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長さよりピンコロ願う暮れた人

 ちょいとお疲れ気味の私です。
 寝不足気味だからかな。昨夜、隣がドスンバタンと非常に五月蝿かった。深夜1:00過ぎてもまだドスン! バタン! ガン! ドン! ドスドスドス……。うとうとと眠りに入ってきたなぁというところでドスン! ガン!だもん。目が覚めちゃう。もういい加減にしろっちゅうの。
 加えて上からもだ。轟音二重奏。
 でもって、なぜか外からは意味不明の奇声が! 外国語とかじゃないよ。言語じゃないの。その辺を徘徊しているらしい。声の質からして年配者ではないようだ。何か怪しいメディスンでもヤッてんのか。
 まあ、上はいつものことというか毎日のことだから……。ひどいときは、建物が揺れる。地震と間違っちゃうんだよなぁ、時々。以前は午前4時あたりからドォォ~ン! バタバタバタ……だったが、それがなくなっただけでもマシか。上は大家さん関係だから苦情が言えない。
 アタシが引っ越しゃいいんだけど、昔っから隣人運がないから慎重になっちゃう。

 ってなわけで、酷い一晩であった。眠り足りなくて疲れ気味。そんなときって、思考がネガよりになっちゃうのである。「暮れた」考えに沈んじゃう。

 人生の尺が年の暮れ時に近づいていくと、人は大雑把に2種に分かれる気がする。
 長く長くどこまでも、どんなことをしてでも、何なら永遠に生きたいという人と長さよりも最後までぴんぴんと元気に生きて、最後は苦しまず楽にコロリと一瞬で逝きたいという人。
 前者の人は、老化を病と捉え、治療しようとする。でも、命のない物にだって経年劣化というものがある。そして利用期限がある。限りがある。マシンなら動かなくなる。それに永遠に生きたって、いつか地球は終る。他の星に移住できたって、宇宙だっていずれ終る。そのとき、一体、どうするのだろう。
 だから、万物には終わりがあるし、どうせ死ぬんだし、なら苦しまずに終りたいよねと思うのが後者だ。それに周囲に面倒かけるから寝たきりにもなりたくないし、自分も惨めな気持ちになるから、最後まで元気にピンピンお達者で過ごしてコロッと逝くのが理想だよね。「ピンピンコロリ」が一番だよねってなる。
 私も後者のピンコロ派である。だって、痛いとか苦しいとか嫌だもん。身体的だけじゃなく、精神的にも嫌。マゾじゃないから。

 そう。身体的にも精神的にもマゾじゃないから、深夜の轟音奇声はお呼びじゃないのよ。プンスカ💢

※ 知らない人は少ないと思うけれど、念のため。トップ画像は「ピンピンコロリ」を叶えるというとげぬき地蔵が鎮座する聖地です。


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