見出し画像

ネオバビロン・ザ・イモータル 第1話

あらすじ(300字)

違法建築が並び欲望渦巻く巨大都市ネオバビロン。行きかう人々は身体に機械を埋め込み、様々な言語が飛び交い、文化が混在した街を3D広告や極彩色のネオンサインが飾る。
そんな街に昔からある噂。「ネオバビロンには不老不死がいるらしい」。不老不死の名は三鷹、輝くばかりの美貌の青年であった。
ある新興宗教団体の儀式の場に潜入していた妹の遺体を探す探偵(という名の何でも屋)の青年・沢巳さわみはこの三鷹と出会った挙句死にかけ、自身も不老不死となる。妹の遺体を探し不老不死となった身体を元に戻そうとするうちに、沢巳は三鷹とネオバビロンの街と住人に振り回され「巨大企業ハートリング」と対立することになる。

補足

 沢巳は探偵として仕事をこなしつつ、気まぐれで快楽主義な三鷹に振り回されながら、妹の遺体と自身の不老不死になった身体を元に戻す方法を探す。そのなかでネオバビロンの街の様々な場所に出向き、年中行事に参加し、その経験の中で新たな友人もできるようになり、沢巳は好きでも嫌いでもなかったネオバビロンという街の様々な側面を目の当たりにすることになる。
 混沌の街ネオバビロンの最低限の秩序をつかさどりインフラの保持を務める「円卓」。個性豊かで様々な信条を持つ住人達、ギャング、マフィア、傭兵、富める者貧しい者、女、男、どちらでもある者、どちらでもない者、何者でもない者、様々な肌・髪・目の色。華やかで多種多様な店の集う歓楽街。裏路地に潜む猟奇殺人鬼。24時間経営の銃弾飛び交うピザ屋。3Dプリンターを駆使して移植臓器を作る偏屈な医師と美しく勇ましい暴力ナース。高級邸宅の庭で行われる「曲水の宴」に紛れ込む殺人予告。新興宗教。川べりに並ぶ賑やかな食事の屋台。肉の身体を喪った機械肢体の技術者。高級ホテル屋上のナイトプールのパーティーでぶちまけられる電子ドラッグ。夜明け前の一瞬の静寂と朝焼け。人間を食べると噂の「食人姫しょくじんき」。最近人気のスキャンダル無しが売りのヴァーチャルアイドル。ネオバビロンに秩序を取り戻そうとする思想団体「風紀回復委員会」……。
 騒がしく下品で、エモーショナルで刹那主義で、義理堅く、粋で、欲深く輝かしく、救い難く、甘く罪深い、グロテスクで艶っぽい。捉え難くいくつもの顔を持つネオバビロンの街の深みへと、沢巳は踏み込んでいく。
 さらには自分たちを「金の成る木」として捕まえようとする臓器売買企業ハートリングとの対立を通して、なし崩しで相棒になった三鷹の不死者としての孤独やその本心を少しずつ理解していく。
 一方で、死んだはずの妹は合成獣(キメラ)となって生きていることが判明。幼いころから病弱で寝たきりの生活を送っていた沢巳の妹は、彼女自身の自由意思により、死の直前、臓器売買企業ハートリングの技術で合成獣へと改造されていた。健康で頑丈な身体を手に入れた彼女は、臓器売買企業ハートリングの「戦力」として暴れまわり、兄である沢巳と敵対することを楽しんですらいた。
 最終的に、沢巳は三鷹の不死者としての孤独を理解し、友人たちの力も借りて臓器売買企業ハートリングから自分たちへの不干渉を確保したうえで、沢巳は不老不死のままネオバビロンの街で生きていくことを選ぶ。

1話

 人類はついに死を克服した!……らしい。
 真偽のほどは誰も知らない。
 なぜなら、不老不死の理論にたどり着いた本人がその研究資料のすべてを破棄して死んでしまったから。残ったのはその実験室から脱走したたった一体の非検体。被験体の男は、ネオンサインに彩られた違法建築の立ち並ぶいびつな大都市ネオバビロンを自由気ままに渡り歩いた。
 ネオバビロンは毎日がお祭り騒ぎ。金銭と流血に飾られて、倫理はとうに化石になって、司法も警察も形無しの街。男はあちこちで起こる暴力沙汰に出没した。首を落とされても内臓を破壊されても翌日には別の場所で目撃されるその男の噂は人々の間に密やかに広まった。
 だが、噂は噂。けれど一部の人々は躍起になった。あの被検体を捕まえて調べ尽くせば富も名声も思うがまま。万が一不老不死にいたる理論そのものを解明できなくても副産物が得られるだろう。それすらできなくても、被験者をご神体に仕立てあげて長寿健康を授ける新興宗教を起こせば一財産稼げるだろう。
 ご神体はそこに座っている。
 きらびやかに飾られた台に重ねられた分厚いクッションの上に。
 不老不死を得たその男が。
 年恰好は20代前半。ストロベリーブロンドの髪、長いまつ毛に縁どられギラギラとたぎる目、ふっくらとして妙に艶っぽい唇。素肌に白いファーコートをだらしなくまとわせ肩を晒して、黒いスキニーパンツにハイヒールを履いたその男が。
「いや……ご神体にしては俗っぽすぎないか?」
 思わず声に出してしまって、沢巳ジョウウンは自分の口を機械の手でふさぐ。ゴシップ誌の記者であることがばれたらこの場をつまみ出されて新興宗教潜入レポが書けなくなる。本業である探偵業への以来の少ない今日この頃、原稿料が出なければ沢巳は今度こそ飢え死にしてしまう。
 ご神体らしさのアピールなのか男は首や腕にはじゃらじゃらとアクセサリーを飾って頭には冠のようなものを被っているがかえって猥雑な感じがする。よくよく見てみれば参拝者たちはご神体の顔にぽうっと見入っている。ご神体の男がうっそりとほほ笑めばため息をつく者すらいる始末。
「なんて美しい男だ、心が洗われるようだなぁ」
「まったく、寿命が延びるような思いとはこのことだろうねぇ」
 参拝者たちは囁き合って手を合わせ拝み始めた。なるほど、たしかに惚れ惚れするような美丈夫だ。
 事前に聞いた話によるとこれから行われる「御開帳の儀式」の後、参拝者にはご神体の毛髪や聖水、薬草が与えられる。信者たちはそれらを大切に持ち帰り、決められた量ずつ調合して一日に一度服用すれば長寿健康、ついでに開運間違いなし、というわけだ。実際、病が治ったとか体調が良くなったとかでこの教団はこの半年で信者の数を一気に増やしている。その勢いたるや、ろくに機能しなくなった警察でさえその調査と摘発の準備を行っているという噂が立つほどである。
(信者の長寿健康はほぼ薬草の恩恵だろうけど、鰯の頭も信心からって言うし)
 逆に言えば信心が無ければ何もかもだめ、という話なのだが。
 沢巳がぼんやりとそんなことを思っていると、不意に周囲に甘い香りが漂い始めた。籠るような、果実が熟れて腐り落ちる寸前に放つような、むせかえるような香り。
 ご神体の前に盆を持った女がしずしずと現れた。ご神体のそばに控えていた神官のような老人が盆に乗ったナイフを手に取って頭上にかざす。それを合図にご神体は白いファーコートを脱ぎ衆目にその裸の上体を晒した。
 美しい身体だった。程よく鍛えられ筋肉の付いた体には花模様の刺青が刻まれている。
 参拝者たちが色めき立つ。ご神体がほほ笑めば視線はもう彼から逸らすことが出来ない。
 天井からつるされた照明を受けて、目も眩むほどにナイフの刃が光を放った。その閃光はまっすぐにご神体の胸をめがけて駆け走る。
 瞬間、赤が散った。
 ご神体の男は眉をしかめることも無く、うめき声一つあげなかった。しいて言うなら、恍惚とした表情で喘ぐようにかすかにため息を漏らしてあおむけに倒れる。とめどなく血が滴り、ファーコートが赤く染まっていく。
 参拝者たちは言葉もなく食い入るようにご神体に見入っている。人々の熱気で果実のような香りはいっそう甘く、血の香りを孕んで彼らを酔わせる。
 倒れたご神体の胸の上をナイフが縦に走る。誰も彼もが厳粛な顔をする中、ご神体の男だけが笑っていた。精悍な頬を薔薇色に染め上げて陶然と微笑み、時折悩ましげに眉間にしわを寄せて、吐息の合間でこらえきれないとばかりに声を漏らす。
 沢巳は苦く笑う。何が「長寿健康を授ける」だ。「永遠の具現」だ。快楽の化身の間違いだろう。
 壇上の神官は、ご神体の裂かれた胸に皺だらけの手を侵入させ、厳かな手つきで取り出したものを高く掲げた。
 ご神体の心臓。
 それは照明を受けて赤く輝き脈打ち血を滴らせながら女の捧げ持つ盆の上に恭しく安置された。
 なるほど確かに御開帳の儀式だ。だが、それどころじゃない。
(なんなんだ、心臓をまるごと抜かれてずっと笑ってやがる……)
 思わず男をにらみつける。すると、その生気に満ちた視線がこちらをとらえて目を細めた。かすかに唇が動く。何を伝えたいのかは分からない。
 静寂を破るように鈴の音がした。それを合図にご神体は物憂げに、けれどささやかな笑みを浮かべながら体を揺すりながら起き上がる。
 信者にどよめきが広がった。
 ご神体の赤く染まった胸の奥に心臓が新たに生まれ、裂けた傷がふさがっていく。その隣に掲げられた盆の上で変わらず主のそばから離れた心臓が脈打っている。
 奇跡だ……。
 呟いたのは誰だったか。声のした方にちらと視線を向ければ少年がいる。他の参拝者ほど香りに浮かされている様子はない。奇跡、その小さなつぶやきはさざ波のように人々の合間に広がって次第に場内を埋め尽くす。
 奇跡だ! 奇跡だ! 奇跡だ! 奇跡だ!
 人々の声は次第に絶叫のようになり、にこりと微笑んだご神体に一斉にかしずいた。一拍遅れてそれに倣いつつ台座に座った彼を盗み見るとこちらに気が付いてウインクされる。それが酷く様になる。こんな宗教団体の椅子に大人しく座るよりもホストクラブのソファの方がよほど似合っている、そんな雰囲気の男だ。
 天井から布が垂れて参拝者の視界から生き神を隠すと、それで御開帳の儀は終わりになり、人々は中庭へと流れだす。昼時の中庭は信者たちや参拝帰りの者たちが憩う場であり、儀式終わりの今は入会手続きの会場にもなっている。
(すごいものを見た……。あの手続きの列に並んでみるか? いや、信者から詳しい話を聞くべきだな。ついでにカナンの話も聞ければ良いが)
 中庭に出た沢巳はコートの内ポケットから携帯デバイスを取り出し、ホーム画面を見つめる。そこに映し出されているのは、病院のベッドの上でピースサインをする10代後半の少女の姿。
(カナン、せめてお前の骨だけでも回収してやりたいんだが……)
 眉間に皺を刻んだ沢巳は、デバイスをコートのポケットに仕舞う。そんな彼の機械化した腕を引く者がいた。教団のロゴが刺繍されたローブを目深にかぶっていてその顔はよく見えない。
「話がしたいんだろ? こっち来いよ」
「お、おい、待て!」
「ほら、良いから」
 若い男の声でそう言って、有無も言わせず教団の建物内部に連れていかれる。沢巳が激しく抵抗しないのは、ひとえにその両腕を戦闘用に機械化しているからだ。このローブの男を怪我させてしまうようなことは、沢巳の望みではなかった。
 ローブの男は最上階の最奥の扉を開き、その中に沢巳を導いた。雑然と物のある生活感のある小さな部屋だ。厚い木製の扉が閉まると案内人は鍵をかけてローブを脱ぎ捨てた。
 現れたのは輝くばかりのストロベリーブロンドの髪。長いまつ毛に縁取られて生気に満ちた目。間違いない、あの台座で心の臓を抜かれてなお微笑んでいた男である。そう、この教団の生き神本人。永遠の具現体。
「何を呆けた顔してんだよ、さっきは俺のこと熱心に見てたくせに。何か知りたいことがあるって顔してるぜ?」
 なあ、ゴシップ屋さん。
 ご神体の男は低い声にからかうような笑いを含ませて囁いた。
「……本業は探偵だ」
「似たようなもんだろ」
 ケタケタ笑ってご神体の男は窓辺に置かれたベッドに腰かけてシーツの上に放置されていたタバコとライターをこちらに寄越す。どうやらここは彼の部屋らしい。
「ご神体のくせにずいぶん庶民的なタバコだな」
 一矢報いてやろうと皮肉を言ってみるが、彼は気にした様子すらない。
「好きなんだよ、これ。信者連中から貰いやすくて」
「カツアゲだろそれは」
「良いだろこれくらい。あいつらの金儲けに付き合ってやってんだ」
 言われて、ポケットに突っ込んでいたお土産セットを取り出す。ご神体はベッドの近くに干されていたシミ一つない白いファーコートを引っ張ってきて自身の肩に引っ掛けた。その姿を眺めながら、沢巳は不意に口を開いた。
「……あの時最初に奇跡だって言った子供はサクラ・・・だろう?」
「何で分かった?」
「周囲の参拝者を誘導しているように見えた。それに、あの場に充満していた甘い香りは薬物の類だ。あの子供はほかの参拝者ほどあれに酔ったような雰囲気が無かった。そうなると、教団内部の人間だと考えるのが自然だろう」
「……お前は平気そうだったね」
 目を細めたご神体がささやく。そのまなざしは、あの台座の上で沢巳にニヤニヤと笑いかけていたあの時の目だ。沢巳は己の機械の手を組んで、きわめて平坦な声で言う。
「幼い頃からの訓練で薬物への耐性がある」
「その腕も訓練・・の賜物か?」
「重宝している。手指の熱でアイスが溶けることも無いし、ロケットパンチがうてる」
 大真面目な顔で言った沢巳に、ご神体の男が吹き出し、そのまま大声を上げて笑った。それを横目で眺めながら、沢巳は少し短くなった煙草を灰皿に押し付けて何気ないような声色で言う。
「……こんなにペラペラ教団のことを話すとお立場が危うくなるんじゃないか、生き神さま」
 生き神は一瞬真顔になったが、灰皿に煙草の灰を落としてハ、と短く声を上げてわらい、ベッドに仰向けに倒れこんだ。
「どうでもいいね、何もかも」
 酷薄な笑みがその美しい顔を彩っている。
「俺のこともお前のことも教団のことも、面白くて気持ち良けりゃ全部どうでもいいよ」
 ご神体の服から、傷一つないその胸元がわずかに覗いている。
「それで、他に聞きたいことは?」
 燃えさしの煙草をくわえて生き神はかすかに笑い囁く。
 その顔を軽く睨み、沢巳は低い声で警戒も露わに問う。
「そもそも、なぜ俺をこんなところに連れてきた。何が望みだ」
 沢巳の鋭い銀の瞳に睨まれて、しかしご神体は同様のひとつもせず、それどころか笑みを深める。
「お前と話したくなった。だってお前、不老不死とか長寿健康を欲しがる奴の顔をしてなかった」
 それは、間違いなく沢巳の真実を突いていた。
「だろうな。俺が欲しいのは、もう死んだ奴の情報だから」
 淡々としたその返答に、美貌の生き神はキョトンとして体を起こした。
「死んだ奴?」
「……俺の妹だ。10年前に死んだ」
 言いながら、沢巳はコートの内側から携帯デバイスを出して、ホーム画面の少女の写真を生き神に見せた。
「カナン、という。昔から体が弱くてずっと病院にいた」
 画面をのぞき込んで、生き神は「お前に似てないな」と笑う。そうすると、不老不死の男はごく普通の青年に見えた。血は繋がってないからな、と沢巳は笑いもせず、悲しみもせずに言う。そんなことは、このネオバビロンでは別段珍しいことではなかったから。
「妹……カナンが死んだこと自体は、仕方のないことだ。元々長く生きることは難しいと言われていた。だが、霊安室に運ばれたはずの彼女の遺体が、突然消えた」
 そう言って沈痛な面持ちになった沢巳を見つめて、不老不死の生き神は柔らかく微笑した。壇上で見せていた、あの酩酊するような陶然とした顔ではない、慈しみや好意の顔で。
「それで、妹さんのご遺体の消息を追ってるのか。妹思いなんだな」
「……その逆だ」
「え?」
「生前はろくに妹に構ってやれず、死に目にも会えなかった。たった一人の家族として、せめて骨だけでも奉ってやりたい」
 その言葉に、不老不死の男はやっぱり微笑む。その時だった。バタンと音がして部屋の扉が開かれた。体を改造し銃を持った無頼漢集団がどやどやと部屋に入って来たかと思うとあっという間に包囲されて武器を向けられた。しんみりした空気は霧散する。しかしご神体の男は焦る様子もなく、ニヤニヤ笑っている。
「今イイトコなんだぜ? 邪魔するなよ」
「ふざけるなよ」
 物々しい音がして銃口が彼に向けられた。この闖入者一団のリーダー格らしい男は舌打ちして苛立ったように言った。
「俺たちの目的はお前をハートリングに届けることだ、不老不死のご神体サマ。いや、ハーライ・三鷹・ユリアン」
 ハートリング、この倫理退廃都市ネオバビロンの臓器売買市場を取り仕切っている巨大グループ。その末端は賭博、風俗、金融と様々な形でこの堕落した都市に根を下ろしている。その大企業様が、この不老不死のご神体を求めている。なぜか?
(臓器売買企業にとって、この男はまさに金の生る木……)
 突然の状況に、沢巳は逃げ出す態勢を整えながら、ニヤニヤ笑いを浮かべる不老不死の男・三鷹を見つめる。
 傭兵団のリーダー格らしき男は銃に手をかけながら、不老不死である三鷹を脅す。
「俺たちが少し脅したら信者たちはあっさり道を開けたよ」
「安い脅しだな」
 三鷹は小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、枕の下に手を伸ばしてナイフを取り出した。それをこの無頼漢たちが見逃すはずもない。撃て、の掛け声が響く。
 その瞬間、とっさに沢巳の体が動いた。
「危ない!」
 自分の意思に反してそんなことを叫びながら三鷹を突き飛ばした。突き飛ばされた方は目を見開いて唖然とした。もちろん、この状況でハートリングの遣いを名乗る武装集団が発砲を止める由はない。容赦もない。手加減もない。
 沢巳は胸や腹を中心に銃弾に貫かれ、血しぶきを上げながらベッドに倒れこむ。
(……我ながら愚かなことだ、不老不死をかばうなど。おれには何の関係もないのに)
 ぼんやりした意識で沢巳はそんなことを考える。
(だめだ、瞼が重い。体が熱いのに寒い……)
 彼の体からは鮮血があふれている。だがアオサメ団はそんなことに構いはしない。照準をすぐさま三鷹に合わせて発砲した。                  
 不老不死の身体は銃弾に削げ、ちぎれ、再生する。それを数度繰り返すうちに彼は身体をのけぞらせて吐息を漏らし、頬を紅潮させる。突き飛ばされて唖然としていたはずの顔には笑みが浮かび始めている。そうして銃弾の雨が止むと勿体ぶったような仕草で、けれど迷いなく自身の胸をナイフで開き己の心臓を引っ張り出した。本日二度目の御開帳である。
 それにぎょっとしたのはハートリングに雇われた傭兵たちである。
「イカれてるぜ、この男……」
「ハチの巣になっても笑ってやがる」
「気味が悪いな、何なんだよ不老不死ってのは」
 当の三鷹は周囲の声に構いやしない。脈打つ自身の心臓を手に、冷え始めた沢巳の身体に馬乗りになると、彼の口元に血の滴る心臓ををかざす。ボタボタと零れる血が沢巳の口に流れて、彼はわずかにそれを嚥下した。
 三鷹が微笑して涼やかな声で囁いた。 
「お人よしだな、不老不死をかばうなんて」
 そうして、彼は悠々とした仕草で、沢巳の胸をナイフで割り開いた。 
 沢巳の口から絶叫がほとばしった。いや、絶叫というより咆哮に近い。死の淵に立つ者とは思えない声である。機械化した四肢がギクンギクンと暴れだし、さすがの傭兵たちも顔をしかめた。あたりに充満した血の匂いと相まって、とうてい直視できたものではない。
 けれど構わず、三鷹は沢巳の血を流す裂け目に手を突っ込み、彼の心臓を引きずり出した。
 沢巳は自分の中で血管がちぎれる音をかすかに聞いている。だがもう何が起きたのかを理解していない。熱いのか寒いのか、生きているのか死んでいるのか、それすら分からない。ついに意識が途切れそうになった瞬間、いやに真剣な声がいやにはっきり彼の耳に届いた。
「お前に俺の心臓をくれてやる。こんなところで死ぬんじゃねぇよ、妹を探すんだろ?」
 何か無遠慮に彼の体内に侵入した。
 三鷹の、不老不死の心臓だ。
 異物であるはずのそれは不思議と沢巳の体に馴染み、痛みが遠のき、次第に意識がはっきりし始める。
 クリアになっていく彼の視界に飛び込んでくるのは舌なめずりして満足そうに笑うストロベリーブロンドの美貌。思わず沢巳は苦笑する。こんな男が生き神だなんてよく言ったものだ。悪魔の類の間違いだろう。
「めちゃくちゃだ」
 口の中で呟いて、沢巳はゆっくりと体を起こして起き上がった。服は破れ血にまみれているが、傷はすべてふさがっていた。機械化した四肢はいくら最低限の防弾加工がされているとはいえ、あれだけの銃撃を食らって一部外装が剥げる程度で済んでいるあたり、幸運といえよう。
「あいつ……死んだはずじゃ」
「あれだけ血が流れたんだぞ」
「まさか三鷹だけでなくあいつも不老不死に」
 アオサメ団が戸惑いの声を上げるが、それに構ってやる義理はない。
「行くぞ」
 一言楽しげにつぶやき、三鷹は沢巳の手首を掴むと窓を蹴破って外に飛び出した。地上約15メートル。下は例の中庭である。
「今度こそ死ぬ!」
「暴れんな!」
 𠮟りつけた三鷹はこの施設のことを知り尽くしている。窓辺から垂れ下がる長いロープを掴んでそれを頼りに下へ降りていく。だが沢巳はそうもいかなかった。
「あ……」
 ロープを掴むことができず地上へ真っ逆さま。中庭は闖入者たちの攻撃で怪我をした人々がうずくまり、倒れ伏し、うめき声をあげ、あるいはものも言えぬ身になっている。落下の間、沢巳は彼らの仲間入りをする覚悟で自身の人生を懐古してみたが思い出すのはろくでもないことばかりだった。
 少年兵を育てる特殊訓練施設での地獄のようなの日々。実戦訓練で四肢を吹っ飛ばされて目が覚めた時には武器と一体化した義肢が取り付けられていたこと。薬物への耐性をつけることができずボロ布のようになって死んだ少年たちのこと。初陣の日に所属していた部隊が山間で全滅したこと。ただ独り生き残ってしまった末に山を下り、その先にあったこの欲望あふれるネオバビロンの街に住み着いたこと。 
 賭けの喧嘩試合に参加して初めて得た収入を帰り道に全額スられたことを思い出したところでゴキ、と首のあたりで変な音がした。
 沢巳の意識は途切れ、屈強な体はぐったりと地面に横たわった。生憎、首は強化していなかった。即死である。
 だが次の瞬間にはぱちりと目を開いて体を起こした。
「死んだかと思った……」
「うんうん、移植大成功だな」
 ロープを手離して着地した三鷹は先に地面に自由落下で到着していた沢巳を見て、いたずらを仕掛けた子供のように笑っている。
「何が起きた、さっき死ぬつもりだったのに」
 ついでにしょうもない走馬灯も走った。
「死んださ。一回死んで生き返った」
 沢巳の顔が青くなる。
「……本当に不老不死になった?」
「俺の心臓を移植したからな」
 ストロベリーブロンドを陽光に輝かせながら、永遠の具現体は胸を張った。堂々とした立ち居振る舞いが様になる男だな、と不老不死になってしまった沢巳の頭にどうでもいい感想が流れる。
「そんな単純なシステムなのか」
「フツーは死ぬ。分の悪い賭けだったさ。……でも、妹を見つけたいんだろ?」
 沢巳が何か言い返そうとしたが、遮るように話し込んでいると、上から騒がしい声が聞こえてくる。例の武装集団が窓からロープを垂らして追いかけてきている。
「まったくしつこいな!」
「そりゃあ、もう俺たち2人そろって金の生る木だからなあ!」
 言いながら三鷹は長い脚を振り上げて、襲ってきた武装集団の顎を蹴り上げる。その足を掴もうとした輩に沢巳がボディブローをかませば三鷹が口笛を吹く。沢巳の戦闘用の機械の四肢と、三鷹の不老不死の副産物ゆえの身体能力で、武装集団はバタバタと倒されていく。
「お前けっこういけるクチじゃん!」
「元兵士だからな」
「へぇ!」
 言いながらも三鷹も白いファーコートを翻し華麗な立ち回りで敵をのしていく。そして、倒れた敵のポケットから転げ落ちた手りゅう弾を手に取る。
「よっしゃ、逃げるぞ!」
 そう言ったかと思うと、手りゅう弾を後方に投げ、そのままがっしりと沢巳の手首を掴んで引っ張った。こうなるともうこちらに拒否権はない。これをほんの1時間足らずで思い知らされた。ドカン、と爆風が起きたのを背に、三鷹はすぐそばに止めてあった誰かのバイクに遠慮なくまたがったかと思うとそのまま慣れた様子でアクセルを回し教団の敷地を駆け抜けていく。この街では、バイクに鍵をかけなかった方に責任がある。
 不意に後方から轟音がした。振り向けば、先ほどの無頼漢たちが復活して武装トラックで追いかけてきている。だが彼は焦らなかった。速度表示のあるあたりを弄ると、そこから取り出した物体を後方に放り投げる。
「前向いとけ!」
 彼が叫んだかと思うと、背後から凄まじい光が放たれた。閃光弾の光にトラックの運転手がハンドルをめちゃくちゃな方向に回したようだ。ドォン、と何かにぶつかる音がして焦げ臭いにおいがする。
 不意に、沢巳がバイクを止めさせ、三鷹を見据えた。
「おれの身体を元に戻せ。不老不死になるなんて、望んじゃいない」
「ンなこと言われても」
 困ったように三鷹はくちびるを尖らせる。
「元に戻る方法なんて知らねぇよ。誰かを不老不死にしたの、お前が初めてだもん」
「はぁ?!」
「こんな臓器売買が横行するような街で死んだ妹の遺体を探して、不老不死を庇って死ぬような、不器用でバカな奴、死なすのは惜しい」
 その勝手な物言いに沢巳は三鷹の胸ぐらをつかみ拳を振り上げるが、三鷹が微笑を浮かべて言った。あの、慈悲深い微笑だ。
「仕方ねぇだろ、俺はそういう不器用でバカな奴が好きなんだ。生きてて欲しいって思っちまった」
 その顔で、沢巳の反論は封じられた。替わりに舌打ちをすると、沢巳は三鷹をにらんで言った。
「じゃあ、おれをこんな身体にした責任を取れ! おれと一緒に妹の消息を追え。そして、おれを元の身体に戻す方法を探せ」
 言われて、三鷹ははじけるような快活な笑みを浮かべて「ああ!」と頷いた。

#創作大賞2024
#漫画原作部門
#少年漫画
#サイバーパンク
#バディもの

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?