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92歳 三石巌のどうぞお先に 8
三石巌が1994年から産経新聞に掲載していた「92歳 三石巌のどうぞお先に」の記事を掲載させたいただきます。(全49回)
ビタミンB1の効果
術後ははれなかった妻の腕
前回書いた米国の科学者、ライナス・ポーリングを知らない人のために一言しておく。かれは「さらば風邪薬」という本のなかで、ビタミンCがカゼにきくことを力説している。ビタミンCで地球上からカゼを追放したいって大きな夢をもつ巨人だ。
メガ(大量)ビタミン主義の旗手でもある。
ボクのつかったビタミンのアンプルは、Cが二百ミリグラム、B1が百ミリグラム、B2が二十ミリグラムだった。スキーでものをいったのは、たぶん百ミリグラムのビタミンB1だったろう。
そのうちに家内が乳がんをやった。手術がすんでから、ボクはこれにB1とB2とを毎日注射することにきめた。手術後、八〇%の人に腕のはれがおこると聞いたからだ。はれの原因は乳酸だろうから、乳酸の発生をおさえるのにB1やB2がやくだつだろうっていうのが、ここでの理くつだ。
ボクの勘はあたった。腕はぜんぜんはれないんだ。
ところが、こまったことがおこきた。ビタミンB1の百ミリグラムアンプルの製造が中止になった。どうも東大の講師の本と関係があるらしいと思った。そこにはビタミンB1がよくないようなことが書いてあったからだ。アンプルは二十ミリグラムのものになっちゃたんだ。
家内の腕はだんだんふとくなった。その後、どういう風のふきまわしか、ビタミンB1の五十ミリグラムのアンプルが売り出された。しかしこれはあとのまつりで、腕の症状はすすむばかりになっちゃった。
だからといってボクは、その本を書いた講師をうらんじゃいない。かれに悪意があったわけじゃないからだ。完全な人間なんかどこにもいやしないじゃないか。
ところで遺伝子DNAのながいひもは、いくつかの糸巻きにまきついている。染色体とはこのことだ。さいきんの新聞に、遺伝子地図がほぼしらべあげられたとあった。目のタチがわるいとすれば、それが地図のどこをみればいいかのけんとうがつくってことだ。
その部分のDNAをきりとってタチのいいDNAととりかえっこができればいいが、そんなことはむりだ。目玉の細胞をひとつのこらず手術しなければならないわけだからな。
三石巌
1901年 東京都出身
東京大学理学部物理学科、同工学部大学院卒。
日大、慶大、武蔵大、津田塾大、清泉女子大の教授を歴任。
理科全般にわたる教科書や子供の科学読み物から専門書にいたる著作は300冊余。
1982年 81歳の時、自身の栄養学を実践するために起業を決意し、株式会社メグビーを設立。
1997年 95歳で亡くなるまで講演・執筆活動による啓発につとめ、
生涯現役を全うした。
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