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<春>について思うこと

春がやって来ました。
冬の終わりに小さな春がちらちら見え始めると嬉しいものですが、いよいよ春到来となると私はどうも後ずさりし、構えてしまいます。
日本の四季の移ろいやそれぞれの色感や情緒は本当に「いいものだなぁ」と思いますが、この四季の中で唯一、私は春が苦手です。

まず第一に春の空気は埃っぽい
今どきの人は掃除道具のハタキというものに馴染みがないかと思いますが、私が子供の頃、部屋の掃除をするというとまずはハタキを掛け、棚や隅々の埃を出し、その後掃除機を掛けるという習慣でした。現代ではこのやり方、埃を巻き上げてしまい、理論的に間違っているとされていますね。

それと同様、春は強い風で世の中にまるでハタキが掛けられたかの状態。土埃、砂塵、軽いゴミ、花粉などあらゆる乾いた汚れが空気中に巻き上がっていると感じるのです。春はハタキを掛けた状態、梅雨時には水洗いされ、夏の高温で殺菌消毒、そして秋が最も綺麗な空気、というのが私の解釈です。

第二に、春は妖しい
三寒四温とされる気温の不安定さ。菜の花や桜、若緑に黄色にピンクといった優しく明るい春色が外のあちこちで見られるようになります。そんなロケーションに温かい南風が吹けばつい厚い上着なんて脱ぎたくもなります。でも、春の冷えは花冷えとも言い侮れません。厚着はする気になれないけど、なんだか結構寒いという感覚。これで季節外れの風邪などひいたりしたら治りにくくて厄介です。春めきにそそのかされないぞ、と注意深くなる自分がいます。

春の妖しさでもう一つ。こんもり咲き誇る桜につい人は開放的な気持ちになり、雪洞でほの明るくした夜にお酒を呑んだり食べたりのお祭り状態。でもあの桜の淡く薄いピンクがとても妖艶に映ります。桜の咲きっぷりは豊満です。梅とは異なりエロティックなのです。まだ肌寒いのに、そんな春の夜なのに、あの一見清楚で優し気な桜にそそのかされて人々がソフトにトランスに陥っているのではないかと疑います。

地上のみならず、空に浮かぶ朧月も何やら妖しいです。別に埃っぽくて霞むわけではないようですが、桜も朧月も、やんわりと薄いベールを被っていてその正体を見せようとはせず、一方的に解き放たれた人間たちを見ていると感じるのです。

また、様々な植物が芽吹き動物や昆虫が蠢き始める季節であり、どうもここかしこに毒気を帯びた生気が漂っている気がしてなりません。

じゃあ春が嫌いなのかというと、そういうわけではありません。ただ開放的になるにはまだ早いのに、皆がそうなってしまい、私は「それは危険だ」と俯瞰しているのです。春につけ込まれるスキが出来てますよ、と。本当に開放的になっていいのは初夏に移ってからなのではないかと思います。木々の若葉がすっかり生え揃い、そこかしこに注ぐクリアな木漏れ日。薄いブラウスやシャツ一枚が気持ちいい気候。私は「ああ気持ちいいね」と心身を開放するのにはここまで待ちます。

かなり独断と偏見による<春>の捉え方で、春の到来に喜ぼうが、開放するのがどのタイミングであろうが個人の勝手でしょ、というのは否めません。
この持論に至ってはもう長く、これまで人に向かって展開することも幾度かありましたが、実際のところ「そうだねぇ・・」「ふむふむ・・」という感じで思うほど引っ掛かりや共感、手応えが得られないようだというのは残念なところです。




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