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どうしてこうもどうしようもなく優しいのだろうか。
どうしてこうもどうしようもなく優しいのだろうか。
僕は人を信用していない節がある。
相手の善意ですら裏を返して考えてしまう時がある。
それゆえに自信がないのだ、だから人一倍他者の目を気にして、気疲れを起こして何もせず一日を終えて、自分の無気力さに泣くのだ。
就職活動(笑)
言えば労働者(学生)を買い長期的に会社の利益になるように長期的に育成する。(ということ考えている。)
企業にとって学生1人に時間なんて限られている。
ましてや3ヶ月も内定を留保する学生に懸けるものなど何もないはずだろう。
この先内定を辞退する可能性もあるというのにどうして1人の学生に対して優しいのだろうか。
「悔いのない選択をして欲しい」
「とにかく相談してくれてよかった」
「電話ありがとう」
建前かもと考えてしまう。(いやそうだろう。)
当たり前のことをやっていて、それができない時もある僕にこのような言葉は温もりがあり、とても冷たく鋭い言葉でもある。
捻くれてる?
いや先も言ったように信用できていないのではないか?
「社会人として恥ずかしくないの?」
「無価値な人間はいらない」
なんて言葉が欲しい時がある。
貶されたらどんなに嬉しいだろうか。
強い光を当てられれば影もまた濃くなるというもの。
怖い、甘えてしまいそうになる自分が。
20何年と生きてきて、もう性格を、捻くれた性根を変えていくにはおよそ10年かかる。(と本で読んだ。)
もしこれを読んでくれている人がいるのならば、もっと他人を信用して欲しい。
そこに対して悪意があるのかもしれない。
けれど自己犠牲で本気で応援してくれる人もいる。自分はつい最近辛くて心が折れかけたけれど、友人の支えによって今も一歩踏み出せている。
何か耐えきれなくなったら相談しよう。
世界は、人間は、こんなにも優しいのに、1人で塞ぎ込むのは勿体無い。
動物なんて「群れ」ているものなのだからさ。
備忘録でもあるし、誰かへのエールでもある。
君の一歩に幸運を祈っています。
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