20年前のインド(初海外一人旅)〜出発編~

※全文無料です※

ボケて忘れてしまう前に記録を残しておきたいと思う。

今から約20年前、確か2003年3月。
当時の僕は大学を卒業するも、バンドのドラマーとして食っていきたいという漠然とした夢を持ち、就職もせずバイトしながらバンド活動をするという典型的なお先真っ暗パターン。

深夜特急やバックパッカー読本、それに蔵前仁一や下川裕治の本を読んでアジアバックパッカーへの憧れだけをこじらせた、頭でっかちの中二病のような状態だった。

バイト先の店長にも
「インド行ってみたいっす!」
みたいな話をしては
「グダグダ言ってねーで行って来いよ!」
と言われる始末。

そんなこともある中、高校時代の友人と一緒に東南アジアを数ヶ国周ろうという計画を立て、ABロードという分厚い旅行雑誌を買い、フリープランのツアーだか格安航空券だかを探して旅行会社に電話したりしていた。
ネットで検索などまだまだ主流ではない。

当時、友人は料理の専門学生で僕はフリーターになりたて。
異様に安い学割プランで自分は安く行けるとテンションが上がる友人、
「いや、合計して折半でええやないか」と言う僕。
早くもこいつと一緒に旅行して大丈夫なのだろうかと感じていたが、
今となっては友人がケチなのか僕が厚かましいのか分からない。

そんなこんなで航空券を予約しようとした矢先、
東南アジアでSARSが流行し始めた。
TVは不安を煽るニュースだらけ。

友人は実家が割烹料理屋ということもあり、
両親の猛反対に会い、あっけなく東南アジア旅行は消滅した。。。

このままアジア知識だけの頭でっかちはカッコ悪い。
とにかく一人ででもどこかへ行こう。
こうして行き先を考え始めた僕は、東南アジアの地図を眺め始めた。
どこに一番行きたいか。。。

「バンコクに行ってカオサンロードに泊まるのがバックパッカーってもんよなー。」
「いや、不良警察官とグルの宿主にハメられてベッドの下に覚醒剤を仕込まれるかもしれん!」
「ベトナムもいいって聞くよなー」
「シクロが超悪質らしいからやめとこう」
などと見聞きしただけの情報でしょうもない自問自答を繰り返し、
最後まで候補に残ったのがカンボジアのアンコールワット。
なんのことはない、バイト先の可愛い後輩が
「いつか行ってみたいですぅ」
と言っていただけである。

そして地球の歩き方「カンボジアとアンコールワット」を購入し、
カンボジアの歴史だなんだを深掘りしていくことになる。
すっげー見ごたえのある遺跡、くらいの認識しかなかったが
調べれば調べるほどアンコールワットを含めてカンボジアに興味が湧き、
クメール・ルージュに関する本や映画もたくさん読んだり観たりした。

アンコールワットを調べてるうちに、世界三大仏教遺跡なんて言われるが、実は元々ヒンドゥー寺院だったということが頭に残り、
アンコールワット行くならヒンドゥーの総本山であるインドに行くべきだろう!となった。

なぜそうなったのかはわからない。
それこそ自問自答したらインドの方がロクでもない話がわんさかと頭をよぎったはずだ。
それでもインドに行くしかない、となった。
「バックパッカーの聖地でもあるしな、インドに行ったってだけでちょっとは泊がつくだろう」
という誰に対してかも分からない見栄のような気持ちもあったかもしれない。

そうと決めたら即行動!までは良かったが、
そもそもパスポートが無いじゃないか。
インドってビザ要るのか?
要るとしたらどこで取れるんだ?

押し寄せる課題をひとつひとつこなしていき、
準備が出来た時には手元に1ページをデカデカと使った
ド派手なビザが貼り付けられたピカピカのパスポートがあった。
旅慣れてない感丸出し。

そうして再び分厚いABロードと格闘し、
大阪の中之島にある怪しげな旅行会社が掲載していた
「北インド、デリー&バラナシ満喫14日間、全工程フリープラン」
というパッケージなのか自由旅行なのかも不明なプランに申し込むことにした。
何が付いてて何が付いてないのかも分からないが、お値段十数万円。

なんとなく振込が嫌だったのでオフィスまで現金で持って行くことにした。
着いたオフィスはやっぱり怪しい佇まいで一抹の不安を感じながらも、
それがまたインドぽいじゃないか、とバカポジティブ発動でお支払い。

こうして航空券も手に入れ、後には引けない状態となった。
プランの中身はとりあえず宿だけは押さえてるけど後は放置
という内容だった。

荷物の準備も急ピッチで進めたが、
正解が分からないまま不要な物でリュックはパンパンになっていった。
記憶してるこれは要らなかった!は

・缶入りの蚊取り線香
折れるのが嫌だったので缶ごとだった。
何巻持ってたかもわからん。アホ。
結局ほとんど使ってなかったと思う。

・粉ポカリ
これも冷静に考えれば危ない水に粉ポカリ入れようがどうしようもないのだが、下痢脱水症状になること前提で持って行っていた気がする。

・インド雑貨屋で買ったショール的なん
冷房が異様に効いてるからあると便利、的な情報をどこかで聞いて用意していたが、役に立たないのはもちろん、そんなものをインド雑貨屋で買っていたのがイタイ。

あとはデジカメを持っていなかったので「写ルンです」を大量に用意した。
これは不要ではなかったがデジカメ買っときゃ良かったと後悔。
現像した写真が行方不明になってしまった。。。

仕上げに現地のインターネットカフェから日本にメールできるかも、
とホットメールのメルアド取得。全く使わなかったが・・・

こうしてインドに行くことになり、
搭乗便はエアインディア。
出だしから洗礼を受け、安定の3時間遅延。

機内もインド節満開で旅情が高まる。
座席はボロボロでシートベルトも壊れ気味。
通路の幅より恰幅の良いCAが闊歩し、ドリンクを勧めてくる。
景気付けにビールを頼むと面倒なのか2缶を一度にテーブルに置かれた。
機内では既にインドに行ったことある大学生くらいの奴がインド語りをデカい声でしていた。
「川見て感動することあります?インドにはそれがあるんすよ!」

うぜぇ。

酔っぱらい、眠ったり、「歩き方」を読んだりしながら10時間後、機体は深夜、漆黒の闇のデリーに到着した。

日本からの便はだいたい夜着。それが3時間遅れなので深夜なのである。
褐色の肌の鋭い目つきの審査官にドキドキしながら入国審査を終え、いよいよインド。

空港のゲートを出れば、
ついにインド旅が始まる…

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