自己紹介(1/2) 「ラブホテル」
あの東日本大震災から一週間後、私は内示を受け取った。
——4月1日から東京勤務を命ずる……。
嘘やろ!
京都に転勤してまだ一年やん!
やり残した仕事あるし……。
いや、そんな大したことあらへんけど……。
そんなわけで、私は東京へ旅立った。
* * *
noteを始めて一ヶ月とちょっと。
みなさんの……、noterさんの記事に唸らされる日々。
興味のある記事に出くわすと、そのnoterさんの一番最初の記事に目をとおすのが、違いのわかる男、箱庭の流儀……。
そこで気がついたことがある。
——自己紹介?
実に98%のnoterが、自己紹介の記事をあげているのだ。(数字は、箱庭リサーチ(株)調べ)
確かに、そのnoterの人となり、背景を知ることは、記事を読む上で、とても有意義だと思う。
その人物の半生、大声で喜んだこと、涙に暮れて膝を折ったこと、地獄の淵を延々と歩んだこと、その数々の調べが、現在、筆を振るうnoterたちのテーマソングなのだ。
私は、熱いコーヒーを淹れて、肘掛け椅子にどかっと座り、それに耳を傾ける。
なにも足さない、なにも引かない……。
ネスカフェ・ゴールドブレンド……。
え?
これって自分も書かないと怒られる感じ?
私の血液型は、B型である。
天性の天邪鬼。
世間からは、奇人、変人、変態、ムッツリ、短小と蔑まれ、村八分にされてきた。つらい日々……。
ここはあえて、世の習いに従おうと思う!
(つまり、自己紹介しますということです)
* * *
2011年3月18日、震災から、一週間。
「箱ちゃん、自分の名前、内示書にあるで」
課長は、冗談めかしていった。
京都支社の課長は、おっとりとした地元人であった。
当時、私は課の総務係長で、課長とはいつも昼食をともにする「サラメシ」仲間であった。
内示書とは、四月からの人事異動書を指す。
私は、自分のデスク、その真後ろの課長席に振り返った。
「課長、震災で社員が大変なんやから、しょうもない冗談はやめてください」
そう、それはつまらぬ冗談なのだ。
弊社の従業員たちは、震災の当日から被災地へ派遣されていた。そして、まもなく第二陣を送り出す段取りで、私も京都支店も全国の支店も本社も上へ下への大騒ぎであった。
私は、京都へ転勤して一年。
転勤などあり得ないのだ。
あと二、三年は、勤務するはずである。
……そう、そのはずだったのだ。
* * *
3月31日20時、京王調布駅北口、路地裏のビジネスホテル、フロント。
「だって以前は休憩できましたよ……」
「ですから、今は宿泊しか取り扱っておりません」
私の前に並ぶ若いカップルと、フロントのおばちゃんがなにやら押し問答をしている。
どうやら、このホテル、昔はラブホであったようだ。
フロントは、びっちりと透明のアクリルで囲われ、カウンターに空いた小さな窓から部屋の鍵などをやり取りする。
その小窓を境界線にして……。
大きな鳩が刺繍されたスタジャンを着る、若僧。
バッグがスカートに引っかかり、パンダさんのパンツが丸出しの、小娘。
スフィンクスを思わせるソバージュでカップルを威圧する、おばちゃん。
が、ばちばちとやり合っている。
「終わったらすぐに出ていきますので……」
と、小窓に向かって懇願する、鳩。
「終わったらって、そういう問題じゃありません」
眉間に皺を刻む、スフィンクス。
実際、夜、東京駅に着いて驚いたことがある。
報道で知ってはいたが、暗いのである。
計画停電というやつである。
本当に計画停電が行われたのか記憶は定かでないが、節電のため構内の照明を落としていることは事実であった。
階段の手摺りを掴んで、ゆっくりと階段を降りながら、前途に横たわる得体の知れないものに睨まれているような、そんな居心地の悪さを胸に抱え、私は、今夜の宿、調布へ急いだ。
調布駅もまた、照明が落とされ暗がりの世界であった。
件のホテルへ向かう。そこは、一階が半地下の五階建てであった。
その一階のフロントで、鳩と熊猫とスフィンクスに出くわしたのだ。
「もうお帰りになってください」
とりつく島もない、ピラミッドの守護神、スフィンクス。
「なら、一時間で構いません。宿泊代を全額支払いますから……」
何がなんでも今晩、熊猫を啄ばみたい、鳩。
私は、気が立っていた。
内示を受けてからの残務整理。
つかまらない、引越し業者。
この二週間、実に目まぐるしかった。
今日、東京駅に着いた頃には、ほとほと疲れていたのだ。早く休みたい。
——なにも部屋にこだわらんでもええやん。この辺、節電で十分暗いし、路地を一本入ったら真っ暗や。そこで好きなだけ、ハトポッポしたらええのに……。
などとよからぬ事を頭で巡らせていると、ふと無意識に大きな舌打ちが出てしまった。
ちっ!
期せずして注目を集めてしまった、私。
なるほど、豆鉄砲を喰らうとはこのことか、と密かに感心する私を尻目に、鳩は熊猫の肩を抱いて、そそくさと足早にその場を立ち去った。
珍獣どもを退けた私は、スフィンクスから恭しく部屋の鍵を授けられると、ピラミッドへ……、今夜の暖かいベッドへ向かった。
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