見出し画像

感染症の恐怖から生まれた言い伝え

私たちは、これまで経験したことのない新型コロナウイルスという
魔物に脅かされる日々を送っています。

しかし、これまで人類は幾度となくこうした疫病と戦い、
乗り越えてきました。
世の中が騒がしくなると、さまざまな信仰が生まれ、各地で祭祀(さいし)
が営まれてきました。
疫病や死に対する恐怖から、各地でしきたりや迷信が慣習として、
今日まで伝承されているものも数多くあります。

もちろん昔の慣習が現代にそのまま当てはまるわけではありませんが、
「なぜそのように言われているのか」という考え方は、今に通じるものが
あるような気がします。





死者に夜通し付き添った人が謹慎する理由

通夜と言えば、現代では親しい人とのお別れの場として儀式が行われるもの
ですが、もともとは死者のそばに近親者が夜通し付き添う行為のことで、
夜伽(よとぎ)とも言われていました。

通夜において死者と共に過ごした人は、一定期間(7日~10日程度)の
忌みがかかるとして、外に出ることは許されず、
家で過ごすこととされていました。

それを「忌み籠り(いみごもり)」と言いますが、死をもたらした原因が
分からなかった時代では、死者の周囲から感染が広がっていくという
事実に対し、忌み籠りという言葉を使って、一定期間の謹慎を
強いていたのかもしれません。

夜通し故人のそばにいる理由は、「寂しくないように」
「死者の魂に寄り添って生き返ることを願う」など諸説ありますが、
「死臭を察して寄ってくる野獣から守るため」というのは
現実的な説です。

「線香やロウソクを絶やしてはいけない」とも言われますが、これも
「故人が成仏できるように」という願いだけではなく、野獣除け、虫除け、
死臭を消すため、という目的もあったと言われています。



通夜や葬儀・告別式の後、「通夜ぶるまい」「精進落とし」「精進上げ」
と称される食事が振るまわれる地域が多いと思います。

こういった一連の葬送儀礼の中での食事については、遺族は口を出さず、
隣近所に任せるという方式をとっていた地域が多くあるのですが、
これも、得体の知れない疫病と無関係ではなさそうです。

若い男性は墓穴を掘り、女性は台所でまかない仕事などを分担します。
こうして死穢(しえ)を遠ざけようとしていたのでしょう。
死は伝染すると信じられていて、死体とそれに触れる遺族は
死の穢れに染まっていると考えられていました。

遺族は臨終から通夜等を通じて故人のそばにいるため、感染症が
原因であれば「濃厚接触者」である状態です。
忌み籠りの期間中は自分たちで葬儀の準備等を行い、家の外に出ない
ことによって、感染が拡大しないようにしていました。

一定期間の忌み籠りが終わることを「忌明け(いみあけ)」と言いますが、
かつてはこれを火明けと呼ぶ地域がありました。
これをもって、近隣の人とご遺族が同じ火を使って調理することが
可能となるそうです。



このように、一定期間を過ぎると死者を不浄視するような物理的条件が
取り除かれていきます。
戦国時代では、家族の死後数週間は主人の館に出仕できず、その期間が
過ぎると衣服を着替えて参上したとか、漁村では四十九日を過ぎると
漁が解禁になるというところもあったようです。

また、四十九日餅(しじゅうくにちもち)といって、
四十九日にお供えされるお餅もあります。
これは喪家(そうか)でついた餅で、これを隣近所に分けたり、寺や墓に
持っていくことで喪家にかかっていた穢れが解かれるというものです。


霊的な恐怖というより、目に見えない疫病から一定期間遠ざけるための
方法として、先人たちが生み出した知恵なのかもしれません。





なぜ塩が「穢れ」を払うのか?

『古事記』には、イザナギノミコトが海で禊祓い(みそぎはらい)を
した神話から、塩は民間信仰のひとつとして「清め」のシーンで
多く使用されていました。

塩そのものに殺菌性や防腐性はありませんが、塩を使うことによる
作用により、殺菌・防腐の効果が認められます。
そのため、昔の人は葬儀を終えた後、疫病を遠ざけたいという意味で
塩を身体に振りかけたり、塩を踏んだりしてから家に入っていました。

他にも、米、味噌、大豆、魚、餅、団子などを食べることで
「清め」とする地域もあります。
また、小豆も赤飯や煮豆、粥といったものに形を変え、葬送儀礼の
シーンでは広く食されていました。
これらを食することで、残された人がしっかり力を蓄え、免疫をつけて
おきたいという願いが込められていたことも伺えます。

土葬の場合は、穴を掘る作業が必要となりますが、穴掘り役は多大な労力を
費やすだけではなく、死体に接することから、身体を守るために
さまざまな工夫がなされ、そこからしきたりが生まれました。


穴を掘る人は、精力をつけるため握り飯や豆腐などを持参したり、
届けられたりもしたそうです。
酒を持っていくところもあるのですが、これは消毒の意味も
あるのかもしれません。
また、必ず火を焚きながら掘るというところもあります。

なお、持参したり届けられた握り飯や酒は、残さず食するか、
そのまま置いて帰ります。
穴掘りに使用した道具も、持ち帰らずにそのまま墓地に一週間程度は
置きっぱなしにするそうですが、これも感染症対策で
あったと思われます。

現在でも、火葬場に持っていったものや、火葬場で購入したものを
持って帰ってはいけないと言われている地域もありますが、
こういったしきたりの名残ではないでしょうか。



終わり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?