ノンバイナリーな私の性自認の話

これまでずっと自分の性自認についてしっくりこないと感じてきました。女と言われても男と言われても違和感があるという感じでしたが、性別は男女の区分しかないと思っていた(というか、それ以外という考えがなかった)ので、どこか宙ぶらりんな思いでした。
宇多田ヒカルさんのカミングアウトで、男性でも女性でもないノンバイナリーという概念があることを知り、あ、これかな、と、感じました。

若いときは、割り当てられた性と自認する性(ノンバイナリーという概念は知らなかったので、どっちもしっくりこないとかそんな感じ)が違うことで、人の発言についてちょこちょこひっかかりを感じたり、自分の行動についていちいち言い訳のような説明を加えてたり(その行動が割当てられた性に対して一般的と思われていることでないことが多いので、不自然に思われないように)していました。

男か女か、という世界観の中では、どっちかによっていることが正常で、そうでない場合はあまり好ましくないというような価値観があるように思います。子供の時なら、男の子っぽい女の子だったら「おとこおんな」女の子っぽい男の子だったら「おんなおとこ」とか言われてからかわれることも多かったように思います(実際には「からかう」という言葉の印象よりかなり酷いケース、いじめのような状況もあります)。「人からからかわれる存在」という状況は、自尊感情を傷つけていくことになりますし、「人と違う」というのは孤独に繋がります。今思えば、私自身の自信のなさとか、自分を大切に思えない気持ちはこういった経験も少なからず影響しているのかもしれないと思います。

そもそも、自分が何なのかを言語化できない状況でしたので、自分が周りに「自分は男でも女でもない」とかそういうことを話すことはなかったですし、そういう人が他にもいるということにも気づきませんでした。

昨今、性について「割り当てられた性」、「性自認」、「表現する性」、「性愛の対象」という4つの視点で、それぞれの区分も2つだけでなくて多様であるという考え方が知られつつあります。それに伴って、自分の性について言語化できるようになった人が増えてきていると感じます。あとは、インターネットの普及によって、いろんな人が自分で情報発信できるようになってきたこともあり、自分と同じような性自認の人がいることやその人の考えを知る機会が増えてきました。

子供の頃、誰かに「男、女、〇〇さん」(〇〇は私の名前で、私が男でも女でもない別のカテゴリーであるというニュアンス)と言われたことがあり、うまいこと言うなあと感じていたのですが、YouTubeで「男、女、△△さん」という言い方をしている動画があり、「あ、同じような人いるんだ」となんとなく親近感を感じました。ひとりじゃないというのはなんとなく心強く感じるものですね。

それこそ、YouTubeなどでは割り当てられた性と性自認が違う人も情報発信していたりして、そこはとても元気づけられるわけですが、現実社会ではまだまだ差別的な発言をする人もいて、そういう発言を見聞きするたびにちょっとしんどくなります。

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