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ネオバビロン・ザ・イモータル 3話

 バン、と音を立てて厨房の扉が開き、出てきたのは肉切り包丁とフライパンを持ったエプロン姿の巨漢だった。鋭い眼光、しかし片方は傷跡があり塞がっている。禿頭の乗った身体は2mに届くだろう。腰には何やら色々な道具が釣り下がっている。彼こそこの中華料理店「食前方嬢」のシェフ、トラゴステーン・ダグフザルである。 
 その異様な風体にさしもの悪漢たちも思わず一歩退いた。
「トラゴステーン・ダグフザルは俺だ。貴様らは……卍牙一家だな。長らく黙っていたかと思えばいったい誰の差し金だ。それとも独断か? 返答次第では貴様らを満漢全席に仕立ててやろう」 
 低い声はこの男が本気だと思わせるだけの迫力がある。しかしこの一団も退くことができないらしい。
「殺人料理人トラゴステーン、10年前にてめぇが俺たち卍牙一家に何をしたか。忘れたとは言わせねぇ! 卍牙一家若頭、八田マルコ、仁義通させてもらうぜ!」 
 若頭を名乗った男が短刀を握る手に力を込めて店主に襲い掛かった。後ろに控えていた者たちもワッと声を上げた。だが厨房の主はフライパンでそれを防ぎ、太い脚を振り上げて襲撃者を店の外まで蹴り飛ばした。
「店内で喚くな、武器を振り回すな。彼女も警告しただろう、ここは食事をするところだ。貴様らには衛生観念も耳も無いのか」
 地を這うような声で言い、料理人はずんずん歩く。それに気圧されて暴漢たちも後ずさって店の外まで出てしまう。その様子を見守りながらエミリーと三鷹は額を抑えため息をつき、沢巳は唖然とした。世にあんな料理人がいてたまるかと言ってやりたい。 中華料理店店主は店の入り口を背にして肉切り包丁を構えた。蹴り飛ばされた男は立ち上がり短刀を手に一矢報いようとする。しかし料理人は大雑把にすら見える動きで包丁を振り下ろした。 ビシャっと音がして、次に上がったのは絶叫だった。アスファルトに血の滴る肉塊が叩きつけられている。
「腕、腕、俺の腕がああああああ!!」
「アニキ、腕……」
「腕、アニキの腕、ここ……これ、あ、くっつけて」
 忠実な舎弟が切り落とされた腕を掲げる。しかしそれは狙撃手の良い的でしかなかった。
「全員ここで殺すからそんなのわざわざ引っ付けなくても良いわよ」
 エプロンを身に着けた勇敢なウエイトレスは言い放って、逃げ出そうとした端の男の頭に2発目を撃ち込んだ。こんな小柄な女など気にも留めていなかった卍牙一家は倒れた仲間を目の当たりにして自分たちの危うさを悟りつつあった。
「お嬢、下がっててくれ」
「何言ってるの。あの日からあなたの敵は私の敵でしょう、トラゴ」
「……そうだった」
 料理人の隻眼が少し柔らかい色を宿した。それと視線を交わしかすかに笑みを浮かべたエミリーを指さす男がいる。あの片腕を失くした男だ。傷みか別の何かからか、指どころか全身が震えている。
 食人姫しょくじんき
 そうつぶやいた声も震えていた。
「……噂は本当だったのか。トラシーボファミリーはあの時その女が」
 しかしそれを全て言うことはなかった。ワインオープナーがまっすぐに飛んで彼の眼球を貫いたからだ。
「口数の多い奴はろくなことにならないぜ」
 幼い子供に教えを授けるように三鷹は言う。けれど悲鳴を上げる男たちには聞こえていないようだった。ワインオープナーはトラゴステーンのエプロンに下がっていたものだ。用途は明らかに間違っているが、フライパンと肉切り包丁の時点で本来の使用法から逸脱しているため深く追及するのは野暮であることを沢巳は悟った。
「も、もう駄目だ……」
「なんだよこいつら、人の心ってもんが無いのかよ」 「ちくしょう、この10年俺たちは泥水すすってでも生きてきたんだ……!」
  後退の意思を見せる卍牙一家に対しても食前方嬢の二人は手を休めなかった。エミリーは店の入り口に置いていた巨大な缶の中身を彼らにぶちまけた。独特の臭気が鼻をつく。
「うわあ、なんだこれ!」
「べたべたしてやがる、薬品か?」
「水、水!」
「いや、待てこれは……」
 その声は同時に発せられた。
「油だ!」
「トラゴ!」
 エミリーに名を呼ばれて、料理人は委細承知しているとばかりに腰に下げた巨大なバーナーに火を灯した。
「オーナーの仰せのままに!」
 ボッと音を立てて火が上がった。それはあっという間に燃え広がって、その場にいた卍牙一家を飲み込んだ。人影が狂ったように蠢き、悶えている。炎の音さえかき消すほどの断末魔の叫びが響く。この騒ぎに野次馬すらいない。この区画は昼の間はゴーストタウンと見紛うほど閑散としているからだ。
 独特の嫌なにおいがし始めるが、これで終わったと皆が息を吐く。
 しかし。
「よくも兄さんたちを……」
 ただ一人、炎の中から歩み寄る者がいた。あの忠実な舎弟である。彼はのそりと襤褸切れになった派手な柄シャツを取り払う。
 現れたのは鋼の肉体。
 比喩ではない。彼の首から下の皮膚は耐熱性の高い金属でできている。ピカピカと光る銀色の肌には焦げ跡ひとつない。ただ、顔面の皮膚は赤黒くなっている。
 肉体に機械を埋め込んだサイボーグたちが日常に溶け込んだ今の時代。身体の治療の際にただそこを治すのではなく、傷病部位に機械を埋め込むことでむしろ肉体を強化するという選択肢もあるくらいだ。だが、それにはもちろん金がかかる。
「卍牙一家にそこまで金のある奴がいるとは思わねえよなあ」
 言いながら三鷹は喉を震わせて笑う。そして脚を上げて相手の股座を躊躇なく膝で蹴りつけた。およそほとんどの男性にとっては弱点である、が。「んっ!?」
 三鷹が戸惑う。舎弟はひるむことなく隙を見せた相手の胸ぐらを掴んで引き寄せ、そのまま互いの額を勢い良くぶつけた。ぐら、と三鷹の体が揺れる。舎弟の腕がガシャン、と機械じみた音を立てて瞬時に鋭い刃に変形した。
「三鷹!」
 沢巳が三鷹に駆け寄り、彼を抱き寄せ後退しようとしたがあと少しのところで間に合わない。その凶悪な腕は沢巳ごと三鷹の胸を貫いた。二人纏めて串刺しにして、舎弟はブンブンと腕を振り回す。
「あぁぁあああぁっぁぁっ!」
 激痛に沢巳が絶叫を上げる。だが彼の目の前では三鷹が眉間にしわを寄せながらただ熱く吐息を漏らしている。嫌に近づいたその美しい顔の中、妙に艶っぽい口元に血があふれてめまいがするほどに香る。胸元で触れ合った互いの血の熱さと胸を貫く刃の冷たさがまじりあって、熱いのか寒いのか分からなくなってくる。
 舎弟が動けないところに、すかさずトラゴステーンが肉切り包丁を敵に振り下ろした。さすがにこれを無視するわけにはいかなかったようで、舎弟は己の腕を2人分の体から抜くと血にまみれたままのそれで防いだ。ガキン、と金属の合わさる音が響く。あの剛腕の一撃を防いでみせたのだ。二人の力は拮抗している。
 しかし銃弾の音が聞こえ、すぐそばを銃弾がかすめると舎弟はとたん動揺した。いかに胴体が頑強であろうと首から上がただの人間であることは顔の火傷痕が証明している。エミリーの銃弾は確実に舎弟の頭部を打ち抜こうとしている。トラゴステーンの肉切り包丁を防ぐ手から力が抜け、後退しようとし始める。
 けれどそれは叶わなかった。舎弟の体が傾きアスファルトに倒れこんだ。さっきまでアスファルトの上で死体になっていた沢巳が彼の足を払ったことでバランスを崩したのだ。そこをすかさずトラゴステーンが抑え込み、エミリーの銃弾がついにその脳を打ち抜いた。
 物言わぬ鋼の肉体がだらりと転がっている。
「三鷹、大丈夫か?」
「問題ねぇ。……世話かけさせたな、悪ィ」
 沢巳に言われて、心臓を貫かれていた男はのそりと起き上がりバツが悪そうに言った。
「別に良い、どうせ死なない体だ。だが痛覚は健在か。なぜおまえは平気そうなんだ」
 沢巳はため息をついてから三鷹に文句を言うが、ふと自分に注がれる視線に気が付きハッと顔を上げた。食前方嬢の二人である。彼らが沢巳を見つめるのも当然のことだった。鋭い刃に貫かれ穴が開いていた、みぞおち付近はすっかり塞がっているのだから。
「あ、の、エミリーさん、トラゴステーンさん、これは……」
 どう言い訳をしようか戸惑っていた沢巳の予想に反して、食前方嬢の二人は目を丸くしながらも笑顔になった。
「沢巳くんも三鷹と一緒なんだね!」
「三鷹が一緒にいる理由が分からんかったが、なるほどな」
 訳が分からないと沢巳が目を白黒させていると、三鷹はため息をついて行った。
「ま、ちょっと色々あってな。こいつも俺と同じ体質だ」
 そして沢巳に言い聞かせる。
「エミリとトラゴステーンは俺の体のことは知ってるから気にすんな。それにしても二人ともマジで悪いな、あんま役に立てなくてよ」
「元はと言えば私とトラゴの問題だから気にしないで」
「オーナーがそういうならなおさらだ」
 どうやらエミリとトラゴステーン自身もまた訳アリらしかった。ほっと息をついたのもつかの間、三鷹はエミリに声をかけた。
「それで……チェン・ンジャナ・エミリー嬢、少しで話をしたいんだが、良いか? ハートリングに関わってる可能性もある」
 そういうと、朗らかなエミリはスッと厳しい顔になり、トラゴステーンと互いの顔を見合わせると首を縦に振った。厨房の奥に三鷹と沢巳を通し、何の変哲もない料理道具を吊るしているフックのうちのひとつを引っ張る。するとガコン、と音がして、奥の壁が動き、下へと延びる階段が現れた。
「ついて来て、三鷹、沢巳くん」 

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