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朴政吾vs佐藤仁徳 1993年7月12日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.14」

職場の上司とのボクシング観戦。

30年前に行われたこの東洋太平洋戦を覚えている人が、いまやどのくらいいるだろうか?僕にとっては妙に印象に残る試合、というか一日なのだけれど。

というのも、ほぼほぼ一人でボクシング観戦にでかけることの多かった自分には珍しく、この日は職場の上司と連れ立ってホールの椅子に座っていたからだ。

その上司は特段ボクシング・ファンというわけではなかったが、昭和30年代のボクシング黄金時代に青年期を過ごしている。毎日のようにテレビで試合が生中継されていた時代を知っているのだ。ボクシングについての基礎知識も、平成時代の普通のファン以上にあるのがこの世代だ。

職場でもしばしばボクシングを話しのタネに雑談をすることがあった。その中で、たぶん彼が「実は一度も後楽園ホールには行ったことがない」というような話をして、それなら一度一緒に、という流れだったような記憶がある。

というわけで、この試合のことを思い出す時、彼のこともセットになって思い出すという具合なのだ。

選んだのは、東洋太平洋ウェルター級王者、朴政吾に、日本同級王者の佐藤仁徳(仙台)が挑戦する一戦。重量級の強打者同士による面白い打撃戦になるのではと思っていた。

佐藤は前年4月、日本ウェルター級王者、吉野弘幸(ワタナベ)に挑戦するも、4RでTKO負け。佐藤有利の声も多かった一戦だったが、ベテラン吉野に一瞬の隙をつかれた形の敗戦だった。

その後、93年2月にその吉野が返上したベルトを、大東旭(グリーンツダ)と争い、6RKO勝ちで見事初のタイトルを獲得。元々「世界を狙える逸材」との評価もあった佐藤である。吉野戦での躓きを取り返そうと言うかのように、一気に東洋太平洋王座に照準を定めてきた。

いまだ日本人の手が届いていないウェルター級の頂きに向けて、佐藤が再び踏み出すための試金石。そんな一戦のはずだった。

アマチュア出身選手が続々と登場した前座試合。

さて当日、定時17時30分きっかりに仕事場を出させてもらい、最寄りの浜松町駅から水道橋駅へ。ビルの1階で当日券を買い、ホールに入るときっかり試合開始の6時頃だった。

いつもは立見席だが、この日はさすがにそうもいかず、指定席にしたはず。南側なかほどから少し後ろよりくらいで観たような気がする(さすがに記憶は曖昧)。

この日の前座試合をボクマガ93年9月号で確認すると、まずは4回戦が4試合。続いて、6回戦以降はアマチュアで実績を積み上げた選手が次々に登場する。

まずインターハイで準優勝した佐井敦志(八戸帝拳)が初の6回戦にのぞみ、判定勝ち。続いて、中村勇(山上)が前年度新人王の平野安夫(ランド)を2RでTKOに下し、戦績を2戦2勝(2KO)とした。

セミでは、坂口俊雄(タイコー小林)が、ウエルター級の日本ランカー、横田浩一(埼玉中央)に挑戦するが、4度のダウンを奪われプロ初黒星を喫する(戦績はこれで3勝1敗)。

意外な結末を迎えた、佐藤仁徳vs朴政吾

そんな前座カードを経ていよいよメインイベント。

両者のこれまでの戦績は、佐藤が16戦15勝(15KO)1敗朴が27戦23勝(16KO)2敗2分。朴はこれが9度目の防衛戦となる。佐藤は当時21歳。対する朴は25歳。

ここからは、いつも通り動画を観返した印象を交えて、試合を再構成してみたい。

初回。サウスポースタイルの佐藤が、右に回りながらジャブを放つ。対して、朴も佐藤のジャブに自身のジャブをぶつけながら、いきなりの右ストレートを差し込む。体ごとぶつかるように打つ右は迫力がある。とはいえ、朴のフォームはいかにもぎこちなく、少し硬さがあるとはいえ佐藤のきれいなフォームをみると、両者の技術の差を早くも感じさせる。

1分過ぎに、佐藤のノーモーションの左ストレートがクリーンヒット、場内が沸く。続いて、打ち返そうと前がかりになった朴の顔面を左フックがとらえ、朴の体がゆれる。近距離での打ち合いでも、佐藤のコンパクトな連打が、朴のワイルドなパンチを上回っているようだ。

開始2分あたりで、朴が状況を打開しようと、ショートの連打をなかば強引につなげてくる。佐藤はその打ち終わりに、ショートの右フックを朴の顔面に痛打。完全に効いてしまった朴は佐藤の連打にさらされる。

朴はブロックしようとしているのだろうが、意識が朦朧となっているのか、いかにも真ん中が開いている甘いブロック。しかし、いくつか直撃弾を浴びつつ、朴は佐藤にしがみつき、なんとか生き残りを図る。

この時点で残り一分。レフリーのブレイク後に、朴はなおも佐藤のワンツーを無防備に受けている。誰がどう見ても、もう時間の問題。ふらふらと後退する朴に、佐藤が畳みかける。

しかし、ロープにつまったところで、朴が思い出したように体を振り始める。そして、体を預けるように前進しながら、ショートのアッパー、フックをつなげる。佐藤は少しやりにくそうだ。

それでも、接近戦においても佐藤のコンパクトなコンビネーションの方が有効だ。インサイドからのアッパー、外からのフックに、朴はついていけない。1Rはダウンこそなかったが、10対8をつけてよいくらいの差があるように感じられた。

客席の僕は、一方的な展開に「次で終わりそうですね」と上司に声をかけた。どうせならもっとシーソーゲームの展開を期待していたので、次のラウンドで朴の奮起を願っていたくらいだ。

2R。中間距離での不利さを悟ったか、朴がつめて連打を振るう。佐藤は余裕を持ちつつそれをブロック…と思っていたのだが、けっこう当たっている。朴の連打は、上下、正面、横としっかりちらしながら打ってくる。それらがブロックをすり抜ける形で佐藤にヒットしている。

それでも佐藤がコンビネーションの切れ目に右フックを差し込むと、これが綺麗にヒット。朴の動きが止まる。さあ、今度は佐藤のターンと思ったのもつかの間、朴の放った右アッパーが、少し締めの甘い佐藤のブロックの間を縫うように差し込まれ、ものの見事に佐藤の顎にクリーンヒット。

この時点でまだ開始30秒。腰砕けになった佐藤はよろよろと後退。朴はこの千載一遇のチャンスにもちろん猛ラッシュをしかける。佐藤は朦朧としているのか、クリンチにいこうとしているもののまったくクリンチになっておらず、実際には中途半端に相手にむかって両手を差し伸ばしているだけという、最悪の体勢。当然、いいように朴の連打にさらされる。

何発ものパンチを無防備に浴び続ける佐藤に、サラサス•レフリーがたまらず割って入り、スタンディング・ダウンを宣告。カウント・エイトで試合は再開されるが、朴が再びラッシュすると、佐藤はやはりまったく反応できない。

本人はブロックしているつもりなのだろうが、ほぼその体をなしておらず、いわゆる顔面でブロックしている状態。みかねた佐藤の陣営からタオルが投入され、ようやくそれ以上のダメージから佐藤を救いだした。

タイムは1分すぎあたり。「次の回で終わりそう」なんて話していたが、まさか佐藤がストップされて終わるとは。観客席で僕は完全に言葉を失っていた。

茫然としながらも、僕は前年の吉野戦を思い出していた。

あの時も、佐藤が優勢に試合を進めつつあったところで、逆転の一打を食って、そこから一気にフィニッシュまで持っていかれてしまった。

あの時は吉野の詰めの鋭さの方が印象に残ったが、今回は、いったん効かされてしまったあとの佐藤のあっけないほどの脆さが印象に残った。

初回に同じようにピンチに陥った朴は必死に佐藤にしがみつき、また体を振りながら逆に前に出て難を逃れていた。これがキャリアの差というものなのか、、、。

クリンチをするわけでもなく、打ち返すでもなく、ただただなす術もなく連打を受け続ける姿は、普段の正統派で端正な佐藤のボクシングと、あまりにギャップがありすぎた。

「すいません。なんか盛り上がる前にあっさり終わっちゃいましたね」

気付くと僕は、たった2ラウンドで唐突な幕切れを迎えた試合について、上司にあやまっていた。

「いやいや、こういうのもボクシングだよ」と、彼は僕に言った。

ホールを出た後、平日ではあったけれど、近くの居酒屋で少しだけ飲んだ記憶がある。

初めての生観戦はなかなか楽しかった。やっぱりテレビとは違うねえと、彼は繰り返し言った。

また誘ってよとも言われたが、結局、彼と一緒にホールに行ったのは、この日が最初で最後になってしまった。

やはり自分はひとりでベランダで立ち見というのが、一番性に合っている。

彼とはその後5年ほどを部下と上司として過ごした。

肝臓の数値にいつも気を配っていた彼は、仕事からはなるべく早くに引退したいと、よく言っていた。

というのも米国赴任中に受けた手術で、輸血によって肝臓に病を得ることになってしまったのだ。当時の米国は売血が認められており、スクリーニングも甘かったのだという。70年代の米国で頻発した事例らしい。不運というしかない。

お世辞にも仕事ができるタイプの人ではなかったが、ガツガツしたところのない、のんびりした人柄は好きだった。

退職後は、奥さんと旅行に出かけたり、ようやく望んでいた生活を手に入れたように見えたが、恐れていた肝臓の病気で60代の若さで亡くなってしまった。

今回、動画を久々に観返して、「この会場のどこかに、あの時の僕と〇〇さんがたしかに並んで座っているのだなあ」と、しみじみしてしまった。

もしも彼がその後、ボクシングの生観戦に出かけなかったとしたら、この時が彼の人生で唯一のボクシング観戦だったのかもしれない。

だとしたら、やはり誘ってよかったなと思う。


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