはあり得ないだろうし、私は彼らの対決の結果に(それがマット上のモノであれ、本業の方であれ)も興味がない。
ただ、私がここ一月マーク・ザッカーバーグとイーロン・マスクという時代の寵児を巡ってBJJコミュニティで発信された記事を読んでいて思ったのは、「アメリカでもBJJはマイノリティのスポーツなんだな」という事である。
考えてもみて欲しい、もしザッカーバーグの趣味がテニスやサーフィンだったら、その事がいちいちネット上で人々の耳目を集めるようなニュースになるだろうか?
「ニュース」がニュース足りうるためには、「速報性」と「新規性」(「珍奇性」と言ってもいい、要するに「物珍しさ」という事である)が必要だが、ザッカーバーグがBJJをトレーニングしているという事がニュースになる時点で、それが意外性があると人々に思われている証拠だからである。
ザッカーバーグの趣味がテニスやサーフィンなら、ビジネス誌の彼らへのインタビューでひと言話題になる事はあっても、ここまで大々的に継続的に取り上げられることはないだろう。
話を日本に戻すと、日本ではBJJに限らず格闘技を見る人はおろか、実際にトレーニングしている人は社会全体から見れば一部の少数者である。だから、たまに有名人がBJJをやっているという話が出るとBJJ村の人々はすぐこの話に飛びつく。
そうした状況を見ていても、BJJはマイノリティスポーツだから社会に対して市民権を得ようとアイコンないしアイキャッチとなる存在を無意識に欲しているのだろうと思えてならない。
そして、そういうアイコンないしアイキャッチとして捉えられた有名人が今日に至るまでBJJを続けているという話はほとんど(「全く」ではない)聞かない所を見ると、BJJをファッション(流行)としてやる事は出来ても、それをライフスタイルにまで昇華するのは無名人と同様に難しいのだろう。
BJJ村の一部の人々は、世間的に見ればマイノリティであるにも関わらず、村の中では実に声が大きい。そういう意味では、「ノイジーマイノリティ」の典型と言ってもいい。プロとして柔術に携わっている方は別にして、アマチュア柔術家はBJJマスメディアの雑音に振り回されず、そうした声が世の中の大半の人々には理解しがたい妄言であることに自覚的であって欲しい。クレイグ・ジョーンズが述べた「JJIUJITSUは君の人生を救うよりダメにしてしまうことの方が圧倒的に多い」という現象は、ノイジーマイノリティの妄言に振り回されて、社会との距離感を捉え損ねた結果だと私は思っている。
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