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ちっちゃいころ5

私が英語を初めて知ったのは、当時放送されていた
「フルハウス」から。

習い事は一人二つまでと母から言われていたので、
英会話か習字という二択でなやんでいた。
英語の方が将来役に立ちそう!という理由をつけて
英会話教室に通うことを決めた。

教室には幼馴染の男の子と小学校が一緒の女の子、あと
数人いたけどいつのまにかクラスは幼馴染と私だけになり
先生1生徒2のほぼマンツーマンだった。

先生は日本人の女の先生でとても英語の発音が
きれいな穏やかなお姉さんという感じ。
時々アメリカ人の先生がやってきてレッスンをしてくれてた。

私はテストで結果を残せるようなタイプではなかったけど、
先生みたいに話せるようになりたいという思いは強くあった。

夏に屋外レッスンとして、
平和記念公園に行って外国人観光客にインタビューをしようという
企画があり、実際に私がインタビューをする人を決めて6人くらい
話しかけた。わからなくなると先生が助け舟をだしてくれ、
最後にはチェキで記念写真を撮ってレポートにした。

私はドキドキしながら頑張る中、幼馴染の余裕といったら
しかも人選がうまいので、コインをもらったりしてて
なんだかうらやましかった。

この経験があったからこそ、自分でも英語をはなして
伝えられることができるんだ!とうれしかったのを覚えてる。
良い経験をさせてもらったなと思った。

そんな経験もあったが、通い始めて約1年後、先生が急遽やめることになり、先生がやめるならとあっさりとやめてしまった。

最後のレッスンの日、私は高熱をだしたのだが
母親が「最後なんだから」と教室につれていかれレッスンを受けた。
もちろん机にうつぶせて寝ていた。当たり前だけど
気が付いたらレッスンが終わっていて、

母親が車で迎えに来てくれていた。

ポカリを車の中で飲んだかもしれない記憶が今かすっていった。


それ以降英語に触れることはなかったけど、
5年生くらいの時に家庭教師の先生に少しだけ英語を教えてもらって
英会話の楽しさがよみがえり、

中学1年生の時の英語の先生に「発音がすごくきれいね」
とほめられ嬉しくて、高校でアメリカに交換留学をすることを決めた。



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