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虚しい。。。虚しさしかない。。。私の人生は何だったのだろう?としか思えない。

話の通じない人(母)と長いこと付き合ってきた。
私が譲歩し、私が機嫌を取り、私が寄り添えるように工夫をしてきた。

しかし、苦労は水の泡となることが多い。
何回、泡となったことか?

虚しい。。。虚しさしかない。。。私の人生は何だったのだろう?としか思えない。

母との付き合いに疲弊する私を見て、母と縁を切ることを勧めてくる人もいる。
しかし、それができない性分だから、困っている。
私にできることは、せいぜい、距離を置くことしかできない。
完全に、縁を切る、すなわち、見捨てることができないのだ。

これを、きっと、共依存と言うのだろう。
共依存をする私を見て、呆れる人もいることはわかっている。
それでも私には、母を完全に見捨てることはできないのだ。

だからこそ、私の人生は、過去も今も未来も虚しさとは無縁になれないのだろう。

毒親である母も、毒親育ちであることは、おそらく間違いない。
私は子供がいないが、子供がいたら私も毒親になった可能性があったのだろう。
毒親育ちというのは、連鎖することが少なからずあるらしいからだ。

そして、母は、明らかに脳の働きがおかしい。
私が子供の頃からそうだったが、特に、道徳に対する概念の感覚が変なのだ。
小学校で教わるようなレベル、下手したら幼稚園で教わるようなレベルの道徳的概念を、持ち合わせていない側面があるのだ。

その感覚のまま、母は娘である私と接する、説教をする。
話が通じなくて当たり前だ、説得力のかけらもない状態になる。
しかし、母にとっては、私の方が話が通じなくて、説得力のかけらもない人間性ということになるらしい。

母が私に文句を言ってくる内容が、驚くべきことに、ほぼ全てが、自分のことを言っているのだ。
自分の愚かな言動を、私がしているかのように話をすり替えてくる。
あの感覚は、ある意味、天才的とも言える。

母は、よく私に、

「あんたは人に言われることが嫌いなのよ。ちょっとでも何か言われるとすぐにキレる。どこかにいなくなってしまう。逃げるのよ。」

などと言うが、それはそっくりそのまんま、あなた(母)のことである。

そして、母が言う言葉で一番嫌いな言葉がこれ、

「お父さんもよく言ってたけど。。。」

これを言えば、無敵(お父さんが味方してくれている、私だけじゃないのよ)だと思っているところだ。
断っておくが、父は、そんなにしょっちゅう、私のことをぼろくそに言っていたわけではない。
激しく喧嘩した時にぽろっと言ったことを、まるでしょっちゅう言っていたかのように、話を大きくしてくるのだ。

父のいない今、母を不憫に思い、上手くやろうとしてきたが、私にはその器が足らない。
母を見捨てる勇気もない、ただため息ばかりついている日々に、自分自身にまで絶望してくる。

それでも生きなければいけないのだよな。


さて、今日も生きるとしよう。



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