恋心、あるいは夏風邪と突然蕎麦屋に現れた室内三重奏(楽器いろいろ)
私が女将をつとめる「そば・料理 ありまさ」では毎日いろいろなことが起こります。先日は…
※毎度ながら個人の特定が出来ないようデフォルメして書いています。
カウンターでこんこん、こんこんと20代くらいの若い女性が咳をしています。
あら、苦しそう。すぐにお水をお持ちして…。
「白湯もありますよ。ティッシュはここにね」
「すみません…ごめんなさい…」
連れの男性も「ごめんなさい」という感じに頭を下げています。ご夫婦という感じではないし、彼氏かしら。いいんですよ、体調不良は仕方ないの、どうか気にしないで…。
それにコロナ禍でピリピリしていた頃よりは周囲の皆さんが寛容になっているし、対面している私はマスクをしていますし。
咳をしている女性はカーディガンをお持ちで、あらバッグからストールもとり出して…、どうもおうちを出る時から体調が思わしくなかったのかもしれません。
お二人でささっとお蕎麦を食べて、マスクをつけると少しお話をして、そしてお帰りになりました。
「ご馳走様でした(こん、こんっ)すみませんっっ」
「いえいえ…どうもありがとうございます。お大事になさって下さいね」
お二人を見送ったあと、常連の男性が
「まったくなあ、風邪ひいてんならうちにいろって。女将もうつされないようにな。じゃっ」
お代を置くと出ていかれました。
「毎度ありがとうございます!」
私は男性のお代を回収して、おどんぶりを下げて…。
カウンターにはそれぞれお一人でお蕎麦を召し上がっている女性が三人いらっしゃって…、
あらら…この沈黙は…この雄弁な沈黙は…。
一番はじに座っているお客様が口火を切りました。
「あの子、咳が出ても来たかったのよね」
合奏の口火を切るピッコロのような、鋭くも軽やかな台詞。
すかさず一つ席を空けたお隣が答えます。
「カーディガンにストール持参。つまり調子は悪いけれど、どうしても来たかったんですよね」
クラリネットが少し冷静に追いかける感じでしょうか。
もう片方のはじの方も
「だよねだよね、ホントかわいいなあ…と思ってたの。彼氏に会いたかったのよ。あのおやじ何にも分かってないな…」
これはホルンかしら…。
「まあこういうのは身に覚えのある人でないとね」
「男は痛みとか熱に弱いけど、女はちょっと辛くても頑張れるから」(※個人の意見です)
「頑張って、一目会いたかった」
「食欲もあるけど」
「あんなに咳してたら味なんて分からないわよ、でも来たかったの、恋心」
「かわいい~」
「愛おしい~」
「懐かし~」
いい感じのアンサンブルです。
このくらいの編成だとコンダクターは要らないので、私は何もしません。
そういえば中学時代は吹奏楽部の副部長で、先生も部長もいない時は指揮をしないといけませんでしたが、あれって棒を振るだけに見えてものすごく難しいのですよ…。
先ほどのピッコロがフルートに持ち替えて…
「女将さん、あの人達予約?」
「いえ…」
「もし予約だと、自分が行かないと別のひとを誘われる可能性があるわよね」
「ああ、そういう心配もある年齢ね」
「年齢っていうよりキャラの問題よ。 性格と、あと見た目と。彼は結構イケメンだったし、誘えば来るひとがいるかもね」
「イケメンは心配ね」
「イケメンは税率高いの」
「ああ、もう自分のことのようによく分かるわ! 風邪ひいてたら私だってうちにいたいわよ、でもうちになんていられない」
「しんどいけど、おしゃれする」
「しんどいけど、元気なふりもする」
「しんどいけど、隙を作って何かあっては困るし」
「そしてしんどいけどありまさに来るのよ」
咳をしていた彼女は、店を出た後こんなにも背景を深堀りされているとはは思いもよらないでしょう…。
しかしここで急に低音からの呼びかけが…コントラバス。
「ただねえ…、振り返ってみるとねえ…そこまでして会いに行っても、長期的に見るとどうかしら? ってことはあるわよね」
「実は私も今それを思っていたの!
むしろ出かけない方が良かった、くらいのことってない?
あの人と仲良くならない方が良かった」
「深い仲にならない方が幸せだった」
「いっそ出会わない方が良かった…」
「…あるね、確かにある」
「そう考えると、弱った体に鞭打って出かけるより、うちで寝てた方が良かったことって多くない? 体にも人生にも」
「っていうか、どのみち大変なのよ。つきあっても大変、結婚したらもっと大変、ひとりはひとりで大変だし、別れても大変」
「何それ?! 人生逃げ場なさすぎ」
「救いもなさすぎ」
「でもそれがデフォルトでしょ? みんなそうだし」
「みんなそうなの?」
「みんなそうなの?」
「みんなそうなの。
とりあえず私は全部のステージを経験したけど、すべて、もれなく、例外なく、禄(ろく)でもない目に遭ってるわよ」
「そ、それは、お疲れ様…」
「禄でもない目に遭わないルートってないのかしら?」
「見つけたら紫綬褒章」
「じゃあもし若いころに戻って、夏風邪をひいて、でも彼氏とお蕎麦食べに行く約束だったらどうする?」
しばしの沈黙。
神秘的なオーボエが…
「…蕎麦屋によるね」
「あ、そこ?」
「ここなら来る。いや女将にゴマすってるんじゃなくて、あと何食食べられるかな…って年齢じゃない。どうでもいいものを食べたくない」
「だから『若い頃に戻って』って言ったじゃない」
「そうか…。そうだとすると…相手にもよるけど…まあ、出かけるわね」
「うちで寝てるよりはね」
「え、何で? どうせ禄でもない目に遭うのに? それが分かってて?」
「まあ一億にひとつぐらいは禄でもなくない可能性も無くはないし…」
「百億にひとつくらいは奇跡的にその彼とずーっと幸せかもしれないし…」
「お二人が ポジティブすぎて ちょと怖い…
心の俳句を詠んでみました」
「それはそうなんだけど…ポジティブっていうか…そうね多分その後は絶対不幸になるのよ、どのみち」
「不幸言うなって。苦労ね、苦労する、どのみち」
「でもね、その時の、今の、風邪をひいてでも逢いたい気持ちが大事な気がしない? そういう気持ちになることって滅多になくない?」
「確かに少ないよね、そういう…強い気持ち」
「これからはもう無いかもね…」
「だからまあ、それを味わいに出かけるかな。あなたは?」
「わたしは…もし若い頃に戻って、風邪をひいていたら…部屋で寝てます」
「そうなんだ…でもまあ、それもアリよね。あえて面倒に飛び込まなくてもね」
「寝てて、部屋までお蕎麦を持ってきてくれるように頼みます」
「いやそれは出前だし」
「そこで蕎麦運ぶような男は、すでにそこそこ面倒な関係だし。っていうか、結婚してるでしょ」
「してなくても、してるようなもんだね」
「でも、多少面倒でも楽ですよ?」
「出た!『 結婚、面倒だけど楽』問題! 」
「面倒だげど楽で、しかもワクワクしない問題!」
「女将さん、今夜は帰れないかも!?」
合奏が素晴らしい盛り上がりを見せているので…
「店は定刻に閉めますよ(笑)」
最後だけちょっと指揮棒を振りました。
(おわり)
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