内に入れない思考
いつも通り電車が書斎の秋刀魚です。
今日は気分が乗らないので暗めの記事になります。
内に入れない。
これは自分が大学生3年生になってから実感した軽いコンプレックスのようなものであった。
何がそうしているのかは多分理解している。
だけど一歩踏み出す勇気が足りていない、周りも内に入るように自分を歓迎している。
それなのに内に入れない。(入ろうとしない。)
人との距離感がわからないのである。向こうが建前で入れてやろうなって思っていなくて、善意の塊で自分に声をかけてくれているのに、自分は一歩引いてしまう。怖いから。
「こいつなんでいるんだろう」「こいつ何も話さないな」「失望した」「見たくもない」「お前に何ができるんだ」
常に頭の中で渦を巻いている。
もし仮に内に入れたとして自分がその内で生きることばかり考える。役に立たなければ意味が……なんてことを考えて結局イエスマンに成り下がって楽しいお道化の開始である。
「もし仮面を外していつもの自分に戻ったら彼らは失望してしまう!」
そんな考えを抱き余計に破滅の道へと進んでいく、行き着くだけ行き着いてあとはどうでも良くなって消えてしまいたくなる。
むしろそれなら最初から入らなくて良いのでは?
いやはや、この矛盾を抱えてあと数億年も生きていくとなると先に死んでしまいたくなる。
いっそのこと何も関わらず、誰とも話さず1人で死んでいくのが良いだろう。
でもそれができるならすでにやっていると言うこと、問題なのは中途半端で転がり続けていると言うことで、内に入る嫌われるとかどうこうではない。
思考の癌といえばきもちいいだろうか?
でもそう言うのに効く特効薬もないし、自己解決だけが全てなのである困ったものだ。
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