「ブライアン・グリック」という生き方

1 とある道場では「〔毎月〕先着10名様入会金無料キャンペーンを実施中」らしく、毎月のように月の半ばから20日過ぎには10名の枠が埋まっているようだ。
 大きな道場なので、無料キャンペーン外でも入会している人はいるだろうと思われるが、コンスタントに月10人入会するならば、年で120人。5年もあれば600人は入会している計算になる。
 その道場の集合写真を見ると、だいたい60人程度の方が映っていた(都合が付かずに来られなかった人も大勢いただろうから、現在会員数は100人近くいるかもしれない)。
 
 私がその道場のFACEBOOKを見て思ったのは、毎年100人以上の方がBJJを始めるような大きな道場であっても、相当数の人が稽古を続けられずに道場を去っていくという現実である。
 その道場はインストラクターを複数抱え、カリキュラムもしっかりしているから、年々規模が大きくなっているが、それでも入会者=現在会員数にはならない。一昔前のウチの道場のように「入った分だけ辞めていく」という状況に比べれ圧倒的にマシだが(それはひとえに、この道場の会員定着に向けた努力の賜物であろう)、そういう努力をしている道場であっても、BJJの稽古を中途で辞めてしまう人が出るのは避けられない。

 仕事や家庭の都合から、怪我や道場内での人間関係等稽古を辞める理由は人それぞれだと思うが、少なくとも他の武術と違って、BJJにおいては「試合に勝てない」「試合に出たくない」という理由で稽古を辞めてしまう人が相当数存在するのが特徴だろう。

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 ジョン・ダナハーは、競技柔術に勝つための二つの両極端な考え方を提示している。

 ひとつは、対戦相手よりも「より速く、より強く動く」事で、ゲームをコントロールするやり方である。この考え方を実践するためには、対戦相手よりもフィジカル面で自分の方が優れていなければならない。極論すれば、どんな相手にもスクランブルで絶対に勝てるだけの身体能力が必要になる。
 もうひとつは、スクランブルを極力起こさないよう、ゲームをスローダウンさせ、相手のフィジカルがゲームに反映されるのを最小化させるような戦い方である。パスガードを例に取ると、相手のオープンガードを各種テクニックを用いて一発でパスしようとするのではなく、まずハーフガード(トップ)に入って試合展開をスローダウンさせる。サイドやマウントコントロール下に置かれても、パニックを起こさずきちんとディフェンスをし、相手のミスを待って、エスケープし、そこからガードに戻す(それからアタック)という考え方である。この考え方を実践するには人並み外れた身体能力は必要ないが、その過程で相手にポイントを取られる事を覚悟しなければならないし、何よりサブミットする迄時間が非常に掛かる。

 現在の競技柔術において試合に勝つための考え方の主流をなすのは、ダナハーが上で説明した二つの考え方の前者の方だろう。
 先日行われた大会で、マスターの青帯の試合を見ていると、腹筋の割れた屈強な男達がマットの上を全力で飛び回っている。私にはとてもそういう動きは真似できないし、彼らと公式試合のルールで試合して、ポイント勝ち出来るとも思えない。
 ただ、彼らが試合でそれだけのパフォーマンスを発揮出来るようになるために相当無理な練習をしている事だけはよく分かる。
 これまで格闘技経験のない人がBJJを始めて、まず戸惑うのは試合との向き合い方だろう。入会する前はBJJに試合がある事すら知らなかったのに、入会した途端「試合に勝つ事がBJJの全てだ」という空気に接すれば、それに疑問を感じる間もなく、試合に勝つためのトレーニングをせざるを得ないのかもしれない。そして、そうした空気に疑問を感じず、週に5回以上練習し、道場外でフィジカルトレーニングをこなせた人は試合に勝てるが、大多数の人はBJJに対してそこまでの熱量も持てないし、それだけの練習時間を確保できないはずである。
 そして、仕事や家族との兼ね合いでやりくりした練習時間の中で、周りに叱咤されて試合に出ては見たが、普段から自分の何倍も練習している人に当たってボロ負けすれば、「自分はBJJに向いてない・・・」と心が折れて辞めてしまうのは当然だろう。あるいは、最初からそうした勝利至上主義に疑問を感じた人は試合に出る前に「BJJは自分には合わない」と思って辞めてしまうと思う。
 
3 今のBJJの道場主の圧倒的多数の方は、競技で結果を残した人々だから、「より速く、より強く」動くことで勝ってこられたのだろうし、そうした成功体験を門下生にも押し付けるのは致し方ない面もある。
 今の競技柔術のあり方(特に、「より速く、より強く」動くことが勝利への近道だとする考え方)を前提にすれば、「試合で勝つためにはどうすればいいか?」という事を教えるのを道場の運営方針とするのは間違っているとは言えないが、残念ながらそれでは道場に入会した会員のうち、ごく一部の試合強者しか育てられない。

 私は、ダナハーが対戦相手に勝つための選択肢として挙げた考え方のうち、当然のように後者を選択して稽古しているが、このやり方ではポイントゲームで相手にまず勝てないし、サブミットしようと思えば5分ではとても時間が足りない(注1)。

注1)下記のような試合を評価出来るかどうか?で後者の考え方に対する立場が分かれるだろう。


 ただ、この考え方の良い点は、スクランブルを極力回避するので(私の場合、スクランブルの気配を感じたら自分から下になる)、特別なフィジカルトレーニングをする必要がない。また、「ディフェンス」や「エスケープ」という柔術の基礎を磨く事が必須になるので、加齢と共に衰えるという事もあまりない。
 もうひとつ、「より速く、より強く」動く考え方と違って、稽古時間に比例して技量が伸びる。特に試合を前提にしなければ、格闘技経験0の人でも確実に伸ばすことが出来る。

 ただし、先に述べた事の繰り返しになるが、後者の考え方では「(公式)試合に(まず)勝てない」ので、「試合に勝つ事がBJJの全てだ」と思っている人からはこの考え方は絶対に評価されない。その意味で、後者の考え方に即して柔術に取り組めば、迷いはなくなるし、確実に技量は上達するが、周囲の評価は期待しない方がいい。むしろ、周囲から白眼視される覚悟が必要かもしれない。

 私は自分をBJJ愛好家ではなく、弱くても「武術家」ないし(古流も含めた広い意味で)「柔術家」だと思っているが、武術的な発想がないとダナハーの挙げた後者の考え方の実践は難しいかもしれないと以前は思っていた。
 幸いにして私よりも遥かに優れたロールモデルが存在したので、本稿を読んでいる方の中に、BJJの稽古を辞めようか?迷っている、そうでなくても、今のBJJのあり方に疑問を感じている人がおられるとすれば、そういう方々のために「ブライアン・グリック」を紹介したい。

 ウチの道場で一緒に稽古している子がこのブログを見付けてくれたのだが、「ブライアン・グリック」は20年前以上前にダナハーから「君は線が細くてBJJには向いてないから辞めた方がいい」と言われたにも関わらず、「試合には出ない」という選択肢を選んで今日まで稽古を続けた結果、ダナハー門下の黒帯として、今では世界的に有名なインストラクターになったのである。
 「世界的に有名」というのは余計かも知れないし、「ダナハーの黒帯」という肩書がそれに寄与している点もあるだろうが、「ブライアン・グリック」の技術は本物である。
 私も特にダナハー関連の記事の執筆に際して、彼のYOUTUBEから動画を引用させて貰っているが、それは彼の技術がダナハーのシステムズに一番忠実だからである。


 私の技術レベルは「ブライアン・グリック」に遠く及ばないが、それでも次の事は確実に言える。柔術は「なぜ、いつ、何のために」という点を明確化する意識さえあれば誰でも上達できる。
 個別のテクニックの選択において「なぜ、いつ、何のために」という視点が重要であることは繰り返し説いてきた(注2)が、それと同じく、あるいはそれ以上に、自分が「なぜ、何のために」柔術を稽古するのか?という目的意識をハッキリさせることが、稽古が続く最大の秘訣だと思う。

注2)


 柔術を稽古する目的を自分なりに突き詰めた結果、「試合に勝ちたい」と思って練習に励むのであれば、それはそれで素晴らしいことだ。ただ、「試合に勝ちたい」と思っても、勝てない人(ここには、勝つための練習時間を確保できない人も含む)に「セルフディフェンス」という別の柔術がある、という事を提示するだけでは不親切だと思っていたので、第3の道として「ブライアン・グリック」という生き方があるという事を本稿では提示した次第である(おそらくそれ以外の道もあるだろう)。
 せっかく始めた「BJJが自分に合わない」と思って辞めてしまう前に、「BJJを自分に合わせる」という発想があってもいいのではないだろうか?

 
 

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