仕事が始まる嬉しさと悲しさ

今月の7月から俺はやっとまともな職につけることが決まった。人並みより遅いが、やっと漕ぎ着けた就職なので嬉しさもあるが、その反面悲しさも内包している。

去年から始めた就職活動は上手くいかずに難航していて、泥沼にハマったようでダラダラとこのままフリーターとしてバイト人生を歩んでいくのかもしれないという未来すらも考えていた。まともな職に就いて、安定した収入を得て家族に還元をする。それが永遠にできない、親不孝者として生きていく可能性を考えたら心が苦しいとも思う自分と、それでもいいじゃないかと諦めている自分、そういう二面性が顔を覗かせていた。

頭の出来が良くなくて社会にとって利となる取り柄が、ひとつもなかったというのが難航した一番の要因と言ってもいいだろう。会社側にとってのメリットが一つとしてなかった。そんな野郎を誰が受けいれてくれると言うのだろうか。さも当たり前の結果とも言えよう。

原因は単純明快で分かりきっているくせにそれを改善しようとしない自分はとことん駄目な人間だと思う。こんな自分を雇ってくれた会社には恩しかない。

話がズレてしまったが、就職出来たのはたしかに嬉しいが、とあるコミニュティのみんなと喋れなくなるというのが悲しい。あそこは自分の憩いの場で、心から腹の底から笑える、言わば中学校の教室のような安心感を覚える場所なのだ。

暖かいと個性が溢れた面々はいつ見ても面白くて、何か嫌なことがあったとしてもそこに確かに居るという事実が心の支えとなる。何かあれば、あそこにいけば笑い合える。顔は知らない、名前も知らない、だが彼らは確かに友人であって、私のかけがえのない親友なのだ。そんな彼らと喋れなくなるというのが悲しい。

いや、完璧に喋れなくなるという訳では無いのだが、やはり時間は少なくなるであろう。私も仕事を始めるため、睡眠時間はちゃんと取っておきたい。寝ないということをしたならば、必ず会社側に迷惑をかけてしまうから。

いつかこれが黒歴史になるその日まで

いつかこの文が黒歴史になる可能性があるであろう。だが、それでいいのだ。今この瞬間に思ったことを綴れたならば、黒歴史になろうとなんであろうと私は構わない。

また振り返った時に思い出の人生の栞として輝く可能性だってあるのだから。

いいじゃないか、黒歴史で。休みの日は話そう。

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