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桜散る 今日も昭和が一人逝く

 今年に入って、松本零士、陳建一、大江健三郎、坂本龍一、畑正憲……と私が育った時代の人たちが次々と鬼籍入り。
 まるで桜の花びらが一枚一枚散り落ちて行くみたいに次から次へと。
去年だとゴルバチョフ、渡辺徹、森英恵、仲本工事、あき竹城、水木一郎……。ここ2,3年だと……キリがないからやめておこう。
 今日は訃報ではないが、おすぎとピーコのピーコが行方不明という記事を目にして驚いた。認知症の兆候があったということで、まるで徘徊を思わせる姿の消し方にひどく動揺した。イメージがわかない。

 最近、やたらと訃報に目が行く。
 危機感が薄れてはきたものの、コロナ禍のせいだろうか。それとも訃報記事自体が多くなったのだろうか。あるいは人生カウントダウンを意識するお年頃になったということなのだろうか。人生カウントダウン意識が芽生えてくるお年頃は、時代や人によって違うだろうが、昔話の姥捨て山年齢を考えてみると意識しだしてもおかしくないお年頃なのは確かか。
 空は晴れてきれいなスカイブルーだが、そんな先行き不透明な時代にあっては世界がセピアにくすんで見えてくる(あ。それはもしかしてただの老化現象?)。強風の日も続き、枯れた我が身も安っぽい思考も命も、紙切れみたいにあっけなく飛んでいきそうで、気分は別の活きでブルーである。

 先行き不透明な時代といえば、スピ界の人たちが今は「風の時代」でうんちゃらかんちゃら(よくわかっていない)言っているらしいが、確かに今の時代は、風は気まぐれ世は情けねぇ、風の吹くまま政治は気まま、コロコロと風向きが変わって、さっぱり先行きが読めない。期待や希望が抱きにくい時代ではある。
 でも、昔は良かったとは諸手を挙げて思わない。今の時代の方が良いことも結構あれば、昔の方が良かったかもと思う部分もある。それは当たり前か。人間なんて試行錯誤して生きてんだから、世間も、社会も、世界も試行錯誤してんだよね。そういうことだろうよ。


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