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noteの収益化

1 noteというプラットフォームは非常に良く出来ていると思う。
 
 ここで記事を書いているからと言って、世辞を述べているわけではない。

 noteの企業理念が「クリエイターの育成」にあるのだとしても、noteという場は、創作小説や漫画のようなクリエイティブな作品に限らず、私的な日記やSNSの代替物として利用する事も許されている。
 要するに、コンテンツの内容に対して(それが法に触れない限り)価値中立的な態度を取っているという点が、noteの大きな魅力だろうと思う。

 創作小説や漫画を書く才能は無くとも、私の書いた記事を購入し、投げ銭をして下さる読者の方と出会えたのはnoteのお陰と言っていい。

 さて、noteにおいて一番売れている記事のジャンルは何だろうか?

 聞くところによると、それは「noteの収益化」に関する内容を扱ったものらしい。

 私も人並みにお金が好きである。
 
 資産運用に頭を悩ますような大金は不要だが、もう少し懐に余裕が欲しいというのは偽らざる本音だ。
 懐に余裕があれば、週に1度のワインを1000円台から2000円台にランクアップする事も出来るし、円安を意に介する事無く、BJJ(ブラジリアン柔術)のギを個人輸入する事だって不可能ではない。
 だから、「noteの収益化」に関するノウハウに興味が全くない、と言えば嘘になる。

2 「noteの収益化」に関する記事を見てみると、記事の価格が1000円を超えているモノが多い。

 記事一本の価格を1000円に設定するというのは、私からすればかなり強気の価格設定だと思うが、それが可能なのは、ひとえに「noteの収益化」関する情報に対して、高い需要があるからだろう。
 とはいえ、そうした記事(の無料部分)を読んでいると、どれも内容は似たり寄ったりという気がする。

 冗談抜きに、「noteの収益化を図りたければ、どうすればnoteで収益化出来るか?というノウハウを記事にするのが一番手っ取り早い」と書いたモノもあった。

 あくまでも私の推測だが、「noteの収益化」に関する記事を購入した人が、その内容に多少手を入れて、同じように有料記事で(再)販売しているような事例もあるかもしれない。

 「noteの収益化」に関する記事を書いている人々の全てがそうだとは思わないけれども(中には、本当に価値の高い記事だってあるかもしれない)、どうも記事が再販売されている状況は「ネズミ講」に近い印象を受ける。

 それと同時に、そうしたコピペ記事の作成者達は、余人を以って代え難いという意味で「クリエィティブなコンテンツの作り手を育成する」というnoteの企業理念からは一番遠い所に位置する存在に思えてならない。

 話が分かりにくくて恐縮だが、「noteの収益化」に関する記事を見ていると、noteが記事の内容に対して価値中立的で万人に開かれた場である、という長所が、「noteでひと儲けしてやろう」という手合いに悪用?されているというのが、私の率直な感想である。 

3 システムがどのような理念に基づいて設計されていようと、それが価値中立的なものであればあるほど、利用者に悪用される可能性はある。

 例えば、選挙法は、選挙活動の自由を保障しつつ、その弊害を予防するために各種の規制がなされている。
 
 先日行われた都知事選の政見放送中に脱いだ女性がいた。
 おそらく彼女は、都知事になる気が最初から無くて、都知事選の機会を利用して自分の知名度を上げようという一種の営業活動をしていただけだと思われるが、選挙法は、選挙活動名目下でなされる営業活動の存在を想定していない。

 件の女性の政見放送に対しては、供託金が安すぎるからこういう事が起こるのだという指摘もある・・・確かに、供託金制度は泡沫候補の乱立を防ぐためにあるので、供託金を値上げすれば今回のような事態をある程度防ぐ事は可能だろう・・・が、一般人に払えないような高額の供託金を設定してしまうと、国民の基本的人権のひとつである「立候補の自由」に対する過度の制約になりはしないか?という危惧がある。

 また、収録された政見放送を事前にチェックして、選挙活動とは関係のない内容であればこれを放映すべきではないという意見もあるようだが、これは、選挙活動との関係の有無を国が判断するのであれば、憲法上禁止された検閲そのものである。
 仮に、候補者が国にとって不都合な人物である場合、彼ないし彼女の政見放送を「選挙活動とは関係がない」という理由で、事実上視聴できなくしてしまう事の方が、視聴を許してこれを批判の対象とするより、もっと選挙活動の自由、ひいては民主主義そのものに対する侵害になる危険性が高い。

4 「noteの収益化」に関する記事を読み、都知事選の政見放送で起こった事件を見ていると、今の日本には、小金を稼ぐために、既存のシステムをその制度理念が想定していない形で利用し、それを金に替えるのが「賢い」と思っている人が一定数存在するという事実が見えてくる。

 記事の内容がオリジナルでなくても、売れさえすれば何をやっても構わない?
 広告費として供託金を払ったのだから、選挙活動中に営業活動をして何が悪い?

 少なくとも私は、いくらそれが収益化の近道であったとしても、「noteの収益化」に関するノウハウについて記事を書きたいとは思わない。

 そうは言っても、私には恥を捨てて金に替えるような「賢さ」がないので、自分の記事にどのようにオリジナリティを付与していけばいいのか?という点が、今後とも課題である事に変わりはないのだが・・・

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