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僕と大道芸

僅か20数センチの足場に人生を賭ける。

今日は日曜日久々に予定もないので、電車に乗って街に繰り出した。
日曜日というだけあって、街は人でごった返しており、僕もその中の大衆の1人に紛れていた。

駅を出てしばらく歩いていると、オブジェクトの前、人の群れができていた。

近づきたくないので遠目から観察すると、どうやら僕と同い年?それか少し上の若者が大道芸を披露していた。

特にこれと言って面白いものはないのだが、彼は一生懸命にお客さんを喜ばせていたので、僕は少し鼻で笑っていた。

彼が大業を披露するというので、お客さんに向けて手拍子が欲しいとおねだりを言い出した。

すると彼
「私はこの技を小学生の頃から毎日1時間練習してきました、かれこれ15年です。友達は減りました。」(嘘か本当かは知りませんが。)
と自虐めいた事をいうので、
カワイソーと自分も冷ややかに目線を向けてあげた。

そうしてなんか色々積み上げた板の上、足場僅か20数センチの上に足を掛けたのである。

っとここで興が覚めてしまい僕はそくさくゲーセンへ向かったのだが、向かう途中に彼のことを馳せてみるのであった。

考えれば、彼は一生懸命大業の為に人生を賭けて足場に足を掛けている。
それも大衆の前で、失敗すれば怪我が待っているし、お客さんの冷ややかな視線や同情が彼を刺し殺すだろう。しかし彼は失敗しない、したとてそれを失敗と考えない。図太く、タフで、ドデカいメンタルの持ち主だ。

彼は外の世界で一生懸命に人を集めて自己表現を続けている。それが彼の本業であるかもしれないし、副業かもしれない。でも彼は人生15年掛けてこの技を磨き、人間関係、人生さえもグラグラした足場の上に立っている。(嘘かもしれないけど本当だと信じておこう。)

だが、僕はどうだろうか?

なんでもない大衆のうちの1人であり、冷ややかな目線を向けつつ、彼をただ眺めているだけ。

家に帰って何かを成してぇと声を漏らしつつ何もしないし、暇があれば文章を練り込んで、彼とは違うインターネットという内なる世界へ投稿。閉じられたコミュニティの中で承認要求に浸っている。嬉しさはあるのものの、彼のように足場は常に頑丈でこけて落ちるなんてこともない、もちろん失敗もそこにはない。

僕には冷ややかに視線を向けたり、拍手したりする権利も本当はないのかもしれない。

あの場で彼は輝いて自己を確かに立たせていた。
けれども僕は大衆に溶け込み自己を寝かせている。

でも、彼のように成るとまでは言い難いが、内なる世界の中であっても発信し続けてていればいつか僕も自己を立たせられると思いたい。

今日は逃げるように帰ってきたが、次あの彼が大道芸をしていたら、憎しみと称賛を込めてチップを弾んでおこうと思う。

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