「肚(はら)と夢~あるいは身も蓋もない占いのお話」の補足
昨日の生き恥エッセイ(^▽^;)
これを読んだ夫が
「生まれなくていいのに生れて来たって…菩薩だね」
と言うので…
この話のポイントはいくつかあると思うのだけれど(と書いた本人が言うのもどうかと思うのだけれど)
尼さんには今でもとても感謝しているという前置きをしつつも
■とあるお寺の、とある尼さんの一意見
■彼女は「こういう人はたまにいる」と言っていて、生まれなくてもいいのに「来ちゃった❤」というタイプはまあまあの確率でいるという世界観
■結局のところ私がこの世に何をしにきたかは不明(わかっても嫌だが)
■要は他人にかまけず自分のやるべきことをやれという諭し
■何より自分に「生まれてこなくてよかったのに来ちゃったな~」とかそんな実感はない。
私は中年のライターで、蕎麦屋のおばちゃんで、緑茶と梅干とスヌーピーグッズが好きな、英語が全然上達しないただの50歳(菩薩様ならもう少し頭がいいはず…)。
他の占い師さんについても、心からありがとうと思いつつも
■マヤ暦の精度の高さというか、「な、何で分かるんですか?」と思ったのは事実だけれど(今振り返ってもよく当たっている)、自分がどういう人か判ったとて鑑定結果をどう活かすかは自分次第。
■私に勇気があるかは…状況次第(英語の先生がよく言うIt depends on the situation.)。臆病なことも多々あるし。
ただ、尼さんやマヤ暦の方からは運命を受け入れる覚悟、良い意味での諦めの大切さを教わったし、顔相占いの方から純粋なエールというか、励ましを頂いた気がして、思い出すと今でもとてもあたたかい気持ちになる。
占いに行く人というのは、私もそうだったけれど疲れ果てていて、心身が冷え気味だったりするから、そういうぬくもりというか、生きる力、失っていた躍動感や心の炎を分けてもらえる…実はこれこそが占いに行く真の目的なのかもしれない。そしてこういうきらきらしたエネルギーを手渡せるかぎり、占いは無くならないと思う。
昨日のあれは、そんなごくふつーのおばさんの占い体験記(回顧録)、です。
念のため(^▽^;)
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