ノンバイナリーな私と出産の話

私は性自認はノンバイナリーで、割り当てられた性は女性です。性自認については、以前は男か女かしかないと思っていたので、出産時は今ほど整理できてはいませんでした。

以前の記事でも書きましたが、割り当てられた性が女性であるので、産むことができるならば子供を産みたいと考えていました。しかしそれは母性とかそういうことではなく、うまく言えませんが、そういう機能が備わっているならその機能を発揮したいというか、そういうニュアンスの思いでした。

幸い、子供を授かることができましたが、妊娠まで、そして妊娠後の経過は非常に興味深いというか、得難い体験でした。

自分の体の中に別の生き物がいて、それによって自分自身が影響を受けるのです。食べ物の好みが変わったり(中にいる子によって別の好みになるので、妊娠という現象ではなく、中の子供との関係によるのでしょう)、体の状態が変わったり、心も体も影響を受けるというのは驚きでした。妊娠時、出産時、出産後の体のトラブルも、「通常範囲」と言われる状況でもなかなかしんどいものでした。

私はずっとフルタイムで仕事をしていますが、妊娠出産とそれに伴う経験は社会(職を持つ人の社会?)的には評価されることも、配慮されることもあまりないということも新たに突きつけられた現実でした。仕組みを作ってる人たちは、割り当てられた性が男性であることがほとんどなので、そもそも妊娠も出産もしたことないので、わからない(もちろん、女性であっても、妊娠出産で置かれる状況や体への影響はかなり幅があるので、誰か一人の経験をすべてに代表させることはできません)ということかも知れません。「ああ。自分ごとでないとこういうことになるのか。」ということを強く認識した経験でした。

第一子出産まで、お腹の子供の健康のために必要な行動はとっていましたが、愛おしいとかそんなことは全く感じていませんでした。生まれた時も、「小さいところまでよくできてるなあ」という感想で、「可愛い!」とか、「愛しい!」とかいう感情は全くありませんでした。ところが、毎日子供の世話をしていると、次第に「可愛くて仕方ない」「愛おしくて仕方ない」という感情になっていくのですね。驚きでした。生まれたら親(本質的な意味で)になるのではなく、親もまた親として育っていくものなんですね。子供と共に、自分もどんどん変わっていくというのは、それまでにない経験でした。心も、体も、知識も大きく変わる機会となりました。

このうち、お腹の中の子供によって体の状況が変わるということは妊娠経験がないと体験できなかったと思いますが、それ以外のことは、むしろ自分が子供についての最終責任者として向き合った経験によるものであって、自分が産んだからかどうかとはあまり関係ないように思います。最終責任者として向き合うのはかなりしんどいのですが、子供や子供を持つ親に関する現実の制度を見ていると、こういう状況(そうやって向き合うことになる色んな出来事)が分かった上で検討されているとは到底思えないし、分かった上でやってるなら、それはそれでかなり問題(少子化対策とかワークライフバランスとか言ってるけど実態に則してない)だと思うことも多々あります。それだけに、こういう経験した人(最終責任者としてしっかり向き合ってきた人)が政策決定に中心として関わるような社会になるといいですね。

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