完璧な護身術

1 「護身術」「セルフディフェンス」という言葉ほどBJJで誤解されている言葉もないだろう。多くの人は「セルフディフェンス」と言えば、誰かに不意に襲われた時に、これを防いで反撃し、相手を制圧する事だと思っている。
 「セルフディフェンス」についてそのような考え方をしている人は、「銃やナイフを持った相手に対して柔術は無力ではないか?」と言って非難する。
 私に言わせれば、そういう人々は「セルフディフェンス」という考え方を分かっていないと思う。確かに、グレイシー柔術には「護身術」として銃やナイフを想定した型もある。だが、それらの型を稽古しても銃やナイフを持った相手に反撃して、これを制圧することはほとんど不可能だろう。
 「護身術」「セルフディフェンス」というのは、私の考えでは「危難に遭遇しても身を守り、サバイブ(生き延びる)する」事に尽きる。私の考えが正しければ、「襲われた相手に反撃する」必要はなく、「襲われた相手から無事に逃げのびる」事が出来れば十分なはずである。
 「護身術」「セルフディフェンス」という言葉の文字通りの意味を考えれば明白で、この2つの言葉のどこにも「相手に対する反撃」という意味合いは含まれていない。

2 だから、「セルフディフェンス」という思考を、例えばBJJの公式試合に適用するなら次のようになるだろう。
 5~10分の試合に出て、試合中に一度もタップを取られず、ケガしないで帰宅できれば、「セルフディフェンス」としては100点満点を付けていい。
 また、もし周りから試合に出ることを勧めらている人がいて、彼(ないし彼女)が「試合に出たくない」と思っているならば、試合に出ない事が「セルフディフェンス」的には正しい判断である。
「試合に出るかどうか」で迷うくらいなら、試合には出ないほうがいい。中途半端なモチベーションで試合に出てケガをしてしまっては元も子もない。
 さらに、貴方がオープンクラスにエントリーして、相手が自分より30キロ重かったとしよう。もし、自分のディフェンス技術に自信がないなら、迷わず「棄権」すべきである。確かに、自分より30キロも重い相手との試合に逃げずに立ち向かえば、周りは「ガッツがある」と言って賞賛してくれるかもしれない。だが、「セルフディフェンス」としては、まずはケガをしない事が試合では一番重要になる。この場合、「逃げる」勇気を持つことが、「セルフディフェンス」としては正しい心の持ちようだと私は考えている。

3 表題の「完璧な護身術」は次の記事から取った。

 この記事も一瞬「エイプリルフールネタ」ではないかと思って、ファクトチェックをしたが、本当にカーロスjrはこういう発言をしたようである。
 私の「セルフディフェンス」観からは、「柔術を知らない」という意味での素人を相手にマウントを取ることは「セルフディフェンス」に必要ない。そういう素人に襲われたら、まずは五体満足で無事にその場から逃げる事、それこそが「セルフディフェンス」だと思う。
 また、「柔術を知らない」素人相手にマウントを取る事がカーロスjrが言うほど簡単な事だとは私には思えない。MMAを数年やっている、あるいは、レスリング経験のある若い子とグラップリングクラス(=ノーギ)でスパーすると、私は彼らから5分でマウントを取ることはほぼ不可能である。私に出来るのは、彼らから5分でタップを取られないことだけである(それでも時折タップは取られる)。若くて運動能力に恵まれた子達を相手にしていて思うのは、5分くらいの短い時間で彼らはまずバテないので、ド素人でない限り、彼らからタップを取るには10分、20分と言った長い時間が必要になるという事である。
 もし「スポーツ柔術が完璧な護身術」というカーロスjrの言が正しいのなら、スパイダーガードをマスターすれば、グラップリングでも彼らから5分でマウントを取れるのだろうか?そんなはずはないだろう。
 もし「完璧な護身術」というモノがあるとすれば、それは銃やナイフを相手にしても「勝てる」技術ではなく、最初から銃やナイフを所持した相手と対峙しないで済むように、「危ない場所には行かない」という心構えを習得する事に尽きると思う。
 柔術を「セルフディフェンス」として稽古するのは、「何が、何処が、誰が危ないか」という一種の危機感知能力を高めるためである。その結果、心身ともに「平穏無事に過ごす」事が出来るようになるのが私の理想である。

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