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吉野弘幸vs朴政吾 1993年12月7日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.19」

1993年末の大一番。

僕にとっての大一番だった金内豪くんのプロ第二戦からわずか三日後、もうひとつの大一番がやってきた。

吉野弘幸vs朴政吾

6月に初となる世界戦に挑んだ吉野だが、ファン·マルチン·コッジにあえなくKO負け。その再起戦は、いきなり東洋太平洋ウェルター級王座への挑戦試合となった。

「これは抜群のマッチメイク!」と、ボクシングマガジンのスケジュール欄でこの一戦について知った時には興奮した。

当時の吉野はコッジ戦に敗れて世界ランクからは落ちてしまっていた。しかし、これに勝って東洋太平洋王者になれば世界ランクにも復帰できるだろう(当時の朴は、WBA4位、WBC7位)。

朴は7月の佐藤仁徳戦では2RTKO勝ちを収めているものの、佐藤にKO寸前まで追い詰められる場面もあり逆転勝ちといってよい内容だった。その佐藤に吉野は4RKO勝ちしている。勝機は十分にある。というか、「これは吉野がKOで勝つでしょ」と信じて疑わなかった。「モノが違うよ」と。

しかし、問題は約半年ぶりとなる再起戦となる吉野の状態だ。度重なる拳のケガの影響か、コッジ戦以前からやや戦いぶりに精彩を欠くというか、以前の勢いが失われつつあるように思われた。

期待と不安の両方を抱えつつ、後楽園ホールへとむかった。

ワタナベ初の輸入ボクサーがデビュー。

この日はメインの他に、4回戦が5試合、6回戦が1試合、セミファイナルとして10回戦が1試合という内容。

4回戦5試合はすべてワタナベの選手が出場。ジムからフェードアウトして一年半前が経っているとはいえ、この頃はまだ見知った顔がリングに上がっていた。どきどきしつつ試合を見守っていたはずだが、さすがに内容は覚えていない。

セミに登場したのは、ワタナベ初の輸入ボクサー(という言い方も最近はもうしないですね)、ファン·エレラ。コロンビアからやってきた無敗のJ·フライ級だ。

日本デビューとなるこの日はフィリピンのロサリノ·エスコビノを相手にしての8回戦。内容をまるで覚えていないのは、強い印象を受けなかったためかもしれない。スピードはあるし、テクニックにも長けているのは確かだ。けれど、ずば抜けた何かを感じさせるところまでは…。僅差ながら判定勝利を手にして、戦績を10勝(4KO)1分と伸ばした。

ついに日韓ウエルター級の頂上決戦が始まる。

そして、いよいよ吉野弘幸の登場だ。ここからは当時の記憶と動画を見返した印象とで、試合を再構成したい。

吉野弘幸のここまでの戦績は、24勝(18KO)5敗1分。対する朴政吾は25勝(18KO)2敗2分。この試合が10度目の防衛戦となる。双方ともに当時26歳。

初回。軽いジャブをぽんぽんと突く朴。対する吉野はトレードマークの左フックをそのジャブに軽く合わせる。また右ストレートをかぶせる動きもみせる。佐藤戦でもこの右が案外効果的だった。この試合でも右の使い方がカギになりそうだ。1分過ぎに朴が飛び込んで左フックを放つとこれが吉野の顔面をとらえた。この試合初めてのクリーンヒット。吉野が一瞬たじろぐ様子をみせる。吉野も負けじと左フックを何度か返すが、いずれも空振り。解説の沼田さんが「拳からではなく肩から入っている。日本タイトルを防衛していた時はこうではなかった」と吉野の左フックの打ち方の変化についてふれている。たぶんカウンターをさける意味合いもあって、頭を右方向にずらしながら振っているのだと思われるが、それによって拳に体重が乗るのが遅れて威力は落ちるし、何よりバランスを崩す形になってしまっている。結果、手数も落ちる。朴は対照的に、吉野ほどの一発の威力は感じさせないが、柔らかく体を振りながらコンビネーションをつなげてくる。ラウンド後半は近距離でお互いに力のこもったパンチの交換が続く。ここでも手数で上回ったのは朴。左フックを打ち終わると一瞬間があく吉野のスキをついて細かいパンチを当てている。10-9で朴のラウンドか。

2回。開始早々から打ち合いに突入。吉野は左フックを何度も強振するが当たらない。頭をずらしながら打つのはいいが、標的から視線も外れているのでどうしても正確性に欠けてしまう。朴のパンチの力は佐藤には劣るとはいえ、吉野がこれまで相手をしてきた日本のウエルター級のボクサー達よりははるかに上回る。2ラウンド目にして吉野には早くも疲弊の色がみえる。この日はリングサイド近くで試合を観ていた僕だったが、このあたりで早くも「こ、こりゃヤバいかも…」と思い始めていた。中盤にはようやく吉野の左フックが1発ヒットし、朴が後退する。場内は吉野コール。しかし、朴は頑丈だ。それ以上崩れずに、接近してボディにパンチを集めて盛り返す。腕をたたんでのショートアッパーが巧みだ。終了間際には吉野が防戦一方になる場面も。明白に朴のラウンドだ。

3回。この回も朴の細かいパンチが有効だ。吉野は流れを変えようと左フックを続けて強振も空を切る。右はほとんどまったく出ていない。初回にいいタイミングで差し込まれた右ストレートをみて、「佐藤戦のような右が出れば勝てる」と思ったが、朴の連打に追い込まれて余裕を失ったか、ここまでは左フック頼りのボクシングに終始している。しかも、その伝家の宝刀もバランスを失った打ち方では、神通力はかなり失われているようだ。それでも終了間際に左アッパー、フックのコンビネーションをまとめると、いくつかがヒットし、朴の動きが止まる。やはりしっかりバランスよく振れているときの左フックは、一発で流れを変える力が十分ある。「いや、まだまだこの試合わからないぞ」とリング下で僕は拳を握った。解説の沼田さん、大橋さんは吉野のラウンドとしているが、それはあまりに吉野に好意的な見方に過ぎるのでは。

4回。前のラウンドでチャンスをつかみかけた吉野。今度はいいタイミングで右のオーバーハンドもみせる。「こういうパンチがも出れば、流れも変わる」と思うのだが、吉野の手数はそれほど上がってこない。試合終了後に「3回で左を痛めて、思い切り振り抜けなくなった」との弁を述べているが、そういった影響が出ているのかもしれない。朴も合わせて休んでいる様子で、試合は一旦ここで落ち着く。終盤に攻勢を強めたのは朴。近距離で細かい連打をまとめる。吉野も負けじと力のこもった左フックを返す。このラウンドは互角に近かったと思うが、どちらかに振るとすればやはり朴のラウンドか。

5回。この回も双方、手数は少な目。ポイントを挽回したい吉野。右ストレートから左フックのコンビを見せ始める。この流れの方が吉野はバランスよく左フックが打てている。「これはいいぞ」とも思うが、単に左を痛めた影響なのかもしれない。中盤から、ペースを渡すのを拒否するかのように、朴が接近戦を再びしかけてくる。吉野もそれに応じて、左ボディから左フックの得意のコンビをつなげていく。しかし、接近戦では朴が一枚上手だ。吉野は左アッパーを朴の顔面にヒットさせるが、朴は崩れず、さらに手数を重ねる。後退する吉野。クリンチで凌ぐ姿からは疲れが隠しようもなくみえている。この回も朴だろう。

6回。朴は引き続きインファイトで削りにくる。このままではジリ貧の吉野。ここで左アッパーの好打を皮切りに意を決したようなラッシュをみせる。右ストレートから左をつなげると、これもヒット。やはり右を見せるのが効果的なのだ。左を痛めたせいかはわからないが、ボディを中心に左を強打する吉野。下から上へと返す形になるとバランスの崩れもあまりなく、連打がつながる。吉野渾身の左フックもヒットするが、朴はそれを耐え凌ぎ、歩くように前に出ながら細かい連打を返す。後退を余儀なくされる吉野。今度は自分のターンとばかりに、朴が再びインサイドからの連打をみせる。さきほどのラッシュでスタミナをかなり消費した吉野はクリンチでなんとか逃れようとするが、朴のしつこい連打にさらされている。ときおり左で抵抗を試みるも朴の前進を止められない。勝負をかけたラッシュで仕留められなかった吉野の疲労が濃い。朴のラウンド。

7回。低い姿勢で接近戦をしつこくしかける朴。吉野もここにきて右から左のボディブローや、左フックをいい形で当てているのだが、朴は顔色も変えず前進を続ける。これまで吉野が相手をしてきた選手とは段違いのタフネスだ。吉野は右のショートを交えたコンビネーションもようやく見せ始めているが、これがもっと早い回から出ていればと思う。ラウンド中盤から、朴がギアを上げるように手数をさらに増やすと、打ち疲れもある吉野はついにダムが決壊するようにダウン。ふらふらとしながら立ち上がるも、時間は1分以上残されている。決めにかかる朴。吉野は意地を見せるかのように左フックを強振。しかし、それも長くは続かず、再び朴の連打にさらされる。吉野がこのラウンドを生き延びることは無理かと思われたが、朴の打ち疲れもあり、どうにかゴングまで逃げ込んだ。しかし、コーナーへと向かう吉野の足取りはおぼつかない。10-8で朴。

8回。朴が試合を決めるべく、ゴングとともに一気に仕掛ける。吉野に抵抗するスタミナが残されていないのか、ずるずると後退してロープにつまる。それでも時折、左ボディ、フックを振るが、もう前半の勢いはなく傍目にも朴を脅かしそうにはみえない。しかし、疲れが出ているのは、この試合を通して攻めに攻め続けている朴の方も同じで、そのラッシングパワーもかなり失われてきており、それが吉野を生き延びさせている。2分過ぎ、朴は尚も吉野に頭を押し付けるようにしながら連打。吉野はバッティングをサラサス·レフリーにアピール。サラサスが両者を分けるが、その最中に朴が右ストレートを差し込み、それが吉野にヒットし顎がはねあがる。レフリーが両腕を交差し、試合をストップしたのは、その瞬間だった。動画では、アナウンサーが唐突な試合終了に事態を飲み込めていない様子がうかがえる。解説の沼田さんが「おそらく吉野の左目がふさがって、続行不能として止めたんでしょう」と補足している。やや不完全燃焼な幕切れに、場内もざわついている。当時の僕がどう思ったかもう覚えてはいないが、これ以上続けたところで吉野の逆転はないだろうと感じていただろうと思う。このストップは仕方がないと。

1993年の朴政吾を忘れない。

痛い1敗だった。この試合に勝っていれば、まだ世界戦線に踏みとどまれたのだが、これで完全に外れてしまった。「もしかして引退もありえるのでは」と、当時の僕は感じていた。この時代、世界チャンピオンの目が絶たれたボクサーが現役を続けるケースは少なかった。

それにしても、と思う。朴は吉野に不足しているものが全部そろっているボクサーだ。スタミナに裏付けされた旺盛な手数、上下の打ち分け、豊富なコンビネーション。これらが吉野にもあったら…。試合は序盤で決していたはずだ。

この試合でもジリ貧になりつつ吉野に、解説の大橋秀行が「吉野が右を打てたら、とっくに終わってるはずなんですけどね…」と悔し気に呟いていたが、それは観ている者全員の感想でもあるだろう。

ボクサーとしてのスケール、素質は、誰がどう見ても吉野が数段上回っている。けれど、ボクシングは素質の比べ合いではない。天分では劣るかもしれない朴が吉野を、佐藤を時に打ち破るのが勝負の妙だ。それを裏打ちするのは豊富な練習量、ガッツ、勝機を見極める格闘IQ、それらをすべてひっくるめた人間力としかいいようのないもの。

その意味では1993年の朴政吾は、佐藤戦、吉野戦を通じて、日本のファンに「ボクサーにとって本当に大事なモノとは何なのか」を存分に見せてくれた。見せつけられた、という方が正しいか?

あと思うのは、吉野攻略には上山戦という教科書がすでに存在していたのも大きい。左フックの直撃を極力避けながら、インサイドから細かいパンチをつなげ、スタミナに難のある吉野の体力を徐々に削り、中盤以降に勝負。上山と朴ではタイプは違うが、試合の流れはかなり似ている。

しかし、応援している選手の負ける姿を見るのはいつだって辛いものだが、この時はかなり堪えた。この一戦をものにできるかどうかで、以後の吉野のキャリアは180度変わったはずだ。もしかしたら世界戦と同じくらいに重要度が高い試合では?そんな風に感じていた試合に完敗を喫してしまったのだ。

しばらく椅子から立ち上がる気力さえわかなかったのをおぼえている。


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