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肚(はら)と夢~あるいは身も蓋もない占いのお話

人生には何度か、他人に言えない悩みを抱えることがある。
その問題については家族であれ、親友であれ、パートナーであれ相談できない。
特定されないように状況をぼかしてネットやラジオに聞いてみたとしても、状況をぼかしているからこそピンポイントな刺さる回答は得られない。一般的な、常識的なアドバイスを聞いても役に立たないし、そんなこともう知っているし…。

知っている人に話せないなら知らない人に…というわけで占いに行くという方法もあるかもしれないが、私は占いには行かない。
占いを否定するわけではなく、実際行ったこともある。行って良かった! と思ったこともあったし、好きか嫌いかでいえば好きなのだ。
ただ、とりあえずは今のところ、本当に困ったらまずは自分の
肚(はら)に聴く
ようにしている。
つまり
「困った、どうしよう…」
と思った時は、お腹に力の入る方に進む。
グッとやる気の出る方向というか…。
疲れすぎてどこに力が入っているかも分からない…というときは寝る。ひたすら寝る。

もう一つ、頼りにしているのは夢。
とにかく夢に聞いてみる。
夜に見た夢で進路を決めるというと
「おいおい…」
と思う方も多いと思うけれど、自分しか知らない夢の内容を振り返って、自ら分析して、自力で方針を決めて行動する。
結局のところすべて自分の責任で、他人任せではない。
環境や他人のせいにしないところが良いな…と思っている(その結果『うん、これは失敗した(笑)』と思うことももちろんある。そうしたら仕切り直して、そこからまた考える。とりあえず一つの方法がダメなことは判ったのだから…)。
私は夢分析についてはとても興味があって本格的に勉強したけれど、特に知識がなくても夢を直感的に有効活用している方は少なくないと思う。

ただ、今でこそこの「肚と夢」(どちらも無料)で事足りているけれど、以前は人生がにっちもさっちもいかず、どうしたらよいのか全然分からなくて占いに助けを求めたりもした。
特に30代の頃は迷いに迷って頭がぐるんぐるんして、占いに限らず何でもいい、助けてくれそうなものなら藁にでもすがりたい気持ち…。
断定的にものを言う人、自信のありそうな人を見ると
「こんなに力強く言い切れるなんてすごい!
この人の言うことが正しいのかしら?」
と思ってしまうし、一方ですごく優しい人に何か言われると
「心配してくれて嬉しい。こういう人の言うことなら信じても…」
とふらふらするし、今振り返ると、自分で自分の肩を掴んでぶんぶん揺すり
「あんたちょっとしっかりしなさいよ!!」
と叱りつけたくなる。まるで濁流を浮き沈みする木の葉のような生き方だった。

ただ、私はこの心もとない破れた落ち葉のような時期に素晴らしい占い師さんと出会って、彼女達の言葉がすごく腑に落ちて、だからこそ
「結局のところは自分で決めよう」
と思えるようになった経緯がある。
「自分で考えよう、大丈夫、私はできる!」
そう思わせてくれた3人の占い師さん…

1人目は、今はない新大久保のお寺の尼さんだ。
私は以前知人のライターが急病になり、原稿が書けなくなったのを代役で穴埋めしたことがあった。ちょうどその時は仕事がなくて暇だったし、
「こういうときはお互い様(原稿料も頂けたし)」
くらいの軽い気持ちでいたけれど、彼女はすごく感激してくれ、御礼にこの尼さんの占いを予約してくれた。
「寧子さん、あなた今本当に大変でしょ。タレントの〇〇〇もここで開運したんですって。この尼さんは手相と、あとクライアントが目の前にくるといろいろと見えてきて、それが本当によく当たるらしいの。
ウェイティングリストにねじこんでおいたから、行って来て!! 料金も払っておいたから!」
ねじこんだりしたら罰が当たりませんか…それにこの尼さんの占いは高額らしいし…ということで申し訳ない気持ちでいっぱいになりつつも、彼女の気持ちは嬉しいし、当時は本当にひどい精神状態だったので出かけてみることにした。

「こんにちは…」
恐る恐る扉を引いてみると、小柄で安定感のある体格の尼さんがにこにこしている。
不思議な響きを含んだ低いお声で
「よく来たね。靴脱いで、まずお線香あげて…そうそう。じゃあお茶を飲みましょう…」
びっくりするほど大きな湯飲みにたっぷりと不思議な味のお茶を入れてくれ、それから小さな文机を間に挟んで、正座で向かい合った。
「まず生年月日と名前をここに書く。それから手相を観るよ」
手相か…観てもらうのははじめてかも…と思いつつ記帳してから、恐る恐る右手を出す。
「左もね」
彼女は両手をじっくり眺めると、うんうん、と頷き
「悪くないね」
いや悪いんですよ、私の状況は誰が見ても最悪です、と言いたいところをぐっと呑み込んでお言葉を待っていると、尼さんは小さなノートに何かさらさらと書きはじめた。
書きながら
「あんたね、今困っていることがあるの?」
はい、おつき合いしている彼が心の病気で寝込んでいて、私が二人分を稼がないといけません。でもライターで食べていくのは本当に大変で…。彼の病気の原因は親との関係らしいですが、親を切り離す元気もないと言っていて…だから根本的に良くなるのは難しいのかも…。
彼も頑張ってはいて、最近はきちんと通院しています。快方に向かっているようにも見えますが、これまで何回もぶり返しているので不安です…。
私は一日中仕事をして、帰宅したら家事をして、休みの日は彼の通院にもつきあって…ホッとする時間が全然ありません。
私の親族も長年揉め続けていて、この前は「こじれすぎたから裁判になるかもしれない」と言っていました。その揉め事の一番の被害にあってる大好きな伯母は、がんに罹ってもうすぐ死にそうです。彼女が亡くなったら…相続でまた大揉めに揉めるでしょう。
お陰様で私の仕事は忙しいですが実入りが少なく、実入りが少ないので本当にやりたいことには時間が割けません…。疲れすぎて私自身の体調も悪化し、最近は病院に行くようになりました。
私は友達には恵まれているのですが、年齢的にみんな結婚したり出産したりで会えなくなって、相談もできないし、なんだかすごく寂しいし…。毎日毎日、朝起きるのが苦痛です。もう限界だと思うんです…。

尼さんはうんうん…と私の悩みを一通り聞くと、ペンを置いて、こちらを正面から見た。
「分かったよ。あんたね、これは仕方ないからね」
仕方ない?
「どうしようもないよ。あんたは、生まれてこなくてよかった人だからね」
えっ?!
この時の衝撃たるや…。
私は一生懸命涙をこらえつつ、
「生まれてこなくていいって…あの…私…、この世に要らない人間だっていうことですか?」
その頃はあまりにも辛くて、生きていくのがしんどくて、人生から疎外されている感じだったので
「あなたはここで必要とされていない」
というのはある意味で非常に納得でき、だからこそものすごくショックだった。
どれだけ頑張っても状況が改善しないということは…私は運命に歓迎されない存在なのかもしれない。そうか…私は生きていても仕方ないのかも…。

すると尼さんは大きく首を横に振って、
「そうじゃないよ!!
あんた生まれてこなくても良かったのに、自分から進んで生まれて来たんだよ。好きで来てるの。そういう人はたまにいるんだよ。なんでかな…家族が心配だったかな…?」
え… ?!
えーっと、家族は、両親ときょうだいとは普通にコミュニケーションできて仲は悪くないです。親戚関係はめちゃくちゃですが、これは昔からだし、もういい加減にしろ、勝手にしろって思っていて特に心配はしていません…。
「そうなの? じゃあ何で来たんだろうね?
まあとにかくね、あんたは好きで来てるから。ここに働きに来てるようなもんだから…こういう人は一生休みはないんだよ。だから仕方ないの」
…あの…癒されに来たんですが、全然癒されません…。

「よく考えてごらん。あんたは善良だ。気立てがよくて、よく働いて、本当は身体だって弱くない。若いからいろいろと間違うだろうけど、そんなのはやり方を知らないんだからしょうがないんだよ。
繰り返すけどね、あんたの状況は悪くない。困っているのはあんたじゃなくて、周りの人間なんだ。
周りの問題を、あんたが勝手に引き受けてるだけ。
だからまずはよく休んで、元気になりなさい。元気にさえなれば、あんたは自分がどうすればいいか分かる人だ」

名前と生年月日と手相でどうしてこんなに沢山のことが分かるんだろう…それを知りたい…という気持ちがむくむく湧いてきたけれど、同時に私は
「これはしっかりと噛みしめないといけない言葉だ、今、このことに向き合わなくては…」
ということも強く感じていた。
周りの問題をあんたが勝手に引き受けているだけ…か…。

「はい、もういいね?」
机の上の時計を見ると、あっという間に25分くらい経っていた。
時間制限は聞いていなかったけれど、30分くらいの目安だろう。
たぶん、あと5分はあるはず…私は改めて聞いてみた。
あの…今おつきあいしている方とはどうなるのでしょうか?
彼は主治医からもうすぐ仕事復帰できると言われていましたが…。
尼さんはにっこり笑うと
「もう答えは出ているよ。その人も分かってる。人にはそれぞれの仕事があるから、あんたは自分の分だけやればいい。あんたはすぐにひとの荷物を持ってやりたがるけど、その人の荷物はその人にしか持てないし、自分で持たないといけないんだよ。
その人の生年月日は?
…ああ、大丈夫。この人は一人でやっていける。
それに友達は少なくないよ。根は真面目だし、優しいし、頭もいい。恋愛関係ではないけど、近くに女の人が何人か見えるね、その人達が助けてくれる。素直だから年上にも可愛がられてる」
あ、それはそうかも…。
「うん、もういいね。あんたはあんまり鑑定する必要のない人だった。私は忙しい。お線香をあげて帰りなさい」
忙しいと言いつつも、尼さんは玄関まで送ってれた。

私よりここにいない彼氏ばかりが褒められていたような…、私自身はずっと忙しいと言われていたな…「とほほ」としか言いようのない気持ちになりつつも、他人に親身に話を聞いてもらい、久しぶりに心が落ち着いて呼吸が深くなった気がした。
新大久保駅までの道のりが、照明が何段階か上がったように明るく感じたのをよくおぼえている。

次は、この同時期に先輩のライターさん(男性)が紹介してくれたマヤ暦の占い。
マヤ暦とは紀元前5世紀くらいから中央アメリカで使用されていた暦(こよみ)でツォルキンとも呼ばれるそうで…
「まあ詳しいことは知らなくてもいいよ。この占い師さんはくどくど説明しなくて、パッと結果を教えてくれるだけなんだけど、よく当たるよ。30分で5000円。
悩みに答える形じゃなくて、寧子さんの全体の運勢というか、どういう人生かを教えてくれるから。僕はこの人をすごく信用してるんだ。予め生年月日を伝えておくから、当日は結果だけ聞くといいよ」

今思うと、仕事関係の人が一人ならず占いの紹介をしてくれたというのは…この頃の私はいつも暗い顔をしていたのだろう。
見ようによっては、いやどう見てもかなり迷惑な存在だった。
書くことが好きで人の話を聞くのも好きな人間が、取材をさせてもらいお金まで頂ける…そんな恵まれた環境にいたにも関わらず、お仕事への感謝を忘れてプライベートのあれやこれやをだらだらと悩み続け、常に不機嫌な顔をして、口を開けば重い話をして…。
困った人だった、本当に愚かだった(今だってあとで振り返ればいろいろ罰当たりなことをしでかしているとは思うけれど…)。
そんな私なのに、周囲の方々は心配してあれやこれやと助け船を出してくれていたのだ…。
振り返れば占いだけでなく、「周りに心配して頂いたこと」自体がすごく有難く、かけがえのないことだと思う。
私はこの時「自分はこの世で一番不幸」くらいの気持ちでいたけれど、いやいやかなりラッキーな、恵まれた星回りの人間だ。そのことに気付かないことこそが「不幸」だったと言えなくもないけれど…。
とにかく、この時も先輩ライターさんが教えてくれた方に会ってみることにした。

指定されたカフェに行くと、占い師さんは名刺をこちらに渡しながら
「こんにちは。時間がもったいないからすぐ本題に入りますね。あなたのKIN(キン)は…」
えっ、KINって何? と質問する間もなく、何やら神秘的な図表が示され、古代のシンボル(イコンというか、謎めいたイラストの数々)を見せられ、私は

・協調性はあるけれど、組織の中で働くより個人の方が向いている(物事は自主的に進めた方がいい。自らの意志で動くときほど活躍できる。指図されるが嫌い)
・仕事を通して良い友人が見つかる。
・意志が強くて好き嫌いが激しい。良くも悪くも引きが強いので、状態が悪いと悪いものを引き寄せるから気を付けること(逆に言うとコンディションが良い時は良いものを集めることが出来る)。
・孤独な時間が無いと健康を害する。
・疲れたら自然のあるところに行くといい。特に山、森。
・せっかち。怪我に注意。
・胃腸が弱い。
・深く考える性質。
・人を育てることは向いている。ボランティア精神があり、人をサポートすることに長けている。子育てを楽しめる。
・giverなのでtakerには注意する。takerは本人は無意識の場合も多く、長くつきあうとエネルギーを吸い取られる。遅刻の多い人、時間を浪費する人はtakerの可能性がある。
・自分を理解してくれる人、評価してくれる人とつきあうようにする。
・会話力がある。
・専門分野を作った方がいい。
・外国、異文化に縁がある。
・忍耐しないといけない時期が長い。何事もすぐに成就しないから焦らないことが大事。時間はかかるけれど実りは大きい。
(長くなってすみません。当時のメモが残っていたので書き写しました)

などの特性があると一つ一つ丁寧に教えてくれ、どんな人と協力関係を結びやすいのか、どんな人が助けてくれるのか、気を付けた方がいい人は…などを教えてくれた。
私の性格・性質についての指摘は思い当たることが多く、この占いの仕組みというか、一体どうやってつくられたものなのか興味が湧いてきたけれど、今日はそういう日ではないし…と思っていると、

「もうすぐ30分ね。まとめると、あなたはとにかくずっと忙しい人なの。えーっと黒KINって分かるかしら…?」
分かりません。
「あなたの場合は…まあこれはちょっと複雑だから今は説明しないわ。
とにかくね、今は大変だと思うけど、これからも大変なことがいろいろとあるはず。でもね、『自分はそういう運命なんだ』と知ると落ち着けるでしょう? あなたはそういう人生なの。
1つ大きなイベントがあって、さあ頑張ろうと思ったとたんにそれに被さるようにして別の事件が起こる、そういう運命ね」
今は大変だけれど、これからも大変、1つの問題が解決する前に次の問題も乗っかってくるタイプ…でも、そういう人生だから仕方ない…。

泣くところなのかもしれませんが涙も出ません。身も蓋もない無いとはこのことですね、と言うと、彼女は私の目を見て
「本当に羨ましいわ」
冗談なのかな? と思ったけれど、まっすぐなまなざしで
「今のあなたには分からないでしょうけど…私は、本当に羨ましい。私は私の運命を愛しているけれど…、あなたは一生やるべきことがあって、やりたいことがあって、最期まで退屈しないはず。これからもいろいろな人に出会うわ。その分、辛いことも多いけれど…。
今日はありがとうございました。では、次の方がいらっしゃるので…」
彼女の独特の言い回しは、今も耳に残っている。
感謝を伝え、お支払いをして、カフェをあとにした。

マヤ暦は新大久保の尼さんとは全然違う種類の占いだと思う。でも不思議と共通することも多く、鑑定してもらった時期も近かったので2つ並べていろいろと考えさせられた。
確かに
「自分で選んだことなのだ」
「今は大変だけど…これは運命なんだ」
と思うと、不思議とお腹の底から力が湧いてくる。
覚悟を決めると何事も楽になるのだな…ということが少し分かった気がした。
面倒くさい巨大な障害物としか認識していなかった様々な問題も、
「ハードルみたいなものだ。きっと跳びこえられる」
と思った途端に、生きる姿勢が変わる。
ここでこのハードルを飛び越えられたら、私の心の身体能力、メンタルは数段レベルアップできるかも…とやる気が湧いてくる。

マヤ暦で鑑定して頂いたあと、私は高額なので申し込みを躊躇していたある医療関係の講座に申し込もう…と決めた。
医療系のライターとして、専門分野を作ろう。特に興味があった自然療法、アロマセラピーやハーブについて、科学的なエビデンスに基づいた勉強をしておこう。
またこの頃はカウンセリングについての取材も多かった。臨床心理士が国家資格でなく、カウンセラーも玉石混交だった時代、それでも多くの医療関係者がカウンセリングの重要性を感じはじめ、情報を欲していた。情報を欲する人がいる、ということはそこにライターの仕事がある。カウンセリングについても勉強しよう。

そして…
彼とシェアしていた家から出よう。
私は私のために、この状況を変えないといけない。
私がいなくなったら彼はどうなるんだろう…と心配していた、そんな自分の傲慢さにも薄々気づきはじめていた。
彼が私に執着していたんじゃない…私が執着していたんだ。
尼さんがサラリと言った
「…ああ、大丈夫。この人は一人でやっていける」
という言葉が再び響く。
そう彼は一人でやっていける。
私も一人でやっていける。
引越屋さんに電話して、段ボールを持ってきてもらって、荷物をまとめよう。
あ、引越先が決まっていなかった。でも、とにかく今、引越屋さんに電話しないと…。

それから1年が過ぎ…、私は実家に居候していた。
当時両親はそれほど広くない公団に住んでおり、行き場を失った娘に
「期間限定ならね」
としぶしぶ一部屋を開けてくれたのだ。
私の部屋は、持ちこんだ大量の本を運び込むと足の踏み場もないほどの小さなスペースだったけれど、私はそこを拠点にライターの仕事をし、専門的な知識をつけるべく勉強し、心身の回復をはかることにした。
申し込んだ講座はとても難しかったけれど…正直に書くと働きながら通うのは本当に大変で、授業中爆睡して何回も怒られたけれど、なんとか通い続けた。

ある晴れた日、その講座が終了し、私は駅までの道を急いでいた。さっさと帰宅して原稿を書かないと…。
場所はおしゃれな人々の行きかう表参道、原宿駅まであと少しというところで、誰かが私を呼んでいる…?
「そこの、あなた! …あの、すみません!!」
振り返ると知らない女性がこちらに走ってくる。
え、私、落とし物でもしたかしら?
「突然すみません。私、顔相、フェイスリーディングをしているんですけど、こんなにはっきり読み取れる人がいるんだって驚いて…。
あの、お金は一切取りませんから、ただ伝えさせてください。あなた、今、すごい転機にいるんです」
えーーっと…
「これからとても大きな出来事が立て続けにあります。そして環境が一変します。何か思い当たることがありますか?」
いえ、今のところ特には…。内心、これは警戒した方がいいものかしら?
無料の手相診断といって近づいてくる系統かしら…と訝っていると、彼女はそんなことにはお構いなく 、
「あとね、表現に関係することをするといいと出ているの。何か思い当たりますか?」
それは多分、既にそういうお仕事かも…。
「これから1年くらいかしら…いろいろあるけど、まっすぐ進んで大丈夫ですよ。立ち止まらないで。辛いことがあっても、そのまま進んで行ってください」
ああ、…はい…。
「私、リーディングでこんなに興奮したのは久しぶり? はじめてかも?
本当に、はっきり読み取れます。ここから面白くなりますからね。人生が再スタートしますから。じゃあ!」
ご自分の宣伝をしていくかと思ったらそれもない。本当にこれを言いたかっただけ?
彼女は歩き出し、でも突然振り返ると
「頑張って下さい! この先もね、大変なことはいろいろ起こりますけど、失敗もするでしょうけど…、忘れないで、あなたの良いところは勇気があることなの!」
にっこり笑い、すたすたと行ってしまった。名前も告げずに…。

見ず知らずの人に突然こんなことを話すなんて、あなたこそ勇気の塊ですよ…とつぶやきつつも、そうか、彼女はもともと逆方向に進んでいたのにわざわざ戻ってきてくれたんだ…と思うと、そこに不思議な情熱を感じた。
後にも先にも、街中で白昼夢のような体験をしたのはこの時だけだ。

今まで何回も友人にこの話をしたが、その度に
「これ実話? 作ってる?」
と言われるけれど、実際の体験だ。創作ならもう少し「本当っぽく」する。
つまり私は、手相とマヤ暦と押しかけの顔相占いによって
「これからもずっと忙しいし、大変で辛いことが多い(ついでに失敗もする)」
と言われ、でももともとは自分で好き好んでこの世に来たから仕方なく、苦労はあるけれどなんだかんだいって勇気があるから大丈夫らしい。

それからほどなくしてカウンセリングの勉強をしている時に模擬クライアントとして夫と出会い、結婚し、赤ちゃんを亡くし、店を出すことになり、女将になってギックリ腰を連発し、沢山の出会いに感動しつつも経営に四苦八苦し、更年期の諸症状に翻弄されつつも文章を書き続けて今に至る。
親戚は現在進行形で揉め続け、私自身の人間関係も私が至らなかったり、相手のコンディションが悪かったり、お互いのタイミングが悪かったりで山あり谷あり。やることは常に山積みで、課題も問題もあって、心がもやもやすることも多く…確かにずっと忙しい。

そういえば夫と同居するために引っ越しの準備をしていた時、せっせと荷詰めしていた時に電話が鳴って、大好きな伯母の死を知らされた。
1つのイベントに、もう1つ…
そうか…これが私の人生。
案の定そこから親戚は大揉めに揉めて「〇〇家は葬式に来ないで!!」「〇〇が遺産を全部持っていった!!」とか叫んでいたけれど、ほんとうにうんざりするけれど…それも人生。

そんなこんながあり、私は
「ああ、占い師さん達の言う通りだ。やっぱりいろいろあるんだな」
と何があってもあまり驚かなくなり、いつしか、いろいろあって当然なのだから迷ったらぐっと力が湧いてくる方向に進もう、それでも分からない時は夢から考えよう…というざっくりした「肚と夢」でやっていけるようになった。
肚と夢が示すことに素直に取り組もう。大事なのは逃げない勇気、それさえあればいいのだ。

最近も悩むことがあり、お腹に力が入るのはどんな時? 夢は何て言っている? 結局どうしたらいいのかしら…としばらく探っていた。
結果は
しばらく、じっくり、1人で苦しむ
だった。とほほ、今年はこんな夏なのか…。
でもこれが今の私に一番必要なことなのだ…ということも、心のどこかでよく分かっている。
苦しみ抜く体験を、真正面からしなくてはいけない時もあるのだ。

私は時折、粕谷栄一の「世界の構造」という詩を思い出す。「世界の構造」について作者が知っていたことを、私も知りそめているのだろうか?
私達は花やかでも楽でもない、辛くて面倒で、でも時々面白く、しかし結局のところ幸福がどこにあるのか分からないような、あるいはそこら中に幸福があるような、そんな昏くて明るい広場を歩いている。それはとても長いようでいてあっという間の、ゴールがあるような見えないような、すごく短い長距離走だ。
私は時折立ち止まり、呆然と空を見上げる。
うん、本当のところ、何が正解かなんて全然分からない…
不思議とそのことに満足して、再び、何度でも、歩き始める。

(おわり)



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