キリスト教会に行きたくない理由

疎外感・孤独感を感じるから

自宅でYouTubeで礼拝メッセージを聞いていたほうが、疎外感も孤独感も少しですむ。

教会で自分のことを隠さないといけないのは、ストレスだ。
なぜ隠すかというと、うっかりしゃべると疎外されるからである。
教会でまで演技したくない。

心理的安全性がないから

クリスチャンになってから人生うまくいっていないとか、メンタルを病んで薬を飲んでるとか、家族の不都合で悩んでいるとか、言えない。

聞かれたので、クリスチャンになってから人生うまくいっていないことについては複数人に言ったことはあるが、ドン引きされたり、それ以来明らかに避けられたりした。

不信仰がうつるといけないと思われたか、軽蔑されたかだろう。

精神疾患については、信仰が足りないダメなクリスチャンと思われる危険性が高いので、言えない。

単にヤバい人と思われて避けられる恐れもある。(これはクリスチャンじゃない人たちの間で多いことである。)

家族の不都合については、精神科の診察室でしか言えないようなことだし、家族のプライバシーもある。

せめて自分の不具合については、言っても裁かれない・ドン引きされない・避けられないという環境が欲しい。

奉仕したくないから

苦にならないことはしてもいいが、苦痛なことはやりたくない。

やらないでいても、無言の圧力がきついから、ストレスだ。

中年女性だと、特に労働力として期待されてしまう。

まとめ

他にも理由はいろいろあるが、以上の3点が大きい。
余裕があれば、行ってみるだけ行ってみたらいいが、まったく余裕がないので、無理である。

教会へ通っているクリスチャンから見ると、通っていないクリスチャンは二流に見られるのも、また嫌なところである。

なお、ほとんど奉仕も献金もしないクリスチャンを心から歓迎する教会も珍しいと思うので、ほとんどの教会は私に来てほしいとは別に思わないだろう。(あなたが変わりたいと思うなら歓迎します、というスタンスの教会は少なくなさそうだが。)

だとしたら、お互い様。



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