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吉野弘幸vs上山仁 1991年12月9日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.3」

ボクシング観戦にはまることになった運命の一戦。

後楽園ホールで初めて生のボクシング観戦を体験して約4か月後に観たこの試合こそが、僕をボクシング観戦の沼にずっぽりハマらせるきっかけとなった一戦である。吉野弘幸vs上山仁。どちらも十度にわたり日本タイトルを守り続けたウェルター級、ジュニアミドル級の王者が激突した一戦だ。

両者はそれまでに二度対戦済。4回戦時代に一度、そして日本ウェルター級王座を賭けて一度。結果は、一度目はドロー、二度目は当時日本チャンピオンだった吉野が2RKOで上山を退けている。しかし、その後、上山は一階級上のジュニアミドル級の日本王座を獲得し十度防衛。実績を積み上げ、満を持して雪辱戦に臨む形だ。

日本重量級屈指の好カードとして、ライバル王者同士の一戦は、専門誌でも大きく取り上げられた。当時まだ国内ボクシングの情報に疎かった僕も、専門誌で様々な前情報に触れ、このカードに興味を募らせた。

初めて観た吉野弘幸のミット打ちの衝撃

ワタナベジムに通っていた僕は、当然、吉野派であった。上山の試合はまだ一度も観たことがなく、実力のほどはわかりようがない。比して、ジムで吉野の練習風景はよく目にしていた。彼の代名詞と言える左フックも、飯田トレーナーとのミット打ちで至近距離で何度も目撃している。

初めて見た吉野弘幸のミット打ちは、まさに衝撃だった。確か、入門3日目くらいだったか。ジムに入ると、一人の選手が飯田トレーナーとリングの中でミット打ちをしていた。ジムに吉野弘幸という日本王者がいることは、ボクシングマガジンを読んでかろうじて知っていた。しかし、その時は、彼がその人であることすらわからなかった。ただ、彼がとんでもない豪打の持主であることは、すぐにわかった。僕はしばらく彼のミット打ちを茫然と眺めた。甲高い破裂音をたてながら、豪快なパンチが次々にミットに吸い込まれていく。「こんなの一発でももらったら死ぬんじゃないのか?」と真面目に思った。

彼が日本ボクシング界有数のスラッガーであるとは露知らず「プロボクサーって、みんなこんなすごいパンチを打つの!?」と驚嘆しつつ見ていた。この時点で「1年くらい練習して、プロライセンスくらい取ってみようかなー。あわよくば試合までしちゃったりして」などという当初抱いていた甘いもくろみは儚く消えた。こんなバケモノみたいな人間がうじゃうじゃいる(と、その時は思った)所に、自分などが入り込めるわけがない。

ほどなくして、彼が日本王座を十度防衛している名王者であること、必殺の左フックを武器にKOの山を築いている特別なボクサーであることを知るが、一度しぼんだ気持ちが戻ることはなかった。そして、それは(僕にとって)正解だったと思っている。興味本位で足を踏み入れるには、プロボクシングのリングは危険すぎる。

「上山は3ラウンドもたないですよ」

注目の一戦が決まり、吉野の練習も熱を帯びているようだった。彼の練習は、見ている限りはミット打ちが中心のように思えた。飯田トレーナーとのコンビで、延々と続く。時間にしてどれくらいやっていたのか。記憶がいまや曖昧なので正確なところはわからないが、3、4Rで終わるようなものではなかった。

その様子を、僕はシャドー中に、またはサンドバッグ越しに眺めた。〆はいつも、後退する相手に左フックを連続で打ち込んでいくのがルーティーンだった。その迫力にはいつも目を見張った。終わると、吉野は割とケロッとしているが、受ける飯田さんの方は片膝をついてしばらく動けないほどに消耗していた。あの強打を何ラウンドも受け続けるのはどれだけの負担を体に強いるのか、想像もつかなかった。正直、僕は吉野よりも飯田さんの方に尊敬の念を持っていたと思う。

試合の数日前、ジム内で渡辺会長と吉野が話している場面にでくわした。「吉野、調子はどうだ?」と渡辺会長が尋ねる。吉野はそれに答えて「上山が打ち合いに来たら、たぶん3ラウンドもたないですよ」と自信たっぷりに言い放った。会長は何かを言いかけたが、それを飲み込むように沈黙し、言葉をそれ以上続けなかった。けれど、無言のうちに「そう簡単にはいかんだろう」と言いた気な雰囲気は伝わってきたが…。

いよいよ激突!吉野弘幸vs上山仁

そして、当日。当時のボクシングマガジンで改めてカードを確認すると、4回戦が7試合、そして、セミに翌年4月に吉野と対戦することになる佐藤仁徳が出場している。結果は結果は5RKO勝ちで、デビュー以来11試合連続KO)。観客数は驚きの3250人となっている。さすがに定員の倍は無理のある数字だと思うが、よく入っていたのは間違いない。7月に観たヤマトタケシのノンタイトル戦とは場内の熱量が違った。

いよいよ試合開始。ここからは当時の記憶と、再見した映像の印象を元に書き進めたい。

初回、ゴングと同時に吉野がパワーの差を見せつけようというかのように、左フックを連続で叩きつけていく。しかし、上山はその隙間にインサイドからコンパクトな左フックを合わせた。開始10秒のことである。この一発が若干カウンターのタイミングでヒットし、吉野はよたよたと後退する。瞬間、沸騰するように観客が沸いた。

「この一発が流れを決めた」と試合後に語ったのは上山の方だ。たぶん、吉野得意の左フックをカバーした後、すかさず今度は自身が左フックを返すというのが、基本戦略の一つだったのだろう。それがしっかりとハマって自信をつかんだのか、上山はその後も前へ出ながら接近戦を挑み、吉野の強打をカバーしてはすかさず小さく的確な左フックをコツコツと当てていく。

それに対し、吉野は委細構わずと言った具合に、左フック、アッパーを振り回す。見た目も派手な吉野の攻撃に観客はその都度大きな歓声を上げる。初回、有効打の数では上山が上回ったように感じられた。採点を見ると、意外なことにジャッジは3名ともに10対10のイーブンとしている。しかし、テレビ放送では解説の2人は上山有利としていた。

ちなみに、その2人とは矢尾板貞夫氏と輪島功一氏。と、ここで気づくのはこの試合は、ワタナベジムの試合をいつも放送しているテレビ朝日ではなくフジテレビでの放送だったということだ。たぶん、興行主は新日本木村側だったのだろう。それであれば、上山が赤コーナーだったのも納得がいく。

2ラウンドに入り、いったん試合は落ち着きかける。上山はよくジャブをのばし、そしてそれがよく当たっている。中盤からは吉野がふたたび力のこもった左フック、アッパーを繰り出し、上山の顎を何度かはねあげた。それでも上山は吉野を波に乗らせない。ラウンド後半には、吉野の左をカバーしてすぐにリターンの形がはまっていて、ペースを渡さず同時に攻勢を印象づけている。

3ラウンドも引き続き、上山のジャブがよく当たる。吉野の左を警戒して、右手は顎の横に置き、ほぼ動かさない。しかし、吉野がジャブにあまり反応していないことを見て取ると、徐々にフォローの右ストレートを差し込み始めた。吉野はラウンド後半に何度目かのラッシュをかけるが、途中で自らクリンチ。これまでにない苦戦に、スタミナがこの時点でかなり削られているように見える。

4ラウンド。ここから近距離で上山が左右のボディを出してくる。吉野はそれを嫌うように、またも狂ったようなラッシュをかける。そのいくつかがヒットし、この試合初めて上山が力なく後退していく。吉野は一気に試合を決めるべく、さらにたたみかけるが、上山はなんとか踏みとどまり、逆に気持ちのこもったラッシュをしかけていく。これ以上の被弾には耐えられないと判断しての勝負だったのだろう。この決断が功を奏する。

打ち合いを制したのは上山の方だった。攻撃を優先し、ガードの甘い吉野の顔面を的確にコンパクトなパンチで打ち抜いていく。年間ベストラウンドでは?と思うような強烈な二人の打ち合いに場内は大歓声である。二度までも吉野のラッシュを跳ね返したのみならず、明確なダメージを与えたことで、一気に優位を印象付けた。結果から言えば、このラウンドの攻防が試合の趨勢を分けたように思う。

5ラウンド。開始と同時になおも吉野は左のラッシュを敢行する。前のラウンドと同じく、上山はそのいくつかを浴びてよろよろと後退をする。場内は吉野コールの大合唱。しかし、そのラッシュも30秒を過ぎたあたりで、スタミナが尽き自ら手を休めてしまう。この辺り、もう少し大振りを抑えて強弱をつけた右のパンチを交えたコンビネーションを打てたなら結果は逆だったのでは?と、思わざるを得ない。中盤から持ち直した上山がコツコツと当て、終盤にはお互いの左フックが同時にヒットする場面がいくつかあったが、吉野の方がよりダメージが深そうだ。

6ラウンドはさすがに両者ともに疲れからか、手数がこれまでに比べて少ない。接近戦でボディを叩き合う場面や、もつれあう場面が多く、一旦、試合が落ち着いた印象だ。

しかし、得てしてこうしたラウンドの後に試合が動き出すもので、7ラウンドの開始直後、上山のジャブ、右アッパー、左フックのコンビネーションを吉野は無防備に浴びてしまう。軽めのパンチではあったが、疲労から集中力が損なわれているようにも見えた。それでも吉野は力を振り絞りパンチを返していく。しかし、序盤のようなスピード、力感はもはや感じられない。そして、右ストレートから返しの左フックを打とうとした刹那、吉野のやや緩慢で振りの大きなフックとは対照的な、コンパクトかつ内側からえぐるような上山の左フックが完璧なタイミングでカウンターとなって吉野のアゴをとらえた。

いわゆる糸の切れた人形状態で、背中からマットに崩れ落ちる吉野。誰が見ても「これで終わり」と思えるような倒れ方だ。吉野は意地で立ち上がるが、足元はおぼつかず表情はうつろ。しかし、驚いたことにレフリーは続行を命じた。現在なら完全にストップだろう。案の定、再開後、パンチに反応できずリングをふらつきながら後退する吉野の様子をみて、すぐにストップが入った。今度こそ試合終了と思われたが、カウントが入り、なんとまたもや続行。上山が再び襲い掛かり、最後は頭を巻き込むようなパンチで、ヒットはしていないものの、すでに自分の体を支えるのも困難な状態の吉野が三度倒れ込むのをみて、ようやく試合が終わった。

三年の間により成長していたのは…。

時に7R1分51秒。吉野のトレードマークである左フックにカウンターを合わせて倒すという、上山としてこれ以上ない痛快な勝利だ。

歓びを爆発させ、涙にくれる上山の様子を客席から眺めながら、僕は試合数日前の吉野の「打ち合ってくれたら3ラウンドで終わる」というセリフを思い出していた。吉野の望み通り、上山は打ち合いに出た。吉野にとっては願ってもない展開だったはずだ。それなのに……吉野は負けてしまった。

自分のパンチに上山は耐えられない、1、2発ヒットすれば必ず崩れる。もしかして、そんな過信、または油断が吉野の側にあったのではないか。力任せのラッシュをかけて、パワーでねじふせる。それ以上の戦略が吉野からは感じられなかった。

現時点で思うもう一つの誤算は、上山のキャリアへの評価だ。吉野に敗れた翌年、上山は1階級上の日本ジュニア・ミドル級タイトルを獲得し、十度の防衛を重ねてきた。その中には、大和武士、木村文彦、山口真澄、塩見真司などの強打者も含まれる。一階級上の強打者たちにもまれながら防衛を続けた上山は、吉野に敗れた3年前とは比較にならないほどたくましさを増していたに違いない。

そして、当時のボクシングマガジンを見ると、この試合は両者70.3㎏で行われていたことがわかる。ジュニア・ミドル級のリミットよりもさらに500gほど上である。吉野にしてもデビュー当初はミドル級で戦っていたわけだが、階級が合わなかったのか2連続でKO負けを喫している。以降、ながらくウェルター級で戦ってきた。ウェルター級ではKOの山をきずいた吉野の強打も、70㎏超級となると、威力が相対的に減じてしまったように感じられた。
「打ち合いになれば上山はもたない」という吉野の戦略は、試合前からもしかしてある意味でほころびが生じていたのかもしれない。

試合数日後、ジムに練習に行くと、飯田さんの姿があった。心なしか元気がないようにも思われた。荷物入れの棚の近くで肩を並べるような形になった時、僕は「試合、お疲れ様でした」と言った。わざわざそんなことをいう練習生はあまりいないのか、飯田さんは少し意外そうな顔をしながら「おお」とだけ小さく返事をしてくれた。そこでやめておけばよかったのに、僕は「残念でしたね」と余計な一言を添えてしまった。

今度は飯田さんからの返答はなかった。


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