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仕事を退職、無気力、回復から今までを振り返って

 今から10年以上前、小学校教員の仕事をしていた自分。子どもたちとの楽しい学業や行事を経験するなかでやりきれない思いをかかえたまま、仕事に邁進していた。今思えば、教師という立場より、自分の信念が先に立っていたのかもしれない。ビジネス書や啓発書、教育書を読みあさり、3年が経つ頃には部屋は140冊以上の本で埋まっていた。教師を退職した時には、意思と頭がすっかりかたくなっていた。休み方も忘れてしまっていたのかもしれない。まわりに迷惑をかけてしまい、仕事を退職。故郷にもどれたことはよかったけれど、今まで抑圧されていた感情は、コントロールできなくなっていた。「怒ってはいけない。子どもたちはお客様。」という考え方になじめずに、頭をさげさせられ続けた日々が心を壊していたのかな。両親を信じられなくなり入院。あたまごなしに押さえつけられた感情をなだめるのに苦労したと思う。病院を退院してからは薬とリハビリの日々。3度の食事。1日1回のラジオ体操。100メートル歩くと、もう何もできなかった。毎日が同じことの繰り返し。なにもよくならない。家で5分座っていられなかった。立ってみてまた座る。時間がたつのがやけに長い。苦しい。やることがない。やる気もない。水を飲む。時計をみる。まだ10分。時計をみる。まだ15分。1日が1週間のように長く感じられる。そんな日々が何ヵ月続いただろう。少しずつ少しずつ動けるようになっていった。幸いにも病院にデイケアが創設され、通ううちに劇的に回復していった。目には見えなかったが、自分では心の底辺がしたから徐々に1センチまた1センチと回復してきたのを感じていた。2011年3月11日。2時46分。病院で強い揺れ。長く大きい。そこではじめて『ああ、もう死ぬんだ。』と思った。病院は崩れず、東日本大震災の被害を知ったのは帰宅した後だった。ある日、大学時代の知人を通じて1本の電話がなった。介護施設で働いてみないか、という誘いだった。社会復帰のため、両親の経済的支援のもとにリハビリをかねて働いてみることになった。介護の資格もとり、そこから本格的に働き始めた。今までが嘘のよう。体が軽い。気持ちも広くなっていた。落ち着きを取り戻した。もう大丈夫。趣味や興味もできてきた。雑貨づくり、石拾い、サッカー、物語・絵本づくりも始めた。プロフィールにある小さな庭のイラストは、絵を描いてくれた今の彼女のものです。
 苦しくて長い暗闇に涙を流しているに、こんな人間も生きているよ、と伝えたい。

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