見出し画像

竹原慎二vs李成天 1993年5月24日 「後楽園ホールのベランダより~追憶の90年代ボクシング Vol.11」

世界を狙う竹原が、まずは東洋王座へ。

のちに日本人初の世界ミドル級王者となる竹原慎二。彼の試合を初めて生観戦したのが、東洋太平洋ミドル級王座決定戦となるこの一戦だった。当時の竹原はWBA世界ミドル級9位、対戦相手の韓国、李成天はOPBFミドル級2位にして国内王者でもある。

世界ランクにも顔を出し「世界をも狙える本格派」として喧伝されていた竹原が、いよいよ日本を飛び出してまずは東洋へと向かう。前月4月に好カード3つを立て続けに生観戦し、すっかり勢いがついていた僕は、迷わずこの一戦も観にいった。

前座では佐藤晃がデビュー。37勝37KOのパンチャーも登場。

この日の前座は5試合。正直、内容を思い出せる試合はほとんどない。けれど、ボクマガの「熱戦譜」で振り返るに、興味深いカードがいくつも並んでいる。

まず、4回戦で佐藤晃(協栄)、のちの大雅アキラがこの日デビューしている。この試合は、テレビ放送時でも「期待の新人」として取り上げられていた。デビュー戦が放送に載るのは異例のことだ。たしか「鬼塚二世」という触れ込みだったと思う。期待通りに佐藤は1RKOで試合を決めてみせる。

10回戦では、前年度のミドル級新人王、青山次郎がベテラン横崎哲を迎え撃つ一戦がセットされていた。青山が序盤の劣勢をはねかえし判定勝ちして、無敗を守っている。青山はこれで9戦9勝。

そして、セミファイナルは外国人対決。ラウル•グチェレス(メキシコ・協栄)vsニック・アボソ(比)。37勝すべてがKO勝ちというグチェレスは、協栄所属。この日が日本での初戦となる。破格のパンチャーの登場!のはずだが、記憶をどういう角度からひっくり返しても何も思い出せない。試合はグチェレスが2RでKO勝ちをおさめて、戦績を38勝(38KO)5敗2分としている。

しかし、その後、彼が日本のリングで活躍したという記憶はない。期待されたほどのものを、この一戦で見せることはできず、契約が切られてしまったものと思われる。

身長差約20㎝。しかし、試合は意外な方向へ、、、。

そんな、なかなかに賑やかな前座カードを経て、いよいよメインイベント。
ここからいつものように、動画を見直しながら、試合を再構成してみたい。…と思ったものの、意外なことに、ユーチューブにはフルファイトの動画がひとつもない!部屋の押し入れを探せば、どこかにVHSに録画したカセットがあるはずだが、もはや再生機器の方がない…。

仕方がないので、30年前の記憶とボクマガの記事を頼りに書いてみたい。
まず今でもはっきりと覚えているのが、試合前、レフリーに呼ばれ両者がリング中央に歩み寄った場面だ。あまりの両者の身長差に、会場のあちこちから失笑が起こった。頭一つ分違う感じで、10㎝以上、もしかしたら20㎝近い身長差があるように思えた。

竹原の身長は186㎝、対する李はたぶん165㎝くらいではなかろうか?手足の長い竹原と対照的なずんぐりむっくりな体型の李。あまりの体格差に「これで果たして勝負になるのか」と、ベランダ席に陣取った僕もやはり思った。日本では敵なしの竹原。東洋でも層の薄いミドル級なら、彼にとっては無人の野を行くようなものだろう、と。

初回、えてして竹原のスピード豊かなジャブが李の顔面をはじく。「この距離でボクシングしてれば、すぐに終わるな」と僕を含め、会場の多くが思っただろう。なにしろ距離が全然違うのだ。

しかし、李は身長差のある相手との戦いに慣れがあるのか、ジャブを突きながら踏み込んでたたきつけるような右ストレート、左フックを思い切りよく出してくる。そんな一発をもらったか、試合開始早々に竹原は目じりをカット。さらにゴング間際には、李の左フックがクリーンヒットして、ぐらつくシーンも。

とはいえ、スピード差は歴然としており、竹原が普通にアウトボクシングに徹するなら、李はそこまで怖い相手ではないと思われた。実際、序盤は竹原のワンツーがよく李の顔面をとらえていた。僕も、ぴりっとしないながらも、竹原が中盤あたりにストップを呼び込むのではないかと思いつつ、リングを眺めていた。

しかし、である。序盤から中盤に入ると、めっきり竹原のジャブが減ってくる。同時にフットワークもあまり見られなくなる。それにつれ、李がどんどんと中へと入って、パンチをふるう。そんな場面が、4R以降、急に増えてきた。

短躰で手足の短い李だが、踏み込みはなかなか速く、思い切りがいい。体つきを見ても、アジア地域のミドル級にありがちな、ぶよついた「水増しのミドル級」という感じはまるでなく、短躰ながら筋肉ががっちりとつまった体を、ゴムまりのように弾ませて迫ってくるような印象だ。

最初は半笑いで李の奮闘ぶりを観ていた観客も、4R以降、竹原がどんどんと余裕をなくしていく様に、いつしか笑い声は消え、どよめき、悲鳴のような声が混じるようになる。

中盤からの急な失速については、竹原がその後、自著やテレビ番組で、試合数週間前に左手を骨折し、激痛と戦いながら拳を振るっていたことを告白している。それを聞けば、急にジャブが減ったのも理解できるが、当時はそんなことは知る由もない。

「なんでもっとジャブつかないかなー」「簡単に相手を中に入れすぎ」などと、歯がゆいような思いで竹原の戦いぶりを見つめていた。

深まる劣勢。番狂わせ寸前の展開に。

その後も中盤は、回がすすむごとに、竹原の劣勢が深まっていく。7回にはカウンターを合わされぐらつく姿も。このままジリ貧かと思われたが、ここで竹原はようやく思い出したかのように足を使い始める。

多少消極的で竹原の本意ではないのかもしれないが、遠い距離でのボクシングに徹底することが、どう見ても一番勝利の確率が高そうだ。後半8、9回は竹原が痛む左拳を顧みず(とは当時はわからなかったが)、ジャブを多用し、右ストレートやボディへとつなげるボクシングでいくらか立て直したかのようにも見えた。

それでも李の体ごとぶつかってくるようなパンチは脅威で、パンチをもらう度に竹原の体は頼りなく揺れる。多少竹原が盛り返したようにも見えるが、ポイントがどちらに流れているのか、どちらともいえない気がした。

僕はこの時点で、かなり李の方に感情移入しながらリングを見つめていた。試合前にはあまりの身長差と不器用に腕を振り回す戦いぶりに、失笑を浴びていた李。それが、世界を狙うホープを相手に番狂わせ寸前にまで試合を進めているのだ。

続く10Rは明確に李が押さえた。というか、李の連打についにつかまり、竹原は立っているのが精いっぱい。ついにはそれもままならなくなり、ロープにつかまり必死に体を支える。翌日、録画したビデオを見返すと、解説の白井さんが「これはダウンでもいいんじゃないないですか?これはもうダウンでしょ」と言っている。

まったくその通りで、もし、ここでダウンの裁定があり、このラウンドが10対8となっていたら、試合の結果が違っていたのでは?とすら思う。

それでも判定を待つまでもなく、あと一発クリーンヒットが入れば、竹原はリングに崩れるだろうという状態だったが、なんとか最後の致命的な一発をもらわずにゴングに逃げ込んだ。

敗戦濃厚。11Rは、このまま李のペースで一気に試合終了か?と思われたが、ここで竹原が踏ん張りをみせる。前のラウンドのラッシュでスタミナを失ったか、李のペースが少し落ちてきたことも幸いしたかもしれない。猛然と襲い掛かる李に竹原は右ストレートで応戦し、李の一方的なペースにはさせない。一方の李はさらにスタミナを失った。

残るは最終回。まさかこの試合が最終回までもつれこむとは、試合開始の時点でどれくらいの人が予想していただろうか?

ポイント的には、序盤が竹原、中盤以降が李に思われ、ここまでは小差で李のリードと、僕にはみえていた。

最終回での劇的な決着。

最終ラウンドに関してはユーチューブに動画が上がっているので、見ての感想を書いてみたい。

最終回も序盤は竹原は手があまり出ていない。ジャブもすくないので、李が飛び込んでコンビネーションをまとめている。いくつかはヒットし、竹原がぐらつく。

1分すぎ。李の打ち終わりに、竹原が力のこもったワンツーを放ち、これがクリーンヒット。なおも愚直に飛び込んで腕をふるう李に対して、竹原はまたも打ち終わりを狙い、ストレート、そしてアッパーを差し込む。これも当たっている。気をよくしたか、さきほどまでグロッキーに近かった竹原の体に力感がよみがえってきた。

ラスト1分を切ったところで、最後の力を振り絞って竹原がラッシュをかける。相手をよく見つつ、フック、ストレートをみせてから、左右のアッパーなど下からの攻撃を効果的に使っている。下からのパンチがあまり見えていないと判断してのことだろう。限界に近い状態のなかで、竹原は驚くほど冷静だ。

ここまで健闘した李もダメージはかなりため込んでいる。最終ラウンドとは思えない竹原の力感のあるラッシュに、足元がおぼつかなくなる。防御の手もあがりきらず、棒立ちの状態で竹原のラッシュをまともに受けている。

ついに李がダウンしたのはゴングまであと30秒ほどに迫ったあたりか。竹原の体重をのせた打ち下ろしの右ストレートが頭部に直撃。いったん後方に倒れかかるが、ダウンを拒否しようと踏ん張ったものの体の自由がきかず、最後は前のめりに倒れ込んだ。

精魂尽き果てたような倒れ方だった。大の字になった李の上にかがみこむように、サラサス•レフリーがカウントを数える。けれど、悲しいかな、李は首をあげるのが精いっぱい。というか、それでも起き上がろうという意思を見せた李のガッツはすごい。彼もまた最後まで試合を捨てていなかったのだ。

採点上は11ラウンドまで2人がドロー(一人は竹原が2ポイント優勢)としていたが、実質的に竹原の最終回での逆転KO勝ちといってよい内容だった。

ほとんどスタミナが尽きたところから見せた爆発力は素直にすごい。試合もこれ以上ないくらいに面白かった。けれど、世界を狙うホープの試合ぶりとしてはどうだろうか。はっきりと物足りないものがあったというのが、大方の観客の見方ではなかっただろうか。

正直にいって、このレベルの相手と面白い試合をしているようでは、到底世界に届くとは思えなかった。特にこの時期は、WBA王者がレジ―・ジャクソン、そしてWBCは数週間前に、圧倒的な存在感を誇っていたカリブの剛腕、ジュリアン•ジャクソンを、ジェラルド•マクラレンが痛烈なKO勝ちで破ったばかり。

マクラレン対竹原、、、。いやいやいや、無理無理無理!絶対無理!勝てるわけがない。

93年5月の時点の僕は、「やはり日本人にはミドル級のベルトは遠いのかなあ」という思いと、「いや、でも試合はめっちゃ面白かったなあ」という両方の思いを抱えつつ帰路についたのだった。

竹原が世界王座に到達する2年半前のことである。


この記事が参加している募集

スポーツ観戦記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?