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大人って何

大人な人ってどんな人?

人の意見や発言にはその人の思いが込められているが、少なからずその人の解釈も入り混じると思う。

その人から聞いた言葉に、その人自身のそう思いたいという思いが乗せられている時、それは思い込みとして身勝手な言葉になる場合がある。

人って傷つくとどうなると思う?

怒りは傷ついたものを守る感情だ。その感情は自分が大事に思うものを傷つけられたと思う時ほど、強く現れるのかもしれない。

怒りやすい人というのは案外、傷つきやすくて、大事で守りたいものがたくさんあるのかもしれないね。

どのみち、自分の怒りを自分の心の中で受け止められないというのは悲しいことだ。例えば、怒りたくても怒れないとかね。悲しいのに悲しめないんだからさ。

泣きたくても泣けないのと同じ。自分の気持ちの表現方法は色々あるが、そもそも怒りは必要な感情なのだ。周りへの、適した思いや感情の伝え方はあるよ。でも、一見、負のように思われる感情も大切で必要なものだ。他でもない自分の思いは、自分が受け止める。そこの部分に対して、他人のサポートを得ても、結局は他人任せにしないこと。

自分の思うがままの感情に寄り添う。そしてその時はセーブしない。自分がそう思うことは自分にとって自然なことだから、あますことなく受け止める。

もちろん、今まで自分の中の感情をないがしろにしてきたのであれば、ないがしろにするだけの理由が有ったのだろう。そうするしか他になかったのだろう。

時間をかけてつくった関係性、こだわり、自尊心や誇り。自分にとってかけがえのないものが崩される時、それは時に怒りという感情となって茨となる。

行く先々は、壊した何かか、八つ当たりする誰かか、それとも自分自身か。

深い悲しみを知ってるはずなのに、人を傷つけてしまうのは、その存在への愛なのだろう。

しかし、実際には本当にそれらは壊れてしまったのだろうか。いや、確かに、確実にかけた部分はあったのかも知れない。だけれど、大事に残ってる部分だってきっとあるはずだ。

人の受け取り方は千差万別。その人がそう思うことは自然なことで、当然の権利だ。そして、それがその人にとっての真実ならば、相手にとっての真実を知ることもまた当然の義務だと思う。

一人一人違う尺度、いわば物差しを持っていると思う。そして物差しを当てる物事は一つではない。

世の中にあるものの中で、一つの物差しでしか測れないものは果たしてあるのだろうか。

人の捉え方についても同じだ。全てはグラデーションなのだ。曖昧なものは難しいが、その曖昧さこそが自分の在り方を自由に、そして楽なものにしてくれる。

そう。大人だと思う人の子供な一面をどう捉える?大人だなあと思う対応の中に、その人の無邪気な顔が垣間見えるんだよ。それってすんごいギャップで、すんごい魅力だよ。うん。そういう感じかな?

人って複雑なものらしい。私がいくつもの障害を抱えてるんだと知った時、一つの病名以外にも向き合うものがあるのだと知った時、担当医師がそう言った。

人のもつ色んな顔も湧き上がる色んな感情も。どれもが本当だから魅力的なんだろう。そこに良いとか悪いとかないのかもしれない。

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