自分のパーソナリティについて#1
第一回目の恥さらし。
この一文を入れないと、恥ずかしくて書き進められない。恥を承知で書いているので馬鹿にしないでね、というガードを張っているつもり。
自分の文章を人に見られるのは、とてつもなく恥ずかしい。
この「プライドの高さ」や「恥」についてもいずれ書いていきたい。
適応障害と診断されたのは2024年1月のことですが、これまでの人生ずっと鬱な記憶ばっかり。(診断書上は「適応障害」)
記憶にある限りでも、中学生くらいからはずっと希死念慮を抱いていたと思う。20歳までには死のうって思っていたくらい。(結局30歳超えてしまったけど)
今でも信じられないが、世の中には朝起きて「死にたいなぁ」と思わはない人がいるらしい。「そんな人たちは記憶にないだけで、みんな死にたいと思っているハズ」と今でも自分は思っている。
改めて振り返らずとも、10代の頃から鬱"体質"であったことが分かる。
鬱病ではなくて、鬱"体質"。治る治らないの話ではなく、もうそういう体質であると思うことにした。
※これは最近読んだ坂口恭平さん著「躁鬱大学」で紹介されていた、神田 橋語録の「躁鬱病は病気というよりも、一種の体質です」という言葉を見て思ったこと。躁鬱だけでなく、鬱も一種の体質だと個人的には思っている。
鬱体質になったドラマチックなエピソードなんてなく、育ってきた環境やいろいろな要因が影響してこんな体質になっている。なんとなくこんな出来事が影響しているんだろうな、と思う部分はあるが、もう書ききれないので、いつかの投稿ネタにする。(結構ゲイの話に繋がる部分がある気がする)
そんな鬱体質が形成された10代。20代になり、社会に出てからはこの体質がどんどん拗れて、最終的には30代で心が折れる。
【伝えたかった事】
・適応障害とか鬱病とか、何かのエピソードでなったわけではなく、もう30年間そういう体質。
そんな体質の自分が今どんな風に前を向こうと頑張っているのか、という話に今後は繋げていきたい。文章を一通り書ききるような能力も気力もないので、もうほぼ思い付きで書いてる。いつ語りきるのでしょうか。案外、薄っぺらいもので直ぐ書き切ってしまったりして。
本日の恥晒しは以上です。
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