結婚とは

先日やっと完走した「夫婦の世界」の中でのセリフ。
「結婚とは、してもしなくても後悔するもの」
腑に落ちる。
落ちまくる。

何を隠そう、私はタラレバの中を生きている。
特に結婚してからは
「夫が富豪だったら」
「せめて夫が医者だったら」
「私を好いてくれていたあの人と結婚していたら」
毎日のように浮かぶ幻想に
こんな結論で締めくくる。
「どんな結婚をしても誰と結婚しても同じようなもの」
「夫はお金を払って住まわせているシッターだと思えばよい」
「今の幸せを大事にしなくては」
「小欲知足」
自分でも十分わかっている。

こんなタラレバ女にはおそらくドラマのような展開はない。
そしてドラマのような暮らしもない。

そして、
こだわりの強いASD傾向のある夫が
子どもが生まれてから
風呂や歯磨きの時間が年々短縮し(それでも一般男性よりは長いよ、絶対)
お酒を飲む回数と量が半分ほどに減り(それでも一般男性より多いよ、絶対)
子どもの面倒、洗濯、掃除、ペットの世話、風呂掃除、名前のつかない些細な家事まで(料理以外)当番など決めなくても適宜やっている
(もちろん私だって全部やっているけどね)
それだけで彼は頑張っているんだと自分に言い聞かせる。

「こんな私と一緒にいてくれるだけ幸せ」
「彼だから仕事もしながら育児を続けられるんだ」と
自分に言い聞かせる

でもいつも頭の片隅をよぎってしまうのだ
特に彼が私に対して些細なことで非難の目を向けたとき
あるいは
彼が育児の細かいストレスでイライラし始めたとき
そして
日々の彼の機嫌の上下に私の気持ちが左右される生活に、

「相手が医者だったらシッターを雇ってもっと気持ちを楽に育児できるのでは」
「彼の目を気にしながら育児するなんてシッターを雇った方が気が楽」
「開業医の息子だったら私はこんなに働かなくて良いのに」
「私はいつまで一家の大黒柱なんだ」
「私が働かなくなって彼の親や自分の親の脛をかじるなんて嫌だ」
「お前のおつまみ代やワイン代は私が働いてなきゃ出せないんだぞ」
「なんでこんなに節約しなくちゃいけないんだ」
「お前が「お金のことなんて気にしなくて良いよ」は言うなよ」
「なんでお前は仕事を休まないんだよ、こっちは休めない仕事なのに休んでるんだぞ」
「将来アルコール依存になったら絶対離婚するからな」

突き詰めてみれば
結局はお金のことだ。
自分がばかばかしい。
食べていける生活をしているのに、
子どもの行事をすることもできるのに、
私は何を欲しがっているんだ。

独身時代、
私個人の出費は今のおそらく10倍以上はあった。
服も化粧品もバッグも食費も
お金なんか貯まらなくても気にもとめていなかったし
お金のことを気にしている人ってダサいとすら思っていた
今はユニクロに行って服を買うことすらほぼない
子どもの靴に5000円はかけられるのに
自分の服は毛玉だらけで毎日同じものだ
それでも私には
独身時代よりも多くの幸せがある
イライラしながらも
子どもの可愛さや愛おしさが湧き上がってくるこの感情は
まさにプライスレスだと思える
なのに
なんでこんなに私はタラレバなのだ

先日
2年ぶりぐらいに
春に着る仕事着や休日用のワンピースを買った
それもネットで
5万以上をものの5分程度でポチってしまった

私はストレスが溜まっているんだろう
どんなに稼いでも
私に入ってくるお金はなくて
子どもの貯金か積み立てか
日々の生活費に消えている
そんな風に感じているのだ
でも本当は
昼にお金をあまり気にせずコンビニでご飯を買うし
飲みたいお茶だった飲むし
結局は服だって買うし
それなりに好きなものは買えているのだ
そしてそれは誰に言われたわけではなく自分自身が選択した人生なのだ

これ以上ほしいものなんてない

私が気にしているのは
「平等感」なのだ

お金も
育児も
仕事も
機嫌も
全部夫と平等じゃないと
あるいは
稼いでいる私に
多く配当されないのが
不満なのだ。

私が少し多く家事をして
私がいつも寝かし付けをして
私ばかり夜中に頻回授乳をして
私は一切お酒を飲まなくて
私は出産後の体調不良が残っていて
でも
私の方が稼いでいる

それが嫌なのだ

子どものためならなんでもできるけど
夫のためになんでもできないのだ

夫には感謝しているのに
なぜだ

夫は私の子供じゃないからだ
そして
本質的に私は子供以外の誰かを愛すことはできないのかもしれない

結婚とは
「見ず知らずの他人を養うこと」ではない
結婚とは
「無条件に誰かを愛すること」でもない

結婚とは
「してもしなくても後悔するもの」
まさに
その言葉に尽きる


















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