警察史研究(史料編3)

はじめに

 前回は、巡査の日記や記録などを挙げました。史料数は少なく、警察史研究がなかなか進まない要因にもなっています。
 今回は卒論を書くにあたって、どのような史料を用いたのか紹介していきたいと思います。

警察規則・令類纂

  警察史料で最も多く見られるのは巡査の勤務ルールや所掌範囲が記された規則、類典です。国立国会図書館はじめ、地方の図書館にもあることが多く、愛知県図書館では『愛知県警務類集』上・下巻(愛知県 1897年)や『愛知県警察類典』(愛知県警察部 1909年)、岐阜県図書館では『岐阜県警察規則類聚』(岐阜県警察本署 1881年)や、多くの公報などがみられます。
 規則はあくまで規則なわけで、それ通りに運用されたのか、活動実態を示すものとは言えません。しかし、外勤巡査の勤務の基本が記されたものですし、「実態じゃないから」と言って扱わないなんてもったいないでしょう。

規則を用いた経緯

 研究では外勤巡査の勤務実態を分析するため、戸口調査という任務に注目しました。ちなみに戸口調査とは何なのか、研究者の大日方純夫氏が次のように書いています。

戸口調査とは、巡査が受持区内の民衆の本住と寄留の別、住所、借家、借地、地主の別、各戸の番号、族籍、職業、年齢などを記入した戸口簿を作成し、増減のあるごとに訂正を加え、警察署中の原簿に登録されるもの

大日方純夫『日本近代国家の成立と警察』校倉書房 1992年 201頁

 なぜ戸口調査に注目したのかといいますと、管掌する国民全員を把握するため、全国の全巡査が行ったのが戸口調査であり、もれなく行われたからこそ、例外なくこの戸口調査から巡査の勤務実態が見えると考えたからです。
 さてこのように戸口調査に目を向けた時、前々回にも述べた通り、巡査が記録した戸口調査簿は開示されていません。ないと困るわけですが、史料も不足し研究蓄積が少ない地方警察は、規則を用いた研究も少ないということもあって、主に大日方氏による関東地方の研究を参考に、基本的な規則を用いて見てきました。

規則の比較研究

 研究対象は東京警視庁、神奈川県、大阪府のほか、主に愛知県、岐阜県、埼玉県、兵庫県の4県を見ていきました。なぜこの4県に注目したのかは、次回にまとめたいと思います。
 このように複数の府県における規則を見ていくと、大きく2つの特徴に分けられました。
 1.非番に行うよう規定したもの。
   警視庁、神奈川県、愛知県、大阪府~
 2.当直に行うよう規定したもの。
   埼玉県、岐阜県、兵庫県~
 東京府はじめ、当時から人口数の多い府県では、非番や当直後、つまり勤務外に戸口調査を行うよう定めていました。反対に人口数が少ない府県では、当直の時間内に行うよう定められていました。(例:岐阜県)

執行務巡査ハ平均一晝夜凡ソ十二時間ノ割ヲ以テ服務セシメ其九時間ハ巡邏、當直三時間ハ戸口調査

岐阜県警察部編刊『岐阜県警察公報』1886年 8頁 岐阜県図書館所蔵

東京の場合
   東京や大阪の非番での実施規定に対して、現場の巡査はどのように考えていたのか、一部取り上げようと思います。
   警視庁を例に見てみると、1876年5月に統一的基準として「戸口取調手続」を創定しました[ⅰ]。さらに1882年に「戸口調査仮規則並心得」を定め、翌年の改正後は調査対象を甲乙丙の3種に分け、非番に巡査が調査するよう定めました[ⅱ]。1889年には「戸口調査及戸口票規則」に[ⅲ]、1896年に「戸口調査規則」と改めました[ⅳ]。
   このように、改正を繰り返していたものの非番での実施に変わりありませんでした。
   この状況に対して、1897年、警視庁の富田という警察官は、非番は「非常ノ出来事アリ、臨時ノ諸取締等アリテ、非番ト雖モ休息スル能ハサルコト」が多いことをあげ、「非番ノ日ニ於テ、(中略)戸口調査ヲ命スルハ、妄リニ苦痛ヲ加フルモノ」であり、「警察ノ運用上何等ノ効ナシ、寧ロ無益の業ナリト云ワサルへカラス」と指摘していました[ⅴ]。
  1902年、『警察協会雑誌』の雑報では「警視庁に於ける警察制度の革新」と題し、非番の実態をあげていました。非番は戸口調査や臨時の任務で「一箇月中僅か五、六日の休暇」に過ぎず、「過労の為めに退職する者多く(中略)熟練したる巡査を養成能わざる」と、現行法に欠陥があると指摘していました[ⅵ] 。
   この非番での実施規定が無くなるのは、1909年に「戸口査察規程」と「戸口査察規程施行細則」を定められてからのことになります[ⅶ]。

規則の変遷からみえる社会情勢の変容

   1900年以後、警視庁はじめ全国的に非番での実施規定が改正されていきます。

愛知県警察部
   愛知県では、1905年6月に戸口調査規則を改正しています。元は1892年に定めた「戸口調査規則」に則って、派出所巡査は、当直引継ぎ後の2時間以上4時間以内を指す乙勤務日の1時間以上4時間以内、駐在巡査は警邏の際に10戸以上25戸以内と定めていました[ⅷ]。
   この1905年の改正では、これまでの甲乙丙に分類した調査度数を廃し、同一に6か月に1回、派出所巡査は勤務日の2時間以内、駐在巡査は警邏の際に10戸以上と、勤務時間内でのの実施へ改められたのです[ⅸ]。

大阪府警察部
   私の手元に『警察彙報』という小冊子があります。警察攻法會という組織が毎月刊行し、内容は大阪府警察部に関する法令や規則など、1902年12月の132号から、1906年7月の174号までがあります。

『警察彙報』第163号


   この史料を見ると、大阪府警でも1905年6月、愛知県と同時期に戸口調査規則を改正していました。改正内容は、愛知県と同様に調査度数を改めると共に、大阪市と堺市を除く形ではありますが、非番での実施を撤廃しました[ⅹ]。
   こうした動きの背景には、日露戦後における各地での都市化、人口増加が影響していました。愛知県警察部の警務長、安河内麻吉は改正理由を次のように述べています。

劇しき事故、可成労を少くして効果を多からしめん事に心掛け、且つ精神的にして形式に流れさる様篤く注意せられたし

安河内麻吉「戸口調査規則改正に付て」 (『警察協会雑誌』66号) 1905年  15頁

   人口増加、警察事務の複雑化に伴い形式的になり、調査の効果を示せない現状を危惧してのことであったと言えます。大阪も同時に改正、ついで警視庁でも改正しています。
   東京では、人口増加とともに戸口調査の限界を露呈させ、警察の危機意識を深めたことで[XI]、巡査の声を通した改正が実現したと言えるでしょう。ただその実態はまた異なっています。それは次回に詳しく紹介していきます。

参考文献


[ⅰ] 第二方面第四本署『東京警吏要覧 』初版  警視局  1878年  9頁・大日方純夫『日本近代国家の成立と警察』校倉書房  1992年  201頁
[ⅱ]警視庁『警視庁令類纂』上巻 1887年 426~36頁
[ⅲ]警視庁『警視庁令類纂』第三版 1892年   276~8頁
[ⅳ]警視庁『警視庁令類纂』第五版 1896年 394・421~3頁
[ⅴ] 富田生「戸口調査規則ノ改正ヲ望ム」(『不眠不休警察眼』6巻4号)1897年 238~40頁
[ⅵ]雑報「警視庁に於ける警察制度の革新」(『警察協会雑誌』31号)1902年 73頁
[ⅶ] 雑報「警視庁の戸口査察規程」(『警察協会雑誌』113号)1909年 66頁
[ⅷ]愛知県警察部編刊『愛知県警務須要』下 1892年 29・61〜2頁
[ⅸ] 安河内麻吉「戸口調査規則改正に付て」 (『警察協会雑誌』66号) 1905年  15~23頁
[ⅹ] 警察攻法會編刊『警察彙報』163号 1905年 262頁
[XI] 大日方純夫「首都東京における警視庁の地域支配:日露戦後期を中心に」(『部落問題研
究』203号)部落問題研究所紀要 2013年 54頁

おわりに

   卒論では、規則の全国的な比較研究を行ったことで、地方による違い、特徴が見えてきました。規則に見える特徴からは、その地方が抱えていた問題も見えてくるわけです。また、社会情勢に順応しようとする警察の姿が浮かび上がるのです。警察史研究において、規則の比較研究も今後さらに注目されることが望まれます。

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