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ちっちゃいころ と 花

花や植物と毎日触れ合って家で飾っていたわけではなかったけど、
(実際、花屋で働いていた時に無知さを思い知った。)

父方、母方両方の祖父母の家にいったときに
仏壇に飾られた花とお線香の煙をみているのを
心地良いと感じている自分がいた。
みるのもだけど、花の水替えもすきだった。
(お墓の掃除も花とお線香たての掃除をよくしていた。)

器をきれいにして新しいお水と花を入れる。
その一連の動作が場所だけではなく、自分自身も
整っていく感覚の気持ちよさもあったんだなと思う。

夏のお墓掃除はお花の水が汚れてしまっていることが
多かったけど、いやだと思ったことは1度もなかった。

炎天下のなか生きていた花に申し訳なさと
そこにいてくれてありがとうの気持ちを持ちながら
きれいにしていた。

仏壇も花から整えて、お線香に火をつけ
花と煙と火のついたろうそくの組み合わせが
仏壇という小さなスペースだけどこか
現実とは少し違う世界のような気がしていたからこそ
整えてたのかなと今では思う。

ただの感覚でしかないけどね

自分の部屋の机の上にも花、お香、キャンドルがおいてあるわぁと
記事を書きながらいま驚いている。

私の好きなものが目の前に集合していた。
しかも毎日必ず目につく机に。

びっくりだし、魂が震えたわ。
どうして今まで気づかなかったんだろう。

煙の乾いているけど、柔らかく流れに逆らってないとこがきれいだし、
花の水分を含んでいる、柔らかさもすき。
キャンドルの暖かさもすきだな。

乾と湿とが混ざっているのが私は好きだったんだと
気づいた今日この頃です。



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