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或る男の序章

(5457文字)

 その男が死んだのは、36歳になる誕生日のちょうど1週間前だった。
 彼に家族はいなかった。過去、とある会社に勤めていたが、辞めてもう数年は経過していた。そのときの知人との交流も既になく、まさに『天涯孤独』であった。自室で首を吊った状態で発見されたのは、死の1ヶ月後である。何かの勧誘にきた若い男性が異臭に気づき、大家と共に部屋に入って首吊り死体を発見した。すぐに警察と救急車を呼んだが、救急車を呼ぶのは意味がないことは明らかだった。
 その後数日間は警察の人間がやってきてなにやら調べていたが、変死体(首吊り死体)であるという点以外に特に不審な点もなく、自殺として処理された。事件性はないと判断され、彼が自ら命を絶ったことは間違い無いと思われた。ただし、遺書等は見つからず、生前交流があった人物も居なかったため、自殺に至る動機は分からなかった。いやそれどころか、彼の私生活についてもほぼ謎のヴェールにつつまれていた。人付き合いもなく最低限の買い物くらいしか外出はしない。彼のことを調べた警察官にとっては、生前の人格というものが想像されにくい、やっかいな死人だったことだろう。
 葬式が営まれることもなかったが、大家の計らいで無縁仏にはなった。

 彼が世間に認知を広めたのは、その死から1年後のことである。

 まず彼は、自殺を図る約3年前から、とあるWEB日記のサービスに加入し、毎日欠かすことなく自分の日記を公開していた。そのサービスは、アカウントを作れば、比較的手軽に自分のページを不特定多数に公開できるものだった。彼がそのサービスを用いて日記を公開した目的はわからない。目的なんてなかったのかもしれない。
 WEB日記の中身といえば、『他愛のない日常』と言えるものに過ぎなかった。日々の些細な出来事、テレビや映画などの感想、自分の過去や将来についてのこと。そして、それらから得られた彼なりの知見。少々抽象的で哲学的な内容に話題が逸れることもあった。
 内容は多岐にわたるが、その価値を感じることができるのは少数だろう。この日記は彼が自殺した直後の捜査の際は見つからなかったが、たとえ発見されていたとしても、彼の死の原因が分かることはなかっただろう。
 WEB日記上では彼はいわゆる「インテリ」と呼ぶにふさわしい属性を持った人物を演じていた。ひとことで言えば「ありがち」なWEB日記であった。特徴を挙げるとすれば、悪口や愚痴のような内容が無かったこと、哲学や人文科学、自然科学などのアカデミックな内容が多かったこと、くらいだろうか。
 日々更新されていたが、そしてそれは彼が自ら書いたものであることは間違いないのだが、しかし自殺に至る経緯や心の動きについては、その気配すら感じさせないものだった。全く突然に、何の前触れもなく、彼の命は自らの手により絶たれた。必然なのか偶然なのかも読み取れない。WEB日記の内容は、彼の人生の特異点と言っても良い最後の瞬間の、その急峻な変化を際立たせるものであったと言える。

 内容としてはどこにでもあるWEB日記であったが、とあるタイミングで世間の耳目を集めることになる。
 そのWEB日記は彼の死後も更新が続いた。
 いや、正確には、彼の死後2ヶ月後から更新が再開された。
 WEB日記のサービスの一つである「予約投稿」機能を使い、その後も毎日更新が続いた。そこには、彼の日常が、生前からの連続性を保って存在しているかのように見えた。彼の命がある日ふと失われたことなど、微塵も感じさせないものであった。
 アカウントを作った本人が居ないのに、そのWEB日記の更新が続く、その特異さが、ネットの世界のごく一部界隈で話題となった。
 自殺した男性が幽霊となって更新しているのだとか、その男性は自分自身をデータ化して電子の世界で生きているのだとか、これまた『いかにもありがち』なトンデモ話が面白おかしく作り出された。
 もちろんそんなわけはなく、彼は生前、死後に更新されるべき原稿をWEB日記のサーバーに大量に保存しており、所定のスクリプトにより日々自動で決められた分がアップデートされていたにすぎない。その死からWEB日記再開までの空白の2ヶ月に何か意味があったのかは、今となっては何も分からない。ただ事実として、その後毎日更新が続いたということだ。

 生前のものから明らかに変わったこともあった。
 日々の出来事や時事ネタは皆無となった。それらをインプットするための身体がなくなったわけだから当然だと言える。その代わりに増えたのは、前述したようなアカデミックな話である。具体的なことで書けることがなくなったから、抽象的で一般的なことを書くしかなかったのだと思われる。そして、生前よりもほんのわずかではあったが、彼の「思想」と呼べるものが表出することも多くなった。
 彼はもう死んでいたので、テレビや映画を見ることはないし、その感想を述べることはできない。インプットを受け止める身体もなければ、アウトプットを創造する思考も失われている。
 必然、WEB日記の内容は、「一般的なこと」もしくは「彼の考え、想い、思想」といったもの、それは抽象的で哲学的な”問い”とも言える内容に傾倒していく。生前彼にどのような素養があったのか、定かではない。ただ死後更新され続けるWEB日記を読む限り、その内容はさまざまな示唆に富んだものであり、教養の高さを垣間見せるものではあった。
 このことからわかるのは、少なくとも彼にとって、彼の死は計画的なものであったということである。動機まではもちろんわからないが、その死を準備するための時間は十分にあっただろうことが想定された。予定通り生き、予定通り死に、予定通りWEB日記は再開された。

 管理者の死後も更新され続けるWEB日記ということで、ネットの住民の関心を徐々に集めはじめる。その多くは、彼の日記を読み、生きているうちに死後公開される文章を書くという行為に思いを馳せ、計画的に自ら演出した通りに自らの死を演じる、その特異性および自分との距離を確認し、彼のことを理解できない自分に安心し、そして去っていく。一過性の、熱に浮かれたと言っても良い反応であった。
 ただ、他の一部では、WEB日記の内容と相まって、彼を狂信的に信望するものも現れた。そのWEB日記自体は大した内容ではない。生前の彼を知る人物はいないが、おそらくどこにでもいるような中年にさしかかろうという男性だったろうことが想像される。ただ、いつの時代もそうだが、人々の信望をあつめるのは、人の作り出した物語ではない。見た目の華やかさでもない。それらすべてを含んだ、その人自身の生き方である。彼の生き方には、人々の信望を集めるなにかがあった。

 なぜか、WEB日記とその管理者たる彼を悪くいう者は皆無であった。生前の彼のパーソナリティを知るものがほとんどいないことも影響していた。彼のことはWEB日記に書かれていることが全てである。
 もちろん、一人の人間のパーソナリティを全て言語化などできるわけではない。
 彼の死後も毎日毎日、それなりの量の文章が投稿されていたが、それらは既に書き上げられたものである。また、明日以降も日々彼の文章が投稿されるが、その文書も今既にサーバにはデータとして存在するものだ。
 日々の時間の連続性、その連続性から脱落した男性、その男性が時間の連続性の中に忘れ形見のように残したWEB日記、そのWEB日記が語る彼の内面、しかしその内面を全て語られているわけではないこと。ループ状とも言えるこの構造に、宗教的な意味を見出し、彼のことをまるで預言者であるかのように、祭り上げる素地があった。彼がどこまで想定していたかは分からないが、狂信的に信望する人々が現れる条件は揃っていたと言える。
 あるときから、彼のWEB日記の内容から、生前の彼の人物像を補完するという行為が、これもほんの一部界隈で流行り始める。あるときは芸能人の容姿を与えられ、またるときは古代の哲学者の脳を与えられながら。ある意味では彼は、ネットの世界でひとつの人格を持って甦ろうとしていたと言えるだろう。
 さらには、WEB日記はそのような我々の反応も想定されている、と分析するものも現れる。我々は皆、彼の手のひらの上なのだ、と。
 こうなるとなんでもありだ。雪だるま式に、彼もしくは彼のWEB日記に関する記述は、ネット上で増えていく。死後更新が続く彼のWEB日記は、ネットの世界では知る人ぞ知る大きなコンテンツとなっていった。ただ、この時は未だ、あくまでもネットの世界に限った話であった。

 1年後、とある団体がそのWEB日記に目をつける。その団体は、『WEB日記の管理者は自分たちの団体の教祖である』という声明を出した。信者数3万人の、教団名だけは認知度が異常に高い団体である。面白がって取り上げるマスコミの影響もあり、WEB日記とその管理者である彼は、世間の認知度が一気に上がる。そして緩やかにではあるが、リアル世界の信望も確実に集めてゆく。管理者が既にこの世にいない、というのも認知を広げる要素となったことは間違いない。WEB日記に書かれた彼の思想は、万人が共有するものとなった訳である。その教団がとった行為はプロパガンダ以外の何物でもなかったが、ただそのプロパガンダは非常に洗練されていた。教団のスケールアップに対しては明らかに功を奏していた。驚くべきことに、その後1年間でその教団の信者の数は3倍にも膨れ上がった。
 管理者の死後5年、その教団の規模は、かつてこの国に存在していたどの宗教団体よりも大きなものとなっていた。街を歩けばポスターを見ない日はない。国政政党も生み出し、選挙のたびに、政教分離との戦いすら味方につけて、多くの国会議員を輩出していた。

 管理者の死後6年、教団の教祖にされてから5年が経過した時に、大きな変化が起き始める。彼と彼のWEB日記、そして教団に対して反抗的な態度を取るものたちが現れ始めたのである。それは、世間が一つの方向を向いてしまったことに対するカウンターであり、ある意味必然を持って現れたと言える。リアルでもネットでも、場所を問わず議論が交わされていた。
 ただ、過激なことは何一つ起こらなかった。
 反対派のボリュームは、教団のボリュームと同じくらいのペースで徐々にではあるが確実に増えていった。明確に反対の立場を示さずとも、または明確に入団しなくても、誰もが(おおよそ人口の六割くらいが)反対派か教団派かに属する状態になるまでさらに2年を費やした。ネットの世界でこれだけじわじわ時間をかけて物事が進行していくのは極めて珍しいと言ってよい。

 さてその1年後、つまりWEB日記の管理者が自殺により命を失った9年後のとある日のこと。
 WEB日記の自動更新が止まる。
 更新停止自体に関して、どれくらい計算されたものなのか、その期間もしくはタイミングに意味があるのかどうかは、不明である。冷静に考えて9年分もの日記をしたためてから自殺を図るなど、狂気の沙汰と言える。すでにいない彼にとっては、ただただ「やり切った」という思いではないだろうか。確認のしようがないわけであるが。

 明らかにWEB日記の更新停止を待っていたかのうように、教団内にWEB日記に狂信の意を示す『過激派』が現れる。彼らは、WEB日記に書かれていることをそのままの意味で解釈するものたちである。彼らは、WEB日記自動更新停止により、教祖の思想体系が完成されたと喧伝した。最初こそネットの世界でのみ過激な文言をばら撒いていただけであったが、いつからかその曲がった信念を、リアルの世界で時に暴徒と化すまでに表現することもあった。それを、”教団の教祖が顕現したものだ”と囃し立て、さらにエスカレートしていく。
 ここに至って、教団内に明確な派閥構造が浮かびあがった。WEB日記狂信過激派、WEB日記穏健信仰派、WEB日記否定派に別れた鍔迫り合い、時に切り合いにも発展する出来事が起こり始めた。

 一人の男の死が、この国に分断を生んだ、と言って大袈裟でないくらい、誰もがその男と、その男の遺したものについて、何かしらの意見を持っていた。その分断に至る過程は、この国の人たちが歩んできた歴史のどこにもモデルケースが存在しないものであった。学ぶべき歴史がないということはこんなにも混乱を生むものなのだ、と悲劇的な結末の予想と共に述べた学者も少なくなかった。
 そして、大きく見れば3つに分断されたが、そのどれにも属しようとしないものたちも現れる。彼らは、この騒動には何かしら黒幕が存在すると思っている。今の状態はその黒幕たちの思い通りに進んでおり、それは一般的に言ってよくない状態であると考えていた。

 何ができるかわからない、しかし何かをして世の中の流れを変えることが必要だ、と思うものたちが行動を起こす。彼らはお互い意見は違う。共通しているのは、今の世の中の状態を是とする態度からは脱却したい、その大きな方針のみだ。
 彼らは行動を起こした。良い方か悪い方か、どちらに転ぶかは分からない。結末がどうなるかは全く不明である。ただ、物事が転がり始めることは間違いない。

 ただそれすら、件のWEB日記管著者の思惑の中ではないかという、薄氷を踏んで進むような想いを抱えながら。


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