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拝啓皆様、お幸せにそしてしね。

「敬愛すべき〇〇様の邪魔だから死んで」

それが私のコンプレックスだ、あらゆるパターンで何千何万と繰り返された。
誰かにとっての特別のために、気が付けば何かを取り上げられている。その人の顔は別に特別でもなんでもなかった、ただ誰かに気に入られてしまっただけの普通の人だった。カルトみたいだと思う、のめり込んでる人は普通の人でも魅力的に見えるそうだ。ハーモニー計画で私が得することは何もなかった。
奪った側はさもそれが自分自身の才能であるかのように微笑ましく朗らかな日々を送っている。
私はそれを害さないためにあたかも幸せであるように振る舞わなければいけない。


人に読ませる気はないので読みやすく書こうとは思わない。篩いにかけている。


こう見えて案外良くない人生だった。
家庭環境も良くなかったし学生時代も芳しくなかった。でもなんとなく見てくれを取り繕うのが上手いからはたから見ればまあまあ普通の人に見えるのが運の尽きだった。年下扱いもされなければ人に甘えることもないまま誰かに優しくしないといけないそれが私を苦しめた。
モテないけれどモテたくないけどどのみち人に好かれることは好きじゃない、好きだと言いながら自分の都合か自分の理想を押し付けてくるようなことしかしないからいっそ嫌われてしまえばいいと嫌われるような事をするのが心地良かった。

誰かに助けを差し伸べようとする人もまた傲慢だ。助けてあげる、そう言いながら自分の手駒にするか或いは相手の力を根こそぎ奪い取り自分が助ける側だという人を貶めるのに加担しているだけにすぎない。時にそれはお涙頂戴のために利用されるから反吐が出る。だから私は助けて欲しいときであっても助けなんか呼ばない、いっそその時はそのまま死んでやる。


ある時、人に「このゲーム面白いよ」だなんて薦められた。仕事や自分の報われなさで悩んでいた頃だった、悟れるほど従順でもなく思い切りがつかず漫然とした不幸を受け入れるか躊躇っていた頃でもあった。因みにそもそも存在しない友情は破壊された。
ありふれたクソゲーだな、と思った。元々読んだことのある小説家が監修してるらしかった。その本の内容は小中時代ならまだしも薄っぺらい中2妄想すぎてハマるほどじゃなかった。私は厨二病患者だけどももっと深淵を覗いたり何かとこだわりの強い面倒臭すぎるタイプだ。だから人と関わるのが億劫だ。

脱線した。戻す。私はクソゲーも好きなので時に面白おかしく内心おちょくりながら進めていた。
友人の絵に似ているなというものもあった。結論だけ話すとオリュンポスから進められなかった。
内容の一部がアニメの専門学校時代に話していたものと酷似していたからだ。多分改変もされているけれど参考にしたみたいにソックリだった。
20代前半どうにかそれで陽の目を浴びたかったけど様々な不運につきどうにもならなくて箪笥の隅にしまっていたものだった。
あり得ない話ではなかった。学生時代の人間に横の繋がりがあることは別におかしな話じゃない。
(その後同ゲーム内で世にだしてないイラストの一部が似ていることもあったけどそれはクラウドデータでも覗いたんだろうか?)

そうとわかった瞬間に、嫌いじゃなかったインドですらも薄っぺらいように思えてならなかった。
部分的に読むに耐えなかったのでマハーバーラタ前巻まで買って自分が読みやすいように事実上の改変創作までしたのにも関わらず徒労に終わった気分であった。
たまたま動画で見た「誰でもない誰かが待ってる云々」的な後始末がこの惨事かと思ったくらいであった。
因みにマナーの悪い信者にも嫌がらせを受けたのでそもそも好意的ではなかったのがマイナスにまで地に落ちた。アルトリアも間桐桜も凛もジナコもインドも大体が好きではない、そもそも型月自体がそんなに好きじゃない。それは自分の話ではないからだ、或いはこの人達のために利用されるモブにしかすぎない。他人の生活を除いてるだけにしか過ぎない。どれほど作中で誰かが救われようともそれは私ではないからだ。
私に向けられた言葉ではないものに心を動かされることはない。だから今までと同じように終わった話として本棚に仕舞い込むだけだった。
盗作部分は泣き寝入りに等しい。それでもどうにも出来ないことをどうにかしようとは思わない。
不幸だからそんな事をするのであれば目の届かないところで幸せになればいいと思った。
(昔は私が幸せになりたかった、ただ幸せになるために何かを追うのが疲れた)

どうにもならないことはどうにかしようとしない、幸せになろうだなんて思わない。

私はいい子だと思う。苦しくても悲しくても愚痴を出来る限り言わなかった。罵詈雑言ばかりになったのはつい最近だ。それでも我慢したと思う。
俗に言ういい子だった、いい子だったけど頭の中は悪巧みやちょっとした邪心でいっぱいだった。
何かを取り上げれたり、人の罪を自分せいにされても泣き言は言わなかった。面倒臭かった。
時々帳尻を合わせようとすればそれを批難された、その度に人間関係をリセットした。
周りから見れば私は病気なんだろう、それでも特に何も言うことはない。黙ってるうちが花だ。
皆自分が普通だと正しいと思って生きてる。
眼の前の現実を疑うことはない。


ここでなら(自分の創作)何をしても良いような気がしてた。悪事を働いても人を刺したり切っても、洗脳しても殺してしまっても。そういう映画や小説があるように。現実でやっちゃいけないことはここでなら許されるんだよとホッとしたような気持ちだった。気持ち悪いって言われた分だけ人に暴言を吐いてもいいんだって。自分の分身を使って八つ当たりしたり蹴ったり殴ったり嬲ったり美形になったり周りを悪く見せたり自分をよく見せたり。それを文章力や構成で覆い隠してあたかも澄ましたような顔をしてればとやかく言われたりしない、誰も私を責めない。自分が幸せじゃないのに自分の分身を幸せにすることなんか出来ない。
出来ないから自分がそうされたみたいな苦痛を押しつけたり苛め抜いたりする、でも無菌室で飼い殺しをする作者よりはよっぽどいい神様だと思う、ここでなら神様だ。どうにもならない現実の八つ当たりをしたり逃げ込んだり出来る。
自分を助けるのは他人の創作や話じゃない、自分にしか成し得ない。友情、男の友情も誰かが分かち合うような感情も何も持ち得ない私がその経験を補うために私自身の中で起こったことの全ては誰のものでもない此れだけは私だけの物語なのだから。

この手から離れたらそれはもう他人も同然だ。


愛されたくて何かを慈しんだ過去がある、多分それだけで私はそんなに醜くはない。綺麗という言葉が陳腐になる前に言われてみたい人生だった。
今は言葉が邪魔だ、静寂が好きだ。
さみしくなるけど人の居ないところに行きたくなる、かつての夢すら忘れて。


最近言い掛かりをつけてくるから嫌いな韓国語を一つだけ覚えたの싫어하지만って書いてニンゲンって読むらしいね。(この中に一つだけ嘘が紛れてます漢字を廃止したのは大ミスだったんじゃないかな?どうでもいいけど)



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