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『The Painted Bird(異端の鳥)』

映画『異端の鳥』

傑作である。2019年制作のチェコ・ウクライナの戦争映画。第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れ疎開した一人の少年が、異端として様々な差別や暴力に抗いながら、なんとか生き延びようとする姿を描く、169分の長編映画。

かなり過激な戦争映画のため、撮影地を特定されぬよう、インタースラーヴィクという人工言語が用いられている。


あらすじ

少年と両親が住む地域では、ユダヤ人狩りが行われていたため、息子だけ田舎に逃した。ただ、ここでのユダヤ人差別は過激で、息子は口をきけなくなった。

疎開先の叔母が急死した衝撃でランタンを落とし火事になり、少年は当てもなく歩き出した。

たどりついたある村では、袋叩きにされるほど迫害を受けたが、祈祷師であるおばさんの家に居候することになる。ただ、他の村人にひどく嫌われており、ある日川に落とされる。

その後、いくつかの家に行っては迫害を受けて逃げるという日々を送った。人として認められず性奴隷にされることも多々あった。

そんな中、少年は、ただ攻撃されるだけの受け身な姿勢から、自分の命を守るために人を殺すほど積極的な姿勢に変わっていった。

かくまわれたロシア軍で、ある兵士に殺しを教わり、自分を迫害した男性を殺すまでに、生きることに必死になっていた。

やがて戦争が終わり、父親に見つけられる。自分一人を過酷な状況に追いやった父親をひどく恨み、心も口も閉ざした。ここで、はじめて家のガラスを割るという感情の爆発がある。

家に向かうバスの中で、ふと父親を見ると、腕に強制収容所の番号が彫られていた。自分だけではなく、父親も命がけで生き延びたのだと知る。

眠っている父親の横で、少年は、曇った窓ガラスに自分の名前を書いた。

少年の自我

この映画で、もっとも素晴らしいと思う場面は、少年が、眠っている父親の横で、曇った窓ガラスに自分の名前を書くところである。

父親も残酷な仕打ちを受けながら生き延びてきたことを知り、自分を見つめ直す。さんざん父親を憎んでいたし、その気持ちが完全になくなるわけではないにせよ、それでも父親が田舎に逃したことでつながった命を、なんとか大切にしようという覚悟が表れている。

ここで、少年の名前が初めて明かされることも示唆的である。少年は、いくつかの家や軍隊を渡り歩くが、ほとんど話さない。何か抵抗するときだけ少し感情を吐露しているに過ぎない。自分の意思を誰かに明示的に示すことをしていない。

孤児院に入るときの面談で、名前を聞かれても一切口を開かなかったことから、まだ「JOSCA」として生きていない。必死に生き延びてはいるのだが、一人の少年として生きている。

それが、父親の腕を見て覚悟を決める。いちユダヤ人としてではなく、「JOSCA」として生きることを窓に書くことで、かろうじて外に自分の存在を知らせることができた。

最後のシーンで、大空に1羽の鳥が飛んでいる。迷いながらも進んでいく「JOSCA」を映し出している。

積極的に生き延びる

少年の自我という視点で考察していく。

少年が最後に自分の名前を自覚するのだが、それまでにも自我の芽生えは見られた。場面が進むにつれて、少年自身が生きることを選び、そのためには殺人もためらわなくなっていった。

最初の場面では、叔母のいる疎開先で飼っていた犬を、少年らに奪われ生きたまま燃やされる事件が起きた。少年はただ悲痛の叫びを訴えるだけで、何もできなかった。

その後叔母が急死したときも、衝撃のあまり持っていたランタンを落とし、家が燃えてしまう。なすすべなく、当てもないまま歩き続けるしかなかった。

その後先ほどの祈祷師の家に居候させられることになるのだが、少年の自我が芽生えていないことの象徴的シーンがここにある。

祈祷師の助手として働いていた少年だが、ある日体調を崩す。祈祷師は、おそらくだが、治療として邪気を払うために、少年を顔以外土に埋めて、周辺を燃やす。翌朝、少年が目を覚ますと、カラスが寄ってたかって頭をつつく。それを祈祷師が追い払っていたため、殺そうしたのではなく、荒両地だったと思われる。とはいえ、完全に動けない状態にされ、かなり熱い中に閉じ込められていたため、少年が自我を持てずに周囲の人の思うがままにされていたことを象徴的に表している。

だが、その後少年は、徐々に積極的に生き延びることを選択するようになる。先の村で川に落とされた後、少年は、ある夫婦の家にたどり着く。そこでは、奥さんと使用人の男性が恋愛感情を抱いているような雰囲気があり、夫は、憤り、妻を虐待し、使用人の目を抉り取り追い出す。

このままでは危険だと判断し、少年はここで、初めて「逃げる」ことを選択する。主人が眠っているすきに抜け出すことに成功し、道中倒れていた使用人に腐った目玉を渡す。少年がはじめて他の人よりも優位になった瞬間である。

小鳥を大量に飼っているおじさんのもとにたどり着く。ただ、この男性は、飼っていた鳥にペンキで色を付けて元の群れに放ち、いじめられることに快感を覚えていた。この男性は、ある日ルドミラという女性に誘惑され幾体関係を結ぶが、彼女は、他の男性も誘惑する節操なき女性であり、そうした若者の女性にひどい暴行を受ける。それが原因で彼女は死に、男性も自殺する。首をつり死に切れていない男性の苦しむ姿を見て、少年は男性にしがみつき、息を止めた。少年が、誰かの死にはじめて積極的に関与した、印象的な場面である。

その後、少年は、飼われていた鳥をすべて放ってやった。過酷な中でも、少年の心には優しさが残っていた。

放浪していると、けがをした馬を見つける。助けてあげようと近くの村に行くが、その馬が殺されてしまう。その流れで訳も分からず軍の宴会に参加させられる。そこでユダヤ人だとばれて、ドイツ軍に引き渡される。危うく殺されそうになるが、志願兵が見逃してくれて、九死に一生を得る。

その後、線路沿いで殺された人の靴や食べ物を奪い、何とか生き延びるが、何者かにさらわれ、ドイツ軍に引き渡される。ここでも、少年の必死さがより鮮明になる。一緒にさらわれた老人は反抗的な態度をとり射殺されるが、少年は、兵士の靴を磨き一命をとりとめる。

司祭ハンスにかくまわれるが、彼は長くない命のため、信者のガルボスい世話を頼む。だが、彼は小児性愛者であり、少年を性欲のはけ口にする。心身の限界が来た少年は、ある日廃墟の穴にガルボスを突き落とし殺してしまう。自分の命のために人を殺したという、少年の自我の芽生えを象徴する場面である。

司祭がやがて亡くなり葬儀が行われる中、少年は、聖書を落としてしまう。罰として、肥だめに落とされる。

何とか抜け出した少年だったが、長い冬にさまようことになる。

やがて、ラビーナという女性に助けられるが、その主人がすぐに亡くなる。少年はまた、大人の性欲を満たす道具として利用される。だが、少年に満足しなかった彼女は、ひどい扱いをするようになり、ヤギと交尾する様子を見せつける。それが、少年の自尊心を深く傷つける。少年は、夜な夜なそのヤギの首を切り落とし、家に投げ入れ逃げる。

この場面も、自分の尊厳を守り生き延びるための選択だと捉えられるが、そ以上にラビーナへの憎しみがにじみ出ており、少年に歪んだ行いをさせるに至った。

逃げる最中、老人を奇襲し、持ち物を奪い去る。おそらく、ここでの経験が、優しさの残っていた少年の心をひどく歪めることになる。

ある村にたどり着くのだが、そこが突然襲われる。大人子供関係なく殺され、ある女性は兵士に性奴隷としてもてあそばれる。その後、その軍の敵軍が来て、人々がつるされるという無残な光景を少年は目にする。

ここで、僕がもっとも少年の心の変化を映し出していると思うシーンがある。つるされた人々を見て、少年が微かにほほ笑む。

これまで散々な目に遭わされてきたため、他の人が残忍なあつかいをされているのを見ると、快感を覚える。そんな人間の心の奥底にあるどろどろな汚い感情が、少年にも芽生えてしまった。アイデンティティの一部になった。

その後、かくまわれたドイツ軍で、狙撃兵ミートカによくしてもらう。ある日、兵士が野営地の外で住民の殺される事件が起きる。その住民に仕返しをするために、ミートカは離れた場所から狙撃する。やられたらやり返すという生き延びるための手段を暗示的に教える。銃を少年に渡し袂を分かつ。

やがて戦争が終わり、孤児院に預けられるが、他の子どもと仲良くできず孤立する。ある日、脱走したことがばれて体罰を受けるが、その後のシーンで線路に横たわる少年の顔には笑みが。これは想像だが、おそらくやがて脱走に成功したと思われる。

様々な仕打ちを受けてきたことから、自分が脱走したことで他の人の上に立つことができて歪んだ喜びを得ている。殺された人の吊るしを見たときの笑顔に似た感情がみられる。

そんなある日、ある商人に泥棒に間違われて折檻を受ける。少年は、憎しみを爆発させ、その商人を殺してしまう。

自分の憎しみに任せて人を殺してしまうという少年の姿には、鳥を逃がしたり馬を助けたりしていたかつての素直な面影が見られなかった。何が何でも生き延びるという意思が芽生えてはいたが、それと同時に人を殺すというゆがんだ意識も生まれてしまった。

その後、父親と再会し、憎しみをぶつける。ガラスを壊すシーンがあり、少年が初めてものを壊す。少年は、身寄りのない人々が暖をとっている場所で一夜を過ごし、父親への憎しみの強さがうかがえる。

帰りのバスの中で、自分の名前を書くことで、ようやく「JOSCA」として生きる覚悟を決めるのであった。

まとめ

どんな境遇に置かれても、必死に生きようとする生への執着とそれと同時に、自分の生のためであれば人の死をいとわないという歪んだ精神も育んでしまった。それには、大人の歪んだ性欲をぶつけられたことも影響しているだろう。自分の欲のためには、人にどんな仕打ちをしてもよいのだという自分への正義を学んでしまったのかもしれない。少年は、「JOSCA」としてどのような人生を歩んでいくのだろうか。

戦争を生き延びた少年の成長という一面的な物語ではなく、その少年の心でも複雑な感情が錯綜しており、残虐な人々のなかにも心優しい人はいて、そうした善悪という二面性では片づけられない複雑でまた奥深い人間模様を描いた作品である。

きわめて衝撃的な作品であり、見るに堪えない部分もあるが、それも含めて美しい作品に仕上がっているため、もしよければ、ご覧ください。


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