忙しいっていいよね
「忙しい」という言葉はとても甘美でうっとりする言葉だと自分は思う時がある。
それは、怠けて何もしていない時よりも何か落ち着く間もなく何かに対して行動している方が他人の目からもよく見える。その為怠けている人より評価が高い。
だから「忙しい」人に僕はなりたい。
ただ言葉のイメージも人それぞれなので、悪印象でも捉えかねられない。
「忙しい」とは勤勉で、真面目で、様々な物事に顔の立つイメージが自分の中である。
しかし、忙しいからと言って一線引いてしまうこともあるのは確かなことであり、友達に「忙しい」と連呼すれば、この人はやることに追われてるんだな、とか僕と遊びたくなくて言い訳してるんだなとか関係性に一線を引いたり、関係そのものを終わらせることができる。
まるで一種の凶器のようだ。
ただ忙しくなりたくて、抗えない忙しさに陥ると落ち着ける時間まで押し潰してしまい、自分を削りすぎてしまう。
まさに忙殺である。
だから「忙しい」ってすごい難しい、扱えない。
もう一つ。
他人に忙しい?と問われれば脊髄反射の如く答えを出さねばいけないし、自分から忙しい?と聞くのも気が引けてしまう。
だって忙しいそぶりもしていないのに忙しいというのは行動で嘘を示してしまっている。
しかもこれが何かを聞いて欲しい時の枕詞として「今忙しいですか?」と下から入ってくるのだ、本当に予定が詰まっている時以外は忙しいですなんていえないだろう。
いわば思考停止でも打てる魔法の言葉。
じゃあ忙しいって言葉使わないで理由を説明してよ!と思うのも無理はない。
ただ本当にあなたは他人のどうでもいいような事情をダラダラと聞きたいですか?と。
だから「忙しい」は端的で即座に相手に自分の状況を伝えられる甘美な言葉なのだ。
(例えそれが嘘であったとしても。)
だからこそ普段から何も考えずに使っている「忙しい」は振り返って考えた時に、決して思考停止では扱え切ることのできない、印象操作しやすく難しい言葉なのだ。
だから「忙しい」っていいよね。
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