1 村田沙耶香「地球星人」を読んで

「コンビニ人間」で有名な村田沙耶香さんの作品。
主人公の奈月はポハピピンポボピア星からやってきた使者であるピュートに勧誘された魔法少女である。これだけ書くと、すでに「コンビニ人間」を読んで作者の作風を知っているせいか、「僕と契約して魔法少女になってよ!!」のアニメのようになってしまうのではないか…と懸念してしまうが、おそらく奈月は魔法少女と思い込んでいるだけで、魔法少女でもなんでもない地球人である。
僕も子どもの頃はドラゴンボールのブロリーごっこをして遊んだものだが(他男児に「お前はドロリーな!」と押し付けられたのである。断じていじめではない)そういった空想の中でキャラになりきる遊びは児童期にはよく生じるものであり、この時点では奈月や由宇の魔法少女や宇宙人という思い込みはそこまで奇異ではない。

しかし、大人からの性被害や虐待を成長過程の途中で受けることにより、人間に対する不信から自分がポハピピンポボピア星人であると成人して確信することになる。まだ人を信用していたと思われる児童期には魔法少女と名乗っていたのに、成人してからポハピピンポボピア成人であると気づくというのは、人間を捨てたい、自分に悪意を向けた人間の大人たちと私は同じではないという奈月の心の表れではないか。

そして由宇や夫と共に、最終的にはポハピピンポボピア星人として生きていくことを決断する。ラストは一見ホラーだが、奈月や由宇、夫にとっては自分らしく生きた結果というハッピーエンドとも取れる。特に、その住処として選ぶのが楽しい思い出のあった長野の山奥というのが、奈月の心の拠り所がその場所だったのだろうと推察されて切なくなる。

ところで、私は人間であると洗脳されたポハピピンポボピア星人であるという文言を聞いた時に思い出したのは、安部公房先生の「人間そっくり」である。あの小説も火星から来た火星人が病院で治療(という名の洗脳)を受けることで自分は人間であると思い込んでしまっていたというくだりがある。
ポハピピンポボピア星人も火星人も地球星という環境に身を置いてしまったがために破滅に向かってしまう。異星人単体で生きていれば幸せだったのにという構図は、マジョリティが正しいという現実の世界を見事に皮肉っている。

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