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夏休みラジオ体操 ガキの前 マウントおやじ 意気軒昂

 北国の学校では、夏休み終了関カウントダウンが始まっている頃と思います。
 ただし、昨今は温暖化の影響で北国と言えども連日猛暑が続き、お盆過ぎても9月に入ってもさっぱり涼しくならねぇなんて状態ですからね。まだまだ暑いっす。熱波から逃れて、欧米からタイやら東南アジアに避暑してきてるなんて話すらもちらほらありますから、もはや気候の違いに北も南もへったくれもない時代になりました。

 さて、本題。
 小学校の頃、夏休みには子供会の班ごとに早朝のラジオ体操に参加することが義務づけられていた。上の画像にあるようにはがき大のカードを持って、終ると監督役の保護者や班長にはんこをついてもらう。これが、ひどく苦痛な「宿題」であった。
カブトムシやクワガタ獲りに早起きするのは苦にならないが、班には朝っぱらから見たくないヤツもいたから、低血圧児童の頑張る気力も萎えようというもの。
 加えて、ある年の夏は、妙な親子が勝手にちん入してきた。よく覚えていないが3~5年生のどっかの年だと思う。ちん入親子の息子の方は確か私より1つか2つ下だった。
 なぜこの親子をちん入者と言うかというと、彼らはどっか別の班組だったからだ。それがどういうわけかうちの班に入り込んで、しかも親父が我が物顔で勝手にラジオ体操の場を取り仕切った。
 市営体育館の裏、通路のちょっとお立ち台になっているところに立ちって私たちを見下ろして「何だ。お前たちの体操は。全然なっていない。俺を見ろ!」と傲慢に言い放ち、我が子以外の子どもたちの動きをチクチクと注意――というより罵る。「お前らは本当に駄目な奴らだ。見ろ! 俺の息子を。これぐらいピシッとやれ!」そして息子を褒めちぎる。ところがこの息子、私たちより、全然、いい加減である。親父の目が向くとちょっとピシッとしたポーズを取って見せるが、そうじゃないと露骨に嫌そうに誰よりもダラダラと動く。いや、動いているとはいえない。手先を少しばかりふらふらさせているだけである。狡い。そりゃ、嫌われる。ハブられるのも納得だ。
 で、この親父、どこでどう知ったのか、うちの父親が教職にあることを知っていた。ド田舎である。教師はインテリと何となくみなされて、ちょっとばかし一目置かれやすかった。「先公」と10代の斜に構えた子供たちには軽く扱われる存在であっても、世間一般の「聖職」に分類されていた。今とは違って、そういう時代でありました。そのために私には特に風当たりが強かった。「センセイの子供のくせに、全然、駄目じゃないか。見ろ! 俺の息子を見習え」まるで自分が正義のヒーローでもあるかのように「えへん」と胸を張って高らかに威張った。
 私は、何も言い返えさなかった。心の中で(誰がお前の息子を見習うか。頭悪いスネ夫じゃねぇか。みんなに嫌われるわ)そう吐き捨てていた。たぶん、班の他のみんなも同じであったろう。この親父が弱くて小さい子供相手に威張り散らかしているのは、仕事やら職場やら何やらの日頃の鬱憤を他人の子供に向かって晴らしているのだと気付いていた。
 ところで、この親子は、なぜうちの班にやって来たのか。どうもいささか問題があって本来の班でハブられたらしい。ちょっと情報通で別の子供会の友だちが教えてくれた。息子の態度からしてそういう雰囲気が最初からプンプンしていたから納得した。
 友だちは、自分とこに来ても良いよと行ってくれた。彼女のところは小商いをしている商店の子が多く、愛想の良い、気が良い子たちがほとんどだった。ただし「うちにもとんでもないのがいるけど」。
 彼女の言葉に「ああ」と思わず頷いた。そう、あの時代、どこの班にも「とんでも」が一人や二人はいた。そして、十中八九、父か母の違いはあれど親も「とんでも」だ。お陰で昭和を手放しで古き良き時代なんて自分には思えない。
 話を戻そう。うちの班がこの「とんでも」親子にゲットオンされたのは、たぶん、子どもたちだけでやっていたからだろう。子供だけなら大人の親父も一緒に出て行けば、都合良く仕切れると思ったんだろう。なめてくれたもんだ。
 だが、子供だって世知辛い世の端っこで生きている。黙ってマウントクソ親父のモラハラ、パワハラにいつまでも屈していない。親に訴え出た。

 細かい経緯はよく覚えていないのだが、確か、私の訴えにうちの強面婆ぁが、ある朝、ラジオ体操の場に顔を出して、マウント親父に「ご苦労様です。あら? ところでお宅どなた? 」というような挨拶をした。その後、マウント親父が「チクりやがって」とばかりに、私に対するハラスメントが更に増した。不思議なことにマウント親父は、私の父親の職業は知っていたくせに、うちの婆ぁの有名な強面ぶりをよく知らなかったらしくヤツは、婆ぁをなめたようだ。それで今度はうちの親父が顔を出して「ご苦労様です。あら? ところでお宅どなた? 」というような挨拶をした。そこで、マウント親父はちょっとビビった。そしてダメ押しのように別の子の良識派の親が顔を出して「ご苦労様です。あら? ところでお宅どなた? 」というような挨拶をした。すると奴らはぷっつりと来なくなった。
 ガキ相手にマウントとって悦に入っているようなヤツである。本質はド・チキンだ。その後の彼らの消息はわからない。姿も見かけなくなったから、全然、違う会区か学区に引っ越したのだろうか。

 ところで、うちの班には、私が後に「サイ子」と密かに命名したとんでもない悪魔女子児童がいた。それがそのラジオ体操の時、サイ子がいた記憶がない。
 ヤツがいれば、悪魔場子供の姿でシャバにのさばっているような輩だったので、絶対、ちん入親子の息子は元より大人のマウント親父にも容赦なく食ってかかり、いじめまくり、場合によっては暴力も行使しただろう。その結果はどうなるか、想像するだに恐ろしいが、サイ子はいなかった。
 たぶん、自主休したんだろう。で、勝手に親のはんこをカードについて、しれっと休み明けに学校に提出してたんだろう。そういうことがよくあったから。きっと、そのときは「めんどくせぇ」とサイ子は思って、ばっくれたんだろう。
 サイ子については、機会があったら詳しく述べようとは思う。今、ヤツがどこで何しているか全く知らないが、殺傷沙汰でムショにいると言われても、全然、驚かないぐらい本当にとんでもねぇ悪魔であった。
 あそこも母親がちょっとあっけらかん悪魔が入ったような人物だったが、あのマウント親父と違って、ラジオ体操に出張ってきて、子供をなぶって悦に入るということはしなかったから、その点だけはまだマシだった。あくまで、その点だけはね。悪魔だけに……。

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