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謝りたい人

誰しも過去に戻り、謝りたい人がいるものだろう。
ノーベル賞をとる科学者や世界を席巻するスポーツ選手、そういう人程多くいるものだ。
褒められることしかなく、誰からも崇められる彼らだからこそ、過去の些細な過ちを鮮明に覚え、自分で自分を戒めているに違いない。
そうでなければ人として成長せず、自らの才だけではより良い評価や成績を残すのに限りがある。それが僕の持論だ。

売れない芸人の僕にもそんな人は何人かいる。
そのうちの1人が北村さんだ。
僕は中学1年生の頃、少しばかり嫌がらせをされていた。
きっかけは僕のついた小さな嘘がバレたことだ。
当時からイジメられる理由には納得していたし、言い返す言葉もなかった。
だが、無視されたり暴言を吐かれるのは気持ちのいいものではなかった。

そんな時いじめっ子が、僕だけでは飽き足らなかったのか北村さんに目をつけた。
北村さんは長い黒髪で、背が高く、メガネをかけた女の子だった。
性格は大人しく、休み時間も読書に費やし、誰かと喋っている姿も見た事がなかった。

ある休み時間いじめっ子が「おい!カメラのキタムラ」と言った。
僕はなにを言いだしたのか分からなかったが、北村さんが振り返った瞬間、周りは笑っていた。
気持ち良くなったいじめっ子が続けた。
「おい!カメラのキタムラ」
北村さんは本に目を戻し無視したが、やじは止まらなかった。
「メガネかけてるやんメガネのキタムラ」
周りもそれに合わせるように笑いが大きくなった。
そうこうしている間にチャイムが鳴り、休み時間は終わった。
この5分の間、僕は暴言を言われなかったし、北村さんがページをめくることもなかった。

その時僕の心には「安堵」という心情が滲んだ。この安堵こそ僕が後悔していることだ。
北村さんをいじめっ子から守れば良かった。
せめて話を変える話題を投げ掛ければ良かった。
そんなことは微塵も思わない。
現に北村さんも僕が暴言を吐かれているのを黙殺していたわけであり、第一そんな行動が出来るのはイジメをイジメとも思わない本当に強い人間だけだ。
中学1年生の僕にそんな余裕はなかった。

だが、抱くべき心情は「安堵」ではなく「同情」だった。
隅で大人しく過ごしている彼女が突如教室の中心に吊し上げられ嘲笑される。
彼女にとって考えもしない事が起こった。
にも関わらず、僕は自分に矛先が向いていないことに「安堵」した。
その、程度の低い人間性を恨むにはいられない。
なぜなら彼女の気持ちがわかるのは教室で僕しかいないからだ。50分の授業より5分の休み時間の方が長く感じる。他のクラスメイトからも距離を置かれるかもしれない。次の休み時間はどうなるのだろう。
30人の生徒のうち皆が黙殺しても僕だけは心の中で「同情」すべきだった。
そう気づいたのは中学2年生の春、彼女が転校した事を知った時だった。

僕は芸人として大輪を咲かせるつもりだ。
世間の人達はもちろん同業者にも僕が面白いことを認めてもらいたい。
皆を納得させ尊敬されたい。
そう思いこの世界に飛び込んだ。
もし、それが現実になったとしてもこの出来事を忘れてはならないと思う。
北村さんの一件を覚えている事で、なにか面白い発言が出来るとは思えない。
だが、チヤホヤされ過去の過ちをわすれてしまうような人間にはなりたくない。
成功しても尚、覚えている事で、人として成長し続けられるし、回り回って面白いというだけではない「芸」に繋がると思う。
まあ、ここに書き記すことで忘れにくくするという含みもあるのだが、、、

ここまで読んで下さった方、誠にありがとうございました。

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