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黒板に「ちくり魔」と書かれた恐怖(いじめ体験記①)

私は悲しいことに、小学校高学年からおばさんになった今に至るまで、至る所でいじめにあってきた。
小学校高学年の時のいじめについては、別の記事で軽く書いたので、今回は割愛する。
今回から「いじめ体験記」として、これまでの、おそらくは数十回にも及ぶいじめ体験を、シリーズ化していきたいと思う。

私がいまだに劣等感を拭い去れないのは、この数々のいじめ体験が尾を引いていることは間違いない。
まあ、毒親気質の親育ちが原因も多分にあるが、あれだけの数いじめにあえば、トラウマにならない方がおかしいであろう。
なぜいじめにあったのか?それについてはある程度の答えは出ているが、それはまた別の記事で書きたいと思う。


私は中学から私立の女子高に通っていた。
偏差値は普通だが、女子教育の厳しい学校で、一応、世間ではお嬢さん学校として名が通っていた。
しかしながら、現実はそんなことはない。
お嬢さん学校とは名ばかり、付属小学校から持ち上がってきた生徒が、かなりの数、幅を利かせていたのである。

いわゆる番長的存在がいて、その子分がいつも金魚の糞のようにくっついて回っていた。
その番長グループは、ほぼほぼ付属小学校からの持ち上がり連中だった。

私は中学受験組なので、特別、自分自身がお嬢様だったわけじゃない。
ただ親が教育ママだったのと、地元の中学が荒れていたので、元教師だった母が、急に小学校6年の時に受験を勧めてきたからである。

しかし、それは表向きの理由、母の兄の子、すなわち私のいとこが都内の私立に幼稚園から通っていたので、それに対する、母なりの対抗心があったからだ。
母の兄嫁、母からすると義理の姉だが、その義理の姉に対するライバル心が大きかったのだと思われる。



そんな理由でなんとなしに入ってしまった、私立中学、1年目は軽いいじめはあるものの、そこまで気にする必要はなかった。
しかし、2年のクラスはそんな悠長なことは言ってられなかった。
なんと、あの番長と番長グループと同じクラスになってしまったからである。

番長は背が高く、スタイルが良くて、ぱっと見は割と可愛い感じの子だった。
でも目つきが鋭い、常に獲物を狙っているかのようだった。
2学期だったかの席替えで、私はとんでもなく貧乏くじを引いてしまった。
番長と番長グループに囲まれるような席になってしまったのだ。

彼女達は休み時間になると、よくお菓子を食べていた。
私はそんな彼女達をただ遠巻きに見ているだけだった。
先生達も彼女達のその行動には困っていて、なんとか現行犯で捕まえるか、他の生徒の証言を得るべく躍起になっていた。

ある日、私は担任の先生に呼ばれる。
嫌な予感は的中、彼女達がお菓子を食べているかの事実確認をされる。
私は困ったが、先生は言った。
「大丈夫、あなたに迷惑がかかるようなことはしないから。」と。
それを信じた私がバカだった。

翌日、学校に行くと、黒板に大きな文字で、

私の名前と「ちくり魔」の文字が書かれていた。

私は茫然とした。
先生は、私を裏切ったのか?
頭が働かない、それより体が動かない、恐怖で体が凍り付いてしまった。
それからの日々は悲惨だった。

本人にも周りにもわかるように悪口を言われ、そんな私を見て、仲良かった子達も私から去った。
みんな、番長と番長グループが怖かったのだ。
私は、比較的、番長から目を付けられていない、地味なグループに入れてもらった。
本当に地味だったわけじゃないけれど、オタク的雰囲気の人達だったので、派手好きな番長と番長グループからは目が届いていなかった感じだ。

とはいえ、悪口が終わったわけじゃない。
遠くからヒソヒソ話をしながらにらみつけてきたり、私が彼女達の近くを通るとわざといなくなったり、逆にわざと通さないようにしてみたりと、かなり露骨な嫌がらせを受けた。
私は精神的にも肉体的にも限界だった。
母に相談し、母が担任に相談し、そこでようやく、私がいじめられた訳が判明した。

担任は私との約束を破っていたのだ。
担任の先生からお菓子の件で注意を受けた番長と番長グループは、先生にこう聞いたらしい。

「先生に誰が言ったんですか?」と。

そこで、先生が、うっかり、

「キューブさんから聞きました。」と、答えたというのだからアホな話だ。



私と母は担任に抗議した。
これは先生の責任だと言うことを理解させ、なんとか謝罪の席を設けた。
その後はいじめはだいぶ和らいだ。
先生が目を光らせていたように記憶している。

あと、私が番長グループのサブグループの数人と仲良くなったからだ。
それを見て、番長と番長グループは、敵視を弱めてきた感じだった。
3年になるとまたクラス替えがあったが、担任の先生の計らいで、私をいじめてきた生徒達は誰一人として一緒にはならなかった。
おかげさまで、3年は穏やかに学校生活を送ることができた。

卒業時にはいじめとはまた別の問題で、私の人生の転機を迎えることになるのだが、それはまた別の記事で話すことにしたい。







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