桜散り 紅葉も散りて 雪が舞う
作詞家、三浦徳子さんの訃報を目にした。
彼女の名を知ったのは、妙な偶然からだった。
昔、NHKラジオで、落語家さんたちと歌手の森口博子の、落語とおしゃべりの番組があった。落語家と森口と担当アナウンサーの3者の掛け合いが絶妙ですごく面白かった。
その番組がなくなってしまって随分と経って、ふとした切っ掛けで思い出した。そう言えば森口博子って歌手だったけな、何歌ってたんだっけ? とyoutubeで探してみる。
見つけたアニソンに、ああ、アニソン歌手だったんだっけと、ちょっと残念感がした(すみません)が、とりあえず聞いた。期待せずに聞いたが、
(ちょ……森口博子、何気に歌うまいやんけ)
となって、例のごとくyoutubeだら聴き。
しばらくして、流れてきたフレーズにはっと心が掴まれた。
《届かない夢 嵐に舞う花びら 風になるよ 雨になるよ いつしか……》
桜が舞い散り、涙のように雨が降ってくるシーンが、ぱぁっと頭に浮かんだ。
何てすごい表現力だろう。何て美しい言葉の一群だろう。夢が敗れたときの人の心の情景を見事に表していると衝撃を受けた。
しかも「桜散る」とは、受験不合格通知の決まり文句(本当かどうか知らないけど)だが、この歌詞には一言も桜という言葉は出て来ていないのに、桜の花が散るイメージが自然と生じてくる。
だ、誰? この詞を書いた人?
調べてみると、『水色の雨』とかわたしの好きな曲を結構書いている。知らんかった。
まあ、全体的には昔のヒーローもののアニソンってわかる歌なんだけど、あの部分のフレーズは本当に凄いよ。文学的で、正しく詩的。
だが、それ以来、アニソンにあった偏見が薄れて、アニソンも避けずに聴くようになった。
ちなみに演歌もスルージャンルだったんだが、最近では、ちょっと聴くようになった。全部じゃないけれど、もう、文学って歌もあるから侮れないって気付いて。ある人が「年取ってきたら」(その時まだ30代なのに)演歌に妙に惹かれるようになったと言っていたことがあるが、決して年のせいではないとは思うのだが……。
ところで、なぜ記事タイトルに「雪……」が最後にくっ付いているかというと、北国では、桜の季節は、桜花が咲きながらも、まだ雪がちらちらと舞うことがよくあるからだ。今は温暖化著しいから、どうなっているかわからないけれど、私は、桜の花びらと雪の小粒が一緒に舞い落ちている情景が自然と浮かぶのだ。
それに三浦さんの訃報に、思い出したあの歌詞から、春が来て桜が咲いて、それから夏が来て、秋が来て、冬になってという節の巡りかわりに人の一生を見る気がしたからだ。桜が咲いて散って、青葉が繁って、それが紅や黄色に色づいて散って、雪が舞う季節がやって来て、やがて……。
(余談)
最近では、アニソンの『残響散歌』がお気に入りの一つ。アニメ自体はどういう話なのかよくわかっていないが。
ただし、さびの部分を《……どんなに無能と呼ばれても どんなに窓際やられても 生き残れ 残班》とか《……肥料だぜ 残飯》とかと勝手に変換して口ずさんでいる。自分だけが楽しい。すみません。
ところで、「窓際」って言葉、もう死語なんだろうか。もうすぐ死語なんだろうか。年功序列が崩れてきた世では、窓際族なんて絶滅するよね。
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